まさか自分が花嫁衣装を身につける日が来るなんて、夢にも思わなかった。
銀と朱色を基調とした豪華な装いに、高く結い上げられた小麦色の髪には紫や青の美しい宝石細工の飾りが輝いている。
絢爛な装い姿で鏡の前に立つ莎夜香は、緊張した面持ちで深呼吸をしながら思う。
花嫁となることを夢見た頃はあったけれど。
聆ノ国の姫として生まれたが、側妃だった母親が病で亡くなると、十八歳だった莎夜香は古く寂れた離宮に住まいを移された。
これは皇王からの寵愛を受けていた母とその娘を妬んだ正妃の企みによるものだった。
食事もろくなものを与えられず、衣服も自分で洗濯をするしかないという酷い扱いだった。
まるで姫であることを忘れられたかのような生活が続き五年が経った今、莎夜香は二十三歳になっていた。
皇族の娘が嫁ぐには遅すぎる年齢だ。
それに、今となってはもう、誰かの花嫁になることが一番の幸せだとも思わなくなっていた。
(私にとって幸せなことは、お腹いっぱい食べれて、隙間風が吹かなくて、雨漏りもなくて、日当たりのいい部屋がある家に住めて。気持ちよく眠れるフカフカなお布団がある生活よ!)
そのためにこの五年間、とある計画を達成するため、耐えて生きてきたというのに。
莎夜香は今日、花嫁姿で立っている。
離宮で世間から隔離されたような生活だったことは確かで。国内外の情勢にまで詳しくなかったことは認める。
でもまさか隣接する蒼琰国からの侵攻で、聆ノ国があっさりと敗北するなどと、誰が思っただろう。祖国がこんなにも弱かったとは。……いや、大帝国として名高い蒼琰国が強過ぎたのだろうか。
聆ノ国は征服され、皇王をはじめとする多くの皇族や貴族の命が奪われたと聞いた。
正妃とその子供たちも容赦なく処刑されたという。けれどそんな話を聞いても莎夜香は悲しくもなかったし、父である皇王の処刑に対しても、悔しさや憤りも感じなかった。
実の娘が冷遇生活を強いられていたというのに助けることもなく、母親が死んでから一度も皇王は莎夜香に会いにくることがなかったのだ。
そんな父や莎夜香を蔑んできた者たちの死に同情する気も起きないが本音だ。
寧ろ、胸をすくような気持ちになってしまい、私ってば性格歪んだなと感じるだけだった。
とにかく今は計画事の一旦中止が悔しい。
離宮で冷遇暮らしだった五年間、莎夜香は皇城から逃亡することを計画していた。
莎夜香にはその計画を手伝ってくれる心強い味方がいたのだ。
彼らは人間ではない姿で、聆ノ国では『神獣』と呼ばれる伝説上の生き物だった。
莎夜香の母親は神聖な力を持つ巫女が生まれる一族の出生だった。弱力ではあったが母には異能があり、娘の莎夜香も幼い頃から『神獣』が見え、会話もできた。更に母にはなかった異能も持っていた。それは神獣を『使役霊』として従わせる力だった。
神獣は虫のように小さなものからネズミやイタチに似たもの、中位のものでは猫やタヌキに似ていたりと、様々な種類がいた。中でも鷲のように立派な翼がある鳥の体で、莎夜香の瞳と同じ翡翠色の眼と、フサフサした長い尾羽のある青銀色の神獣は風を操る力があり、昔から莎夜香によく懐いていた。
莎夜香はその神獣に『ナギ』という名と自身の血を与えた。そうすることでナギは使役霊となり莎夜香に従うようになった。
莎夜香の目に見えていたほかの神獣たちも、母を亡くしてから冷遇された莎夜香に声をかけ、慰めてくれたりと皆優しく。こっそりと会話をするだけでも、自分はひとりぼっちではないと思えて嬉しくなった。
ときどき離宮へ運ばれた毒入りの食事も、神獣たちが教えてくれたおかげで回避できた。
(毒を盛られても私は死ななかったのだから、企んだ者たちはさぞや驚いたでしょうね)
満足のいく食べ物が運ばれない代わりに、ナギが何処かから安全な食べ物を運んでくれることもあった。
ただ、亡くなった母には「ここでは巫女の力を不愉快に感じて、嫌な気分になる人が大勢いるの。だからなるべく隠していた方がいいのよ」と言われていた。
母親は嫁いだばかりの頃、異能による自分の行動が周りに気味悪がられていたという話をしていた。
だから莎夜香は母の言い付けを守りながら過ごした。
皇城からの逃亡計画は離宮へ移されてから、ナギが提案してくれた事だった。
不当な扱いを受け、忘れられているような存在ならば逃亡して本当に忘れてもらってもいい。
莎夜香はそう思うようになった。
とりあえず路銀など、逃亡後もお金は必要になる。
神獣の力を窃盗には使いたくなかったので、なにか自分の得意なことでお金を得ることはできないだろうかと考えた結果、刺繍の腕が良かったこともあり、ナギの協力で糸や布を用意してもらい刺繍を施した小物を作った。
それを商人に化けたナギに託し、街や都で売ってもらい、お金や宝石などに変えてくることができた。
そんな内職をこの五年間、こっそりコツコツと続けた結果、逃亡資金はかなり貯まり、そろそろ行動を起こそうと思っていたとき、聆ノ国はあっけなく征服されてしまったのだ。
そして皇城が陥落したと同時に、離宮で暮らしていた莎夜香も蒼琰国の兵士に見つかった。
あのとき騒動の最中、ナギと一緒に逃げようかとも思ったが。
目の前に現れた男の言葉に衝撃を受け、莎夜香は踏みとどまってしまったのだ。
兵士たちから『将軍閣下』と呼ばれたその男は言った。
「肩に乗せているその生き物はなんだ? 妖か?妖獣ではなさそうだが………」
(このひと、神獣が見えるの?)
莎夜香はとても驚いた。
でも、アヤカシに妖獣ですって?
ナギは神聖な生き物だ。物怪と一緒にしないでほしい。
莎夜香は男に何も答えず、ナギには隠れているように指示をした。
たくさんの兵士が集まっていたこともあり、派手に行動を起こす気にはならなかった。
兵士の一人が、莎夜香が皇族の生き残りであることを将軍閣下に告げ「ここで処刑しますか?」と言った。
気付けば兵士たちも目の前の男も、衣服には大量の返り血を浴びていた。
この離宮へ来る間、いったいどれだけの人を殺したのだろうか。
殺されるのは嫌だ。逃亡計画をやっと実行に移そうとしていたのだ。
やはりナギの力を借りて暴風でも起こし、ここから脱出しようか……。
莎夜香が黙ったまま考えを巡らせているときだった。
「殺す必要はない。これは戦利品として黒曜家で引き取る。とりあえず拘束しておけ」
将軍閣下の言葉の内容に唖然としたが、ひとまず殺されることはないようなので、莎夜香は様子を見ることにした。
逃亡の機会はきっとまたある。貯めた資金は隠してある。神獣の力で封印してあるから誰にも見つからない。
それより今は……。
莎夜香はナギの姿を見ることができるこの男のことが気になっていた。
けれどまさか自分がその男───将軍閣下の『花嫁』になろうとは………。
♢♢♢
銀と朱色を基調とした豪華な装いに、高く結い上げられた小麦色の髪には紫や青の美しい宝石細工の飾りが輝いている。
絢爛な装い姿で鏡の前に立つ莎夜香は、緊張した面持ちで深呼吸をしながら思う。
花嫁となることを夢見た頃はあったけれど。
聆ノ国の姫として生まれたが、側妃だった母親が病で亡くなると、十八歳だった莎夜香は古く寂れた離宮に住まいを移された。
これは皇王からの寵愛を受けていた母とその娘を妬んだ正妃の企みによるものだった。
食事もろくなものを与えられず、衣服も自分で洗濯をするしかないという酷い扱いだった。
まるで姫であることを忘れられたかのような生活が続き五年が経った今、莎夜香は二十三歳になっていた。
皇族の娘が嫁ぐには遅すぎる年齢だ。
それに、今となってはもう、誰かの花嫁になることが一番の幸せだとも思わなくなっていた。
(私にとって幸せなことは、お腹いっぱい食べれて、隙間風が吹かなくて、雨漏りもなくて、日当たりのいい部屋がある家に住めて。気持ちよく眠れるフカフカなお布団がある生活よ!)
そのためにこの五年間、とある計画を達成するため、耐えて生きてきたというのに。
莎夜香は今日、花嫁姿で立っている。
離宮で世間から隔離されたような生活だったことは確かで。国内外の情勢にまで詳しくなかったことは認める。
でもまさか隣接する蒼琰国からの侵攻で、聆ノ国があっさりと敗北するなどと、誰が思っただろう。祖国がこんなにも弱かったとは。……いや、大帝国として名高い蒼琰国が強過ぎたのだろうか。
聆ノ国は征服され、皇王をはじめとする多くの皇族や貴族の命が奪われたと聞いた。
正妃とその子供たちも容赦なく処刑されたという。けれどそんな話を聞いても莎夜香は悲しくもなかったし、父である皇王の処刑に対しても、悔しさや憤りも感じなかった。
実の娘が冷遇生活を強いられていたというのに助けることもなく、母親が死んでから一度も皇王は莎夜香に会いにくることがなかったのだ。
そんな父や莎夜香を蔑んできた者たちの死に同情する気も起きないが本音だ。
寧ろ、胸をすくような気持ちになってしまい、私ってば性格歪んだなと感じるだけだった。
とにかく今は計画事の一旦中止が悔しい。
離宮で冷遇暮らしだった五年間、莎夜香は皇城から逃亡することを計画していた。
莎夜香にはその計画を手伝ってくれる心強い味方がいたのだ。
彼らは人間ではない姿で、聆ノ国では『神獣』と呼ばれる伝説上の生き物だった。
莎夜香の母親は神聖な力を持つ巫女が生まれる一族の出生だった。弱力ではあったが母には異能があり、娘の莎夜香も幼い頃から『神獣』が見え、会話もできた。更に母にはなかった異能も持っていた。それは神獣を『使役霊』として従わせる力だった。
神獣は虫のように小さなものからネズミやイタチに似たもの、中位のものでは猫やタヌキに似ていたりと、様々な種類がいた。中でも鷲のように立派な翼がある鳥の体で、莎夜香の瞳と同じ翡翠色の眼と、フサフサした長い尾羽のある青銀色の神獣は風を操る力があり、昔から莎夜香によく懐いていた。
莎夜香はその神獣に『ナギ』という名と自身の血を与えた。そうすることでナギは使役霊となり莎夜香に従うようになった。
莎夜香の目に見えていたほかの神獣たちも、母を亡くしてから冷遇された莎夜香に声をかけ、慰めてくれたりと皆優しく。こっそりと会話をするだけでも、自分はひとりぼっちではないと思えて嬉しくなった。
ときどき離宮へ運ばれた毒入りの食事も、神獣たちが教えてくれたおかげで回避できた。
(毒を盛られても私は死ななかったのだから、企んだ者たちはさぞや驚いたでしょうね)
満足のいく食べ物が運ばれない代わりに、ナギが何処かから安全な食べ物を運んでくれることもあった。
ただ、亡くなった母には「ここでは巫女の力を不愉快に感じて、嫌な気分になる人が大勢いるの。だからなるべく隠していた方がいいのよ」と言われていた。
母親は嫁いだばかりの頃、異能による自分の行動が周りに気味悪がられていたという話をしていた。
だから莎夜香は母の言い付けを守りながら過ごした。
皇城からの逃亡計画は離宮へ移されてから、ナギが提案してくれた事だった。
不当な扱いを受け、忘れられているような存在ならば逃亡して本当に忘れてもらってもいい。
莎夜香はそう思うようになった。
とりあえず路銀など、逃亡後もお金は必要になる。
神獣の力を窃盗には使いたくなかったので、なにか自分の得意なことでお金を得ることはできないだろうかと考えた結果、刺繍の腕が良かったこともあり、ナギの協力で糸や布を用意してもらい刺繍を施した小物を作った。
それを商人に化けたナギに託し、街や都で売ってもらい、お金や宝石などに変えてくることができた。
そんな内職をこの五年間、こっそりコツコツと続けた結果、逃亡資金はかなり貯まり、そろそろ行動を起こそうと思っていたとき、聆ノ国はあっけなく征服されてしまったのだ。
そして皇城が陥落したと同時に、離宮で暮らしていた莎夜香も蒼琰国の兵士に見つかった。
あのとき騒動の最中、ナギと一緒に逃げようかとも思ったが。
目の前に現れた男の言葉に衝撃を受け、莎夜香は踏みとどまってしまったのだ。
兵士たちから『将軍閣下』と呼ばれたその男は言った。
「肩に乗せているその生き物はなんだ? 妖か?妖獣ではなさそうだが………」
(このひと、神獣が見えるの?)
莎夜香はとても驚いた。
でも、アヤカシに妖獣ですって?
ナギは神聖な生き物だ。物怪と一緒にしないでほしい。
莎夜香は男に何も答えず、ナギには隠れているように指示をした。
たくさんの兵士が集まっていたこともあり、派手に行動を起こす気にはならなかった。
兵士の一人が、莎夜香が皇族の生き残りであることを将軍閣下に告げ「ここで処刑しますか?」と言った。
気付けば兵士たちも目の前の男も、衣服には大量の返り血を浴びていた。
この離宮へ来る間、いったいどれだけの人を殺したのだろうか。
殺されるのは嫌だ。逃亡計画をやっと実行に移そうとしていたのだ。
やはりナギの力を借りて暴風でも起こし、ここから脱出しようか……。
莎夜香が黙ったまま考えを巡らせているときだった。
「殺す必要はない。これは戦利品として黒曜家で引き取る。とりあえず拘束しておけ」
将軍閣下の言葉の内容に唖然としたが、ひとまず殺されることはないようなので、莎夜香は様子を見ることにした。
逃亡の機会はきっとまたある。貯めた資金は隠してある。神獣の力で封印してあるから誰にも見つからない。
それより今は……。
莎夜香はナギの姿を見ることができるこの男のことが気になっていた。
けれどまさか自分がその男───将軍閣下の『花嫁』になろうとは………。
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