視(みる)

《観察②》
「和泉くん! お待たせ!」
「いえ、今日はお時間いただきありがとうございます」
「いいのいいの。ちょうどいい時間だし、もうオフィス行こうか」
 石井は15時を過ぎることなく丸山書房のエントランスに現れた。はっきりした顔立ちにコーヒー色のショートボブとカジュアルな明るいグレーのパンツスーツがよく似合っていて、今日も洒落ている。こだわりのない適当な髪型にパーカーとジーンズという大学生みたいな格好で隣を歩くのも、なんだかきまりが悪い。やっぱり仕事ができる人は見た目も抜かりないのか。せめてエレベーターのボタンくらいは俺が押さなくては。
 5階にあるウェブメディアのフロアに降り、約束のオフィスに声をかけた。ほどなく中川のデスクの資料と書籍の山から井上が姿を見せる。デスクの上は以前訪れたときよりも片付いたように見えるが、やはり少しかがんでしまうと離れた場所から姿が見えない。
「お疲れさまです。会議室Bでお待ちいただけますか? 僕パソコン取ってきます」
 いそいそと自分のデスクに向かう井上と一旦別れ、石井と2人で会議室に向かう。ホラー系以外の編集部の横を通り過ぎたが、どこの編集者も怪異側が恐れるような形相で仕事をしている。わあ、すごく大変そう、と石井が他人事のように呟いた。
 さほど待つこともなく井上も会議室にやってきた。額には汗が滲んでいる。聞けば中川のデスクを本格的に片付けるよう指示があり、昼前から資料や書籍を仕分けたり明らかなゴミを処分したりとデスクワーク以外の業務に追われていたらしい。こういうときに運動不足を自覚しますよね、と苦笑しながら回した肩からはごりごりと鈍い音がした。
 井上が送ってきたA4コピー用紙数枚の資料、文字起こしした山﨑のインタビュー、差出人不明音声データの文字起こしと封書の中身を長机に並べ、ひとつひとつ改めて3人で確認した。やはり正直なところ、どれもよくわからない。このままじゃお手上げですよ……と俺がぼやいている横で、石井は封書に入っていた手書きの記録を摘み上げて読みながら口を開いた。
「これ、ひとまずアルバムと姿見、視線について音声データで完全に分けて考えたほうがよさそうだよ。今は関連性もあるようなないようなって感じだし」
「うわあ、そうですよね……。井上さんに見つけていただいたデータに山﨑さんのインタビューを絡めて1本書くつもりです。でもこの視線についても捨てがたくて。差出人さえわかればな……」
 すると何かを考えている様子だった井上が、スラックスのポケットを探って小さな紙片と白いUSBを取り出した。丸まっていた紙片を長机の上で丁寧に伸ばしている。
「そういえばさっき中川さんのデスクの下に転がってたんです。スピリチュアルとオカルトでは結構話の方向性が違いますけど、記事のヒントくらいにはなりそうだなって取っておいたんでした」
 なるほど、たしかに話の方向性は異なるが、オカルト以外の視点からも考察しようとしていたのだろう。鏡はわかる気がするが、アルバムにもスピリチュアル的な意味があるものなのか。
「あとはおそらく、このUSBに入っているデータは赤いアルバムと古い姿見に関するものです。あそこにあったUSBの中では比較的新しいもので、インタビュー同意書をスキャンしたデータとか目撃された場所の一覧なんかも入っていました。そこでわかったんですけど、中川さんはご自身で赤いアルバムと古い姿見に関する記事を書こうとしていたようなんです。本業の編集者をやりながらたまにライターもやっていたみたいですね。うちが半年くらい前まで月刊誌も刊行していたことはお二方もご存知かと思いますが、そのバックナンバーの中に何度かライターとして『中川慎一』の名前がありました」
「それでいただいた資料は分析・考察まで進んだものだったんですね。合点がいきました」
「だからあそこまで資料や書籍、他社のオカルト雑誌までもデスク周りに置いていたんだと思います……腰までズキズキしてきました」
「湿布でも貼ってお大事にしてくださいね」
 石井が気の毒そうに言う横で、井上は立ち上がって軽く腰を反らせてみたり体をひねってみたりしている。あの量を一気に片付けようとしたらそうもなるだろう。
 どうしようかな。先ほど言ったとおり、まずは赤いアルバムと古い姿見の記事を仕上げないといけない。視線についての音声データは今すぐ世間に出せる状況とは言えないし、急いでどうこうしなくてはならないものでもない。とにかくまずは、夏に向けた特集の企画だ。ここでビューが稼げれば今後の仕事にも繋がるだろうし……。でも視線についてのほうが気になるんだよな、こういうライターとしての嗅覚というか勘みたいなものは無視したくない。仕事は仕事だと割り切ってはいるが、悩みどころだ。
 俺が頭を抱えていると、ふと石井がUSBを手に取った。このUSBにも以前見たのと同じように「ナカガワ」と名前が書き込まれている。だいぶ擦れたようで表面に細かい傷がつき、油性ペンで書いたらしい名前もやや薄くなっている。
「中川さんって、結構文字に癖がありますね」
「そうですね。全体的に右に斜めですし、『カ』なんて1画目の最後をはねていませんし、2画目と平行ですよね」
 井上も中川の字をじっくりと見ている。彼の言うとおり、だいぶ右斜めに傾いている。汚いというよりも癖のある字だ。
「ねえ、これ和泉くんの家に届いた電話のメモっぽいやつ、中川さんの字だよね」
 USBをじっと見つめていた石井が唐突にそんなことを言い出した。混乱する井上と俺の前に例の手書きの記録とさっき井上が見つけたメモ、そしてUSBを並べた。
「ここ見て。まず井上さんが拾ったメモとUSBの『カ』、同じでしょ? これを踏まえて和泉くん家に送られてきたメモ、カルト宗教っていうところの『カ』、一緒じゃない? それどころか、こっちに書いてある『オカルト』と『カルト』、完全に同じ人の字だよね?」
 手書きの記録と井上が見つけたメモの該当箇所を指差しながら石井が言う。鳥肌が立った。なぜ気づかなかったのだろう。丁寧に書いただろうUSBの名前も、走り書きのメモも間違いなく同一人物の字だ。筆跡鑑定のプロなんかじゃなくてもわかる。「ル」の2画目のカーブ具合、「ト」のバランス、どれも全く同じに見える。全体的に右斜めに傾いているが、カタカナの部分で同じだとわかる。顔を上げると井上も驚きに目を見張っている。石井も興奮しているのか瞳孔が開いていた。少なくとも、手書きの記録は中川が書いたものだと断定してよいだろう。
「そ、それでいうと、この封筒に書かれているメールアドレスの数字とUSBの日付も同じ人の字な気がしませんか……?」
 井上がおそるおそるといった手つきでUSBの横に封筒を並べた。USBに書き込まれた日付はとても小さなものだが、言われてみれば書き終わりを強くはらっている。アドレスは無作為な数字の羅列にいくつかのアルファベットが含まれたもので、ドメインもオリジナルのものだ。「6」や「8」の書き出しが丸く曲がっているところも特徴的で共通している。
「えっ、たしかに。和泉くん、これ、送り主って中川さんで間違いないんじゃない?」
本人に確認が取れたわけではないが、石井の言うとおりだ。不明だった差出人は失踪した中川慎一でほぼ確定でいいだろう。
じゃあなぜ、面識のない俺にこれを送ってきている? むしろ謎が深まった。差出人を中川と仮定してもしなくても、何らかの意図があるから俺に送っていると考えるほうが自然だ。俺は中川に一方的に知られている可能性があるほどの知名度があるとは言えないし、第一ついこの間まで丸山書房の人間に知り合いはいなかった。失踪しているとはいえ、名乗ってくれてもいいじゃないかと天を仰ぐ。俺たちの頭上で煌々と光るLEDの照明も、この謎の答えまでは照らし出せないらしい。