《一見》
これだけ渡されてもな。待ちに待った資料がようやく送られてきたと思ったら、このありさまだった。天下の丸山書房だろ、しっかりしろよ。自宅なのをいいことに声に出して悪態をつく。床を蹴ってデスクチェアをぐるぐる回しながら、俺よりゆっくり回っているシーリングファンを睨みつける。
1ヶ月ほど前から、差出人不明の謎のメールが来るようになった。大学時代にかじった民俗学の知識を基に、古今東西のホラー作品やミステリー作品を研究・分析しながらウェブメディアに連載を持っている程度のフリーランスライターこと俺・和泉リョウへのネタ提供か何かだとはじめは思った。仕事を選べるほどの力がまだないおかげで、オカルトや怪談、都市伝説、果てには未確認生物やらどこかの誰かの予言やら、眉唾ものの話題までどんと来いと言えるくらい執筆の守備範囲が広がりつつある今だ。少しでも知名度を得られるようにとライターとしてのSNSに載せた仕事用メールアドレスに、直接ネタを提供してくださるありがたい読者様もごく稀にいらっしゃる。
そんな中、例のメールが届いた。誰から送られてきた何のインタビューか不明であるため、今すぐに記事にしたり書籍に載せたりすることはできないだろう。詳細を尋ねるメールを数回送ってみたが返事は来ない。捨て置くこともできたが、何とも言えず不気味で意味深なメールが気になって、ひとまずお世話になっている先輩ライター・石井に相談してみた。彼女は俺と畑違いのサブカルチャーを中心に執筆活動をしているが、業界全体に顔が広い。話を聞くなり、おもしろそうじゃない? こういうジャンルを扱っているメディアに知り合いがいるから繋いであげるよ、仕事になるかもよ、と目を輝かせていた。
そこで繋がったのが超大手・丸山書房のホラー系ウェブメディアだった。アポイントメントを取ってさっそく都内の一等地に向かう。高層ビルが丸々1棟、丸山書房の社屋だ。普段出入りしているメディアには悪いが、あまりの規模の違いに若干腰が引ける。これは気合いを入れなくては、とエントランスに入る前に頰を叩いた。
すぐにウェブメディアのフロアに案内され、その広大なオフィスの端にある会議室に通された。5分ほどしてやってきた若い男性編集者は井上と名乗り、部署異動してきたばかりですがホラーやオカルトの類いが大好きなのでよろしくお願いします、と笑った。
そんな彼も、俺の話を聞きながら謎のメールを見て苦笑した。
「いやあ、申し訳ないのですがこれだけでは何ともできませんね。やっぱり差出人とインタビューの詳細がわからないことには何にしても扱いづらいと言いますか」
「それは重々承知しています。でもほら、差出人さえわかればどうにかなりそうじゃないですか」
「それを突き止めるのが1番難しいと思います」
ああでも。そう言って井上は何かを考えるように顎に手を当てた。でも、なんだ。早く言ってくれ。
「和泉さん、これはオフレコでお願いしたいんですが、実はちょっと前に、うちの部署に所属していた編集者が1人失踪したんですよ。僕はその人の代わりにここに異動になったんですけど、まだデスクは失踪した人が勤務していたころのままになっていて、自由にデータや資料をチェックしていいって言われたんです。それで僕、半分くらい好奇心と怖いもの見たさで残っているものすごい数のUSBとバインダーをひとつひとつ確認していまして。新しいものからチェックしているのですが、その中にこのメールのスクリーンショットに書いてある『例の赤いアルバム』の話を見かけた記憶があります。そっちの路線で1本、どうですか? 夏に向けてオカルト・都市伝説特集を企画しているところなので、ちょうどいいと思います」
ラッキー。素直にそう思った。仕事なんて多いに越したことはない。しかも大手だ。小さい企画だったとしてもある程度の原稿料は期待できる。俺は二つ返事で引き受けることにした。
会議室を出て、失踪した編集者のデスクまで案内してもらった。なるほど、大抵こうした編集部のデスクというものは雑然としていて、資料や書籍なんかが雪崩を起こしそうになっているものだが、そのデスクは群を抜いている。井上が所属するホラー系ウェブメディアの編集部自体が、オフィスの中で先ほどまで話をしていた会議室とは反対側の端に位置し、さらにその中でも壁際のキャビネットに手が届く場所にそのデスクはあった。床からもうずたかくダンボールが積み上がっていて、これでは周りからそこにいるのかどうかわからなかったのではないかと呆れた。必要なときに必要なデータや資料を出すことも叶わなかろう。
「これでも少し片付いたんですよ」
俺の心を読んだかのように言いながら、井上は天板の下の引き出しをそっと開けた。そこにはおびただしい数のUSBが収まっていた。ざっと数えて100以上はありそうな気がする。思わずうわあと声を漏らした俺を笑いながら、井上はUSBの一つを手に取った。
「本当にすごい数ですよね。一応使っていた期間の日付は書き込んであったのでいつのものかは確認できるんです。どうもこの方は几帳面な方みたいで、PCとUSBにしっかり分けてデータを格納していたようです。ものによっては和泉さんの後ろにあるキャビネットの中にも仕舞ってあります」
本当に几帳面であればもう少し使いやすく整えられている気がしないでもないが、時期の把握ができるのはありがたい。井上と並んでUSBをいじっていると、引き出しの底から角が丸くなった古い名刺が出てきた。先ほど井上にもらった名刺と同じデザインで「中川慎一」という人物のものだった。よく見るとUSBにも癖のあるカタカナでナカガワと書き込んである。石井なら彼のことを知っているだろうか。
「その人です、いなくなっちゃった人。勤続30数年で、今まで理由がない遅刻欠勤のない人だったらしいんですけどね。ご家族も行方不明者届を出されたそうですけど、全然情報がないって」
辺りを気にしながら井上が囁いてきた。
「どこに行っちゃったんでしょうね」
「さあ。神隠しにでも遭ったんですかね」
そんなやりとりをしたのが先週のことだった。つい先日、井上から赤いアルバムに関する企画が編集長に通った、一旦見つけられた紙媒体の資料を郵送したので到着し次第確認のうえ執筆に移ってほしい、といった内容のメールが届いた。俺はほくほくしながら承知の連絡を入れたが、蓋を開けてみればこれだ。こんなA4コピー用紙数枚の資料だけで何をどうやって書けって言うんだ。しかもこれ、分析・考察までついているじゃないか。もう記事になる予定だった? だいたいこれを書いたのは誰だ? ホチキスで留められた表紙には赤い水性ペンででっかく「掲載可」と書かれているが、面倒ごとには巻き込まれたくない。でも俺が持ち込んだ話ではあるし、第一石井の顔に泥を塗るわけにはいかない。どうしろってんだよ。なんかやばそうな姿見の話まで出てきたし。俺のいらだちを部屋中に撹拌するかのように、頭上ではシーリングファンがなめらかに回り続けている。
これだけ渡されてもな。待ちに待った資料がようやく送られてきたと思ったら、このありさまだった。天下の丸山書房だろ、しっかりしろよ。自宅なのをいいことに声に出して悪態をつく。床を蹴ってデスクチェアをぐるぐる回しながら、俺よりゆっくり回っているシーリングファンを睨みつける。
1ヶ月ほど前から、差出人不明の謎のメールが来るようになった。大学時代にかじった民俗学の知識を基に、古今東西のホラー作品やミステリー作品を研究・分析しながらウェブメディアに連載を持っている程度のフリーランスライターこと俺・和泉リョウへのネタ提供か何かだとはじめは思った。仕事を選べるほどの力がまだないおかげで、オカルトや怪談、都市伝説、果てには未確認生物やらどこかの誰かの予言やら、眉唾ものの話題までどんと来いと言えるくらい執筆の守備範囲が広がりつつある今だ。少しでも知名度を得られるようにとライターとしてのSNSに載せた仕事用メールアドレスに、直接ネタを提供してくださるありがたい読者様もごく稀にいらっしゃる。
そんな中、例のメールが届いた。誰から送られてきた何のインタビューか不明であるため、今すぐに記事にしたり書籍に載せたりすることはできないだろう。詳細を尋ねるメールを数回送ってみたが返事は来ない。捨て置くこともできたが、何とも言えず不気味で意味深なメールが気になって、ひとまずお世話になっている先輩ライター・石井に相談してみた。彼女は俺と畑違いのサブカルチャーを中心に執筆活動をしているが、業界全体に顔が広い。話を聞くなり、おもしろそうじゃない? こういうジャンルを扱っているメディアに知り合いがいるから繋いであげるよ、仕事になるかもよ、と目を輝かせていた。
そこで繋がったのが超大手・丸山書房のホラー系ウェブメディアだった。アポイントメントを取ってさっそく都内の一等地に向かう。高層ビルが丸々1棟、丸山書房の社屋だ。普段出入りしているメディアには悪いが、あまりの規模の違いに若干腰が引ける。これは気合いを入れなくては、とエントランスに入る前に頰を叩いた。
すぐにウェブメディアのフロアに案内され、その広大なオフィスの端にある会議室に通された。5分ほどしてやってきた若い男性編集者は井上と名乗り、部署異動してきたばかりですがホラーやオカルトの類いが大好きなのでよろしくお願いします、と笑った。
そんな彼も、俺の話を聞きながら謎のメールを見て苦笑した。
「いやあ、申し訳ないのですがこれだけでは何ともできませんね。やっぱり差出人とインタビューの詳細がわからないことには何にしても扱いづらいと言いますか」
「それは重々承知しています。でもほら、差出人さえわかればどうにかなりそうじゃないですか」
「それを突き止めるのが1番難しいと思います」
ああでも。そう言って井上は何かを考えるように顎に手を当てた。でも、なんだ。早く言ってくれ。
「和泉さん、これはオフレコでお願いしたいんですが、実はちょっと前に、うちの部署に所属していた編集者が1人失踪したんですよ。僕はその人の代わりにここに異動になったんですけど、まだデスクは失踪した人が勤務していたころのままになっていて、自由にデータや資料をチェックしていいって言われたんです。それで僕、半分くらい好奇心と怖いもの見たさで残っているものすごい数のUSBとバインダーをひとつひとつ確認していまして。新しいものからチェックしているのですが、その中にこのメールのスクリーンショットに書いてある『例の赤いアルバム』の話を見かけた記憶があります。そっちの路線で1本、どうですか? 夏に向けてオカルト・都市伝説特集を企画しているところなので、ちょうどいいと思います」
ラッキー。素直にそう思った。仕事なんて多いに越したことはない。しかも大手だ。小さい企画だったとしてもある程度の原稿料は期待できる。俺は二つ返事で引き受けることにした。
会議室を出て、失踪した編集者のデスクまで案内してもらった。なるほど、大抵こうした編集部のデスクというものは雑然としていて、資料や書籍なんかが雪崩を起こしそうになっているものだが、そのデスクは群を抜いている。井上が所属するホラー系ウェブメディアの編集部自体が、オフィスの中で先ほどまで話をしていた会議室とは反対側の端に位置し、さらにその中でも壁際のキャビネットに手が届く場所にそのデスクはあった。床からもうずたかくダンボールが積み上がっていて、これでは周りからそこにいるのかどうかわからなかったのではないかと呆れた。必要なときに必要なデータや資料を出すことも叶わなかろう。
「これでも少し片付いたんですよ」
俺の心を読んだかのように言いながら、井上は天板の下の引き出しをそっと開けた。そこにはおびただしい数のUSBが収まっていた。ざっと数えて100以上はありそうな気がする。思わずうわあと声を漏らした俺を笑いながら、井上はUSBの一つを手に取った。
「本当にすごい数ですよね。一応使っていた期間の日付は書き込んであったのでいつのものかは確認できるんです。どうもこの方は几帳面な方みたいで、PCとUSBにしっかり分けてデータを格納していたようです。ものによっては和泉さんの後ろにあるキャビネットの中にも仕舞ってあります」
本当に几帳面であればもう少し使いやすく整えられている気がしないでもないが、時期の把握ができるのはありがたい。井上と並んでUSBをいじっていると、引き出しの底から角が丸くなった古い名刺が出てきた。先ほど井上にもらった名刺と同じデザインで「中川慎一」という人物のものだった。よく見るとUSBにも癖のあるカタカナでナカガワと書き込んである。石井なら彼のことを知っているだろうか。
「その人です、いなくなっちゃった人。勤続30数年で、今まで理由がない遅刻欠勤のない人だったらしいんですけどね。ご家族も行方不明者届を出されたそうですけど、全然情報がないって」
辺りを気にしながら井上が囁いてきた。
「どこに行っちゃったんでしょうね」
「さあ。神隠しにでも遭ったんですかね」
そんなやりとりをしたのが先週のことだった。つい先日、井上から赤いアルバムに関する企画が編集長に通った、一旦見つけられた紙媒体の資料を郵送したので到着し次第確認のうえ執筆に移ってほしい、といった内容のメールが届いた。俺はほくほくしながら承知の連絡を入れたが、蓋を開けてみればこれだ。こんなA4コピー用紙数枚の資料だけで何をどうやって書けって言うんだ。しかもこれ、分析・考察までついているじゃないか。もう記事になる予定だった? だいたいこれを書いたのは誰だ? ホチキスで留められた表紙には赤い水性ペンででっかく「掲載可」と書かれているが、面倒ごとには巻き込まれたくない。でも俺が持ち込んだ話ではあるし、第一石井の顔に泥を塗るわけにはいかない。どうしろってんだよ。なんかやばそうな姿見の話まで出てきたし。俺のいらだちを部屋中に撹拌するかのように、頭上ではシーリングファンがなめらかに回り続けている。
