残りかす姫は宮中でもふもふに癒される!?

 なんだか、とても暖かい。まるで、誰かに抱きしめられているような……。
 心地よさにうっとりしながら、香純はぼんやりと目を開けた。鳥たちの声が微かに聞こえる。
「もう、朝……って、えっ!?」
 そこで初めて気が付いた。
 夜具の中……香純の隣に、誰かが横たわっている。
 細いが逞しい腕は、女性のそれではない。すうすうと寝息を立てているその殿方に、まさに抱きしめられている格好である。

 ――なぜ? この方は誰!? 昨日は確か、雪丸を抱いて寝たはず。いっぱい甘えてくれて……って、その雪丸はどこ。いやいや、そうじゃなくて、この事態は一体……。

 混乱に陥った香純が、夜具から飛び出して「えええぇっ!?」と素っ頓狂な声を上げるまでしばらく間が開いた。
 その騒がしさで謎の殿方はようやく目を覚まし、夜具の上に半身を起こす。
 香純が真っ先に目を凝らしたのは、顔ではなくその『上』だった。

 ――頭の上についているのは、ふわふわの……耳!?

 被っている烏帽子を挟むように、白い三角のものがぴょこんとついている。
 香純はそれを何度も見てから、ようやく目を下に向け、相手の顔を確認した。
「あ、あなたは――有雪さま!」
「え……? あれ、ここどこだ。お前……藤袴の君か」
 先ほどまで香純を抱いて寝ていた寝ぼけ眼の君は、有雪だった。
 有雪は自分の手や身体をしげしげと見て、そのあと頭の上に生えているものに触れた。そのあと「そうか、ここで狐化が解けて……」などと、何やら呟く。
 香純は手近にあった円座(わろうだ)を投げつけた。
「ひどいです。……よっ、夜這いなんてっ!」
 有雪はすんでのところで飛んできた円座をかわし、大きく(かぶり)を振った。
「待て。誤解だ。夜這いじゃない」
「嘘。だって、夜具の中で私をだ、抱きっ……うぷぷっ」
 有雪は香純の傍に寄ってきて口を手で塞ぎ、強引に意義を封じた。その体制で「俺の話を聞いてくれ」と半分懇願するように言う。
 香純は口を塞いでいる手を引き剥がした。ようやく少し落ち着き、有雪の前で居住まいを正す。
 すると有雪は、おずおずと切り出した。

「信じられないかもしれないが、俺は……雪丸なんだ」

 香純は瞬きをいくらか繰り返したあと、盛大に首を傾げていた。
「……は?」
「うん。信じられないだろうな。順に話す。……俺はどうやら、何らかの『呪術』をかけられたようだ。それで、身体が時々あんな風に……子狐の姿に変わってしまう」
「呪術? 子狐……?」
「そうだ。術をかけられたのは今年の春。花の宴の帰り道だった。牛車に載っていたら、そこに何者かが現れ、まじないの書かれた札を投げ込んできたんだ」
 花の宴はとある貴族の邸で行われ、夜遅くまで続いた。帰るころにはすっかり夜の帳が下りていて、有平を載せた牛車と供の者一行は、月の出ていない暗い道を進んでいたという。
 闇に紛れていたせいか、あるいは何か身を隠すような術を使ったのか。有雪自身を含め、牛車に札を投げ込んできた者の姿かたちをはっきりと見た者はいなかったそうだ。
「投げ込まれた札に触れた途端、身体じゅうが痺れた。なんとか自分の邸までは戻れたが、しばらくしたら俺の身体は縮んで、白い毛に覆われていた」
 その姿で一晩過ごすと、日が昇るころには元の姿に戻っていた。有雪はすぐに馴染みの陰陽師を呼び寄せ、投げ込まれた札を見せたという。
「陰陽師が言うには、俺には狐の呪いがかけられているらしい。その呪いのせいでふいに身体が狐化する。一晩で元に戻ることもあれば、数日そのままということもある。狐化が起こるのがいつなのか、俺には制御できない」
 そこまで聞いて、香純は口を開いた。
「じゃあ雪丸って――犬ではなくて狐だったのですか!?」
「真っ先に言及するのはそこか」
 有雪は軽く肩を落とした。香純はこめかみに手を当て、(かぶり)を振る。
「にわかには信じられません。有雪さまが、雪丸だっただなんて……」
「それは致し方ないな。この俺だって、まさか自分がこんな目に遭うとは思っていなかった。だが、信じてもらうしかない。ほら、俺の頭を見ろ。狐の耳が生えているだろう。まだ完全に狐化が解けていないんだ。この耳に覚えはないか。何なら触れて確かめてみてもいいぞ」
 そう言われて、香純は有雪の頭の上に目をやった。
 ぴょこんと生えているふわふわの耳。左側だけが少し大きい。
 おずおずと手を伸ばし、そっと触れてみて「あ……」と声を上げていた。
「このふわふわふにふに、雪丸の耳ですね」
 間違いない。香純はこの耳をゆうべ何度も撫でた。左耳だけ大きいのも、まさに雪丸の特徴そのもので……。
「じゃ、じゃあ、本当に、有雪さまがあの雪丸なんですか!?」
 香純は手を引っ込め、改めて問うた。あの雪はぐいっと身を乗り出す。
「そうだ。だから、決して夜這いではない! 俺は狐の姿であえて宮中に出向き、俺に術をかけた者が誰か探っているんだ」
 有雪が懇意にしている陰陽師の話によれば、人を狐に変えてしまうような強い術が使える者はごく限られているとのこと。さらに、強い術を使うと呪詛返し……術者自身に跳ね返ってくるものも多く、たいていの陰陽師は自らこんなことをしないそうだ。
 逆に言えば、己の意思ではなく誰かに頼まれたのなら実行する。例えば、たんまりと褒美をもらえる場合など……。
 それほどの見返りを用意できるのは、おそらく貴族。中でも、内裏に出入りできるような公達に限られる。
 そこまで説明して、有雪は肩を落とした。
「まぁ。俺のことを面白くないと思う連中は少なくないからな。呪いたほど憎まれていてもおかしくはない」
「もしかして摂家の方々ですか。有雪さまに出世で追い抜かれてしまったという」
「お前ももう、そのあたりの事情は知っていたか。……俺に呪いをかけたのが摂家の連中かどうかはまだ分からないが、一番怪しいのは確かだ。それを含めていろいろと探っている。狐の姿なら油断するのか、皆、俺の前でも立ち話をやめないからな。お陰でいろいろ、きな臭い噂が集まっているものの、呪いをかけた相手が誰かまでは掴めていない。狐の姿でお前と初めて会った晩も、宮中を駆け回っていた。だが蔵人に見つかって外に放り出され、寒さで動けなくなった」
「そうだったんですね」
「俺の狐化の呪いを解くには、呪いをかけた相手をあぶりだし、術を使った者に解呪させるしかない。もうしばらく狐の姿で宮中を探るつもりだ。だからこの件……俺が狐の姿になることも含めて、誰にも言わないでくれ」
 有雪は潔く頭を下げた。身分がうんと低い、香純に向かって。
 香純はすぐに頷いた。
「わ、分かりました。誰にも言いません。あと……私もできるだけ噂話を探ってみます」
「俺に力を貸してくれるのか」
「はい。どこまでできるか、分かりませんが」
 一つ言えるのは、有雪が確実に困っているということだ。
 それに、お礼がしたいと思った。藤袴の君という名を付けてくれたその人に。
 ……と、そこまで考えてはっとした。
 香純はつい先ほどまで、雪丸のことを可愛い子犬だと思っていた。まさか『中身』が有雪だなんて、考えてもいなかった。
 だから半分独り言のつもりでいろいろ喋ってしまっている。藤袴の君という名をもらえて嬉しかったことや、有雪自身のことも語った。
 何よりもさんざん頬を摺り寄せ、もふもふして、ぎゅっと抱いて寝たのだ。中身が白檀の君である、雪丸を……。
「甘えん坊」
 気付けば香純はそう口にしていた。「は?」と聞き返してきた有雪に、僅かに身を乗り出す。
「有雪さまは、普段はあんなに甘えん坊なんですか。家ではすぐ抱っこをせがんだり、ぺたっと引っ付いてきたりなさっているんですか」
「……なっ。そんな、子供めいたことをするはずないだろう。俺をいくつだと思っているんだ」
「でも、子狐のときはあんなに……」
「あれは俺の素ではない。狐化すると少しだけ心が獣になるらしいんだ。つまり、野生の子狐そのもののように甘えたがりな性質が出て、自分でその気持ちを抑えられなくなる。特に、甘えてもいい相手がいると、もう……」
 有雪は気恥ずかしくなったのか、狐の耳を両の手でぎゅっと引っ張って俯いた。
 ――可愛い。
 そう思わずにはいられない。
 相手がいつか公卿となる人物だというのは分かっている。凛々しく矢を放つ姿も見ている。
 だが、今は可愛い。とてつもなく、いじらしい。
 香純は頬が緩むのを抑えられなかった。それを寝巻代わりの単衣の袖で懸命に隠しながら尋ねる。
「あの、一つ聞いてもいいですか。私が狐姿の有雪さまと初めて会ったあの晩のことですが、寒さで動けなくなる前に、どこか手近な局にでも潜り込めばよかったのでは。狐の姿なら、可愛いと思って寝床に入れてくれる女房がいると思いますけど」
 人の姿でも、有雪なら入れてくれそうだが。
「いや、狐化して以来、鼻が効きすぎてしまってな。もともと俺自身、白檀の香りしか纏っていなかったが、狐の姿になると女房たちが炊きしめている薫物の香りが強すぎる。その点……」
 有雪の手がつ、と伸びてきて、香純の髪に触れる。
「お前からは、いい香りがする。柔らかくて甘く、だが芯のある香りだ。抱いてもらっていても、心地がよかった」
「だ、抱いてもらって……?」
 間違ってはいないが、語弊がある。
 有雪がいつまでも髪に触れているので、香純は動けなくなってしまった。
 しばらくそうしていると、遠くから声が聞こえてきた。
「藤袴の君、いらっしゃいますかぁー」
 声で分かった。やってくるのは待宵だ。香純は髪に触れている有雪の手をそっと放し、慌てて御簾の外に出た。
「ど、どうしたんですか、待宵さん」
 寝間着姿の香純に対し、待宵はすでに女房装束をきっちりと身に着けている。随分と早起きのようだ。
 その待宵は、香純の背後にある御簾に目をやった。
「あら? どなたかいらっしゃっていたのですか?」
「いいえ。誰もいません!」
 香純は(かぶり)を振り、待宵を引っ張って自分の局の前から少し離れた。
 事情があるとはいえ御簾の内に殿方を……白檀の君を入れたということが露見したら、面倒臭いことこの上ない。
「そ、それで、私に何か用ですか」
 これ以上突っ込まれる前に、香純は慌てて話を変えた。
 待宵はにっこりと笑った。
「藤袴の君。登華殿の女御さまが――凪子さまが、あなたを后の女房として迎えたいとおっしゃっています」
「……え、私?」
 何を言われているのか意味が分からず、香純は自分を指さして聞き返した。
 待宵は力強く頷く。
「そうです。凪子さまが、藤袴の君をお傍に置きたいとおっしゃっているのです。命婦のおたまを助けてくれたから、と、大変感謝なさっておいでですよ」
「は、はあ」
「お分かりですか。女御さまのお傍に行くのですから、それなりの身分も授かることになるのです! 近々、藤袴の君の位階は、近々従五位まで上がるそうです」
「は、従五位!? それって殿上人じゃないですか!」
 殿上人とは、帝の住まいである清涼殿に上がることのできる貴族を指す。女蔵人の身では、到底許されぬことだった。夢のまた夢だと、思っていたのに……。
 幾度も瞬きを繰り返し、香純はとうとう叫んだ。
「――う、嘘でしょう!!」
 その声は宮中を駆け抜け。晴れ渡った空へと吸い込まれていった。