大手町駅のA6出口に直結したビルは、まるでホテルかと見まごうほどの豪華さだった。
一階は広々としたエントランスになっており、下層階、中層階、上層階に向かうエレベータが各四基ずつ並んでいる。このビル内にいったい何人の人間が収納されているのだろう。
高校まで一緒に馬鹿話をしていた友人が、こんな別世界で日々働いていたとは。うらやましいを通り越し、本当にあの聡子が? と別人説を疑いたくなってくる。本当の聡子はどこか別のところで元気に生きていて、同姓同名のバリキャリ女性が、過労を理由にビルから飛び降りてしまったとか――。
けれど聡子の母親から連絡がきて、聡子の部屋の遺品整理をした。間違いなく、死んだのはあの聡子だ。
やけに低いソファで所在なく座っていると、約束の時間ぴったりに目的の人間がやってきた。
「あの、佐東さんですか? 初めまして、久保です」
顔を上げると、目の前に華奢な女性が立っていた。綺麗に巻いた髪が鎖骨のあたりで揺れている。
「初めまして佐東です」私は、仕事用のペンネームを名乗っていた。「今日は突然すみません」
「いえいえ。あの、お話って聡子さん……河合さんのことですよね」
河合聡子というワードに、近くにいた何人かがこちらを振り返る。やはりビルからの飛び降りということで聡子の名はすっかり禁句になっているようだ。きっと発見当時はこのビルも一部封鎖されたりしたのだろう。
「場所を変えてもいいですか? ここへくる途中で空いてそうな喫茶店を見つけたんです。ちょっとレトロな感じでおしゃれな店とは言えないんですけど、よければそこに行きませんか?」
「行きましょう」と、久保が快諾してくれた。
店へと向かいながら、簡単な自己紹介をした。
前もって自分が聡子の幼馴染であること、わけあって聡子のスマホを預かっていることは話していたのだが、面と向かって喋るのはこれが初めてだ。私は、久保がとても若いのに驚いた。聡子が親しく付き合っているということは、自分と同じくらいの年齢の女性を想像していたのだ。
「久保さん、お若くてびっくりしました」と正直に話すと、「いえいえ。もうアラサーです」と久保は謙遜した。身に着けているものから三十代とは思えないので、おそらく二十代後半だろう。
穴場の喫茶店は、半分ほど席が埋まっていた。
店の奥のテーブルに陣取り、改めて今日のお礼を述べた。
「今日は本当にありがとうございます。お時間を取らせてしまってすみません。どうしても聡子の死に方が気になってしまって……」
「佐東さん、て」
と、久保はこちらの問いには答えずに、首を傾げた。「探偵かなにかの人なんですか?」
「え?」
「だって聡子さんのスマホを持っているとか、最期の様子を訊きたいとか。何を調べているんですか?」
「あ、違う違う」まさか小説のネタにしようと調べているなんて言えない。
「あの……聡子とは、仲が良かったから。小学校からの幼馴染で。それでどうしても気になって」
ぼそぼそと理由にならない理由を応えると、久保はあっさりと頷いた。
「ああ、親友だったんですね。それは気になりますよね」
親友、と言われすぐには頷けなかった。親友というわりには、ここ二年ほどLINEで新年のあいさつを交わすだけで、会ってすらいなかった。
「なんかハサミで耳を傷つけてとかって……、あれって本当なんですか?」
こちらが訊きたいことを、久保が逆に尋ねてきた。職場で起こった事件とは言え、実際に遺体をみたわけではないので信じられないのだろう。
「記事になっているから嘘ではないと思います。本当に、ハサミで耳をなんてどうしてそんなこと……。ね、聡子は何か悩んでいたりしたんでしょうか?」
久保は警戒を解いたのか、こちらが質問をする前にぺらぺらと喋り出した。
「別に悩んでいるようには……。普通だったと思います。仕事が忙しいのはいつものことですし、決算が過ぎれば忙しさも落ち着くでしょうし」
「具合が悪かったとか、何か病気が見つかったとかは言ってませんでした?」
うーん、と久保が首を傾げる。
「特には」
しょっちゅう食事に行く友人が言うのだから、病気発覚の線はないだろう。
「人間関係で悩んでいたりはしなかったかな? 恋愛関係とか」
社内の男と揉め、それで病んだのではないかと考えていた。もしかしたら、その男がハサミで聡子に切りかかったのではと。
しかし久保は首を横に振った。
「そういうのはなかったと思います。聡子さん、推し活で忙しそうでしたし」
予想が外れ肩透かしを食らった気分になる。ミステリーの読みすぎで、すぐに犯人は誰? と安っぽいことを考えてしまう。
「病んでいたっていうより、むしろこっちが引くくらい元気でしたよ? ノリが若いっていうか」
「ノリが若い……」
目の前の、まさに若い女性が「若い」と表現するのがなんともおかしかった。
「流行り物には敏感だし、ネットミームもなんでも通じるし、私たちの会話に普通に入ってこれていました」
ここで、あれ、と思う。「私たちの会話」の私たちには、聡子は含まれていなかったのだろうか。
かすかな違和感を感じ、質問の仕方を変えてみる。
「久保さんは、聡子と同じ部署なんですか?」
「違います。聡子さんは経理で、私は広報部です。フロアが違うので顔を合わせない日もあります」
「どうやって仲良くなったの?」
「一昨年の忘年会で席が近くなったんです。仲良くっていうか、時々ご飯を食べに行く感じです。月に一回とか二か月に一回とか」
「久保さんと、林さんと三人で?」
「あれ、林さんのことも知っているんですか?」
「ああ、うん。重ね重ねごめん。聡子のスマホを勝手に見ちゃったから」
「あ、そうでしたね。そうです、三人で時々ご飯に行ってました。仕事の愚痴聞いてもらったり、今はまってるドラマの話をしたり。聡子さんがいる時は、私たちもドラマの話を多めにしました」
聡子さんがいる時は、ということは、聡子がいない時もあったのだろう。そして林と二人の時は、話題に気を遣わずにのびのびとおしゃべりしていたのだろう。
聡子のLINEの一番上に位置していた、林・久保のグループが寂しく思える。
おそらく聡子の気持ちと、久保たちが聡子に抱く気持ちとは、少し乖離していたようだ。落ち着いて考えてみれば当然だ。久保はどうみても二十代、一回りくらい年の違う人間と、同じ話題で盛り上がれるとは思えない。私たちが高校を卒業して社会に出る(または大学に進学する)という時に、この子たちは新一年生として小学校に入学するのだ。世代が違うどころか、生きてきた環境が違い過ぎる。
「聡子さん、親戚のお姉さんみたいな感じでした。聡子さんのほうから『ため口でいいよ』って言ってくれてましたし」
「ああ、聡子優しいもんね」
上下関係の厳しいバスケ部で、後輩の面倒を見るという習慣が身についていたのだろう。万年帰宅部の私には、理解の及ばないところだ。
「この前神保町で飲んだ時、コンビニ前で流れていたモスキート音が聞こえないって聡子さん言ってて、こんなに大きな音出てるのに聞こえないのってみんなで笑いました。そういう時に年齢をいじっても許してくれるっていうか」
「ああ、あの若者がたむろしないように流している音でしょ? 私も全然聞こえない」
たむろって、と久保は口を押えて笑い転げた。たむろするという単語が、妙にツボに入ったようだ。久保の笑いが収まるまで、コーヒーをすすりながら待った。
久保は、終始明るい。――正直、妙な明るさだなと思った。仲良くしていた一人が異常な死に方をしたというのに、まるで自分とは無関係の場所で起こったニュースについて話しているような軽さだ。
今日はあてが外れてしまった。仲の良かった人間に話を聞いて、聡子の最近の様子や悩みを抱えていなかったかなどを聞こうと思っていたのに。この子は単純な会社の後輩のようだ。
久保がアイスカフェラテのグラスをテーブルに置くのを見計らい、さりげなく聞いてみる。
「他に聡子のことよく知っている人いないかな? 同じ部署のひととか」
「同じ部署かあ。……聡子さんの仲良かったひととか、あんまりわかんないですね」
「同期の人間とか。聡子が悩みを相談しているような」
「それって」と、林が軽く首を傾げた。
「佐東さんが一番詳しいんじゃないんですか? 小学校からの親友なんですよね?」
真っすぐに見据えられ、言葉に詰まる。今さら二年ほど顔を見ていないとは言い出し辛い。親友だと名乗ったのが災いした。
「そう、だね」
二年も会っていなかったのに、死んだと聞いて急に周辺を調べ始める。スマホを覗き、友人関係を調べ、こうして実際に会って私生活を聞き回っている。「追悼の意味も込めて」なんて言い訳をして。――あわよくば、コンテストに出す小説のネタにしようとしている。
さっきは久保を妙な子だと思ったが、自分のほうこそよっぽど異常な人間だ。
さ い てい
「えっ⁉」
耳元で女の声が聞こえ、弾かれたように顔を上げる。私の勢いに久保が「びっくりしたー」と目を丸くする。
「どうしたんですか? 急に大声出して」
「…………今、なにか言った?」
言ってません、と久保がかぶりを振る。――久保ではないのはなんとなくわかっている。本当に耳のそば、まるで耳打ちされるような距離で聞こえた。
「ごめんね驚かせて――」
さ さい て イ な、 おん な
「っ――」
悲鳴をなんとか飲みこむ。――――掠れて低いが、聞き覚えのある……聡子の声だ。
一階は広々としたエントランスになっており、下層階、中層階、上層階に向かうエレベータが各四基ずつ並んでいる。このビル内にいったい何人の人間が収納されているのだろう。
高校まで一緒に馬鹿話をしていた友人が、こんな別世界で日々働いていたとは。うらやましいを通り越し、本当にあの聡子が? と別人説を疑いたくなってくる。本当の聡子はどこか別のところで元気に生きていて、同姓同名のバリキャリ女性が、過労を理由にビルから飛び降りてしまったとか――。
けれど聡子の母親から連絡がきて、聡子の部屋の遺品整理をした。間違いなく、死んだのはあの聡子だ。
やけに低いソファで所在なく座っていると、約束の時間ぴったりに目的の人間がやってきた。
「あの、佐東さんですか? 初めまして、久保です」
顔を上げると、目の前に華奢な女性が立っていた。綺麗に巻いた髪が鎖骨のあたりで揺れている。
「初めまして佐東です」私は、仕事用のペンネームを名乗っていた。「今日は突然すみません」
「いえいえ。あの、お話って聡子さん……河合さんのことですよね」
河合聡子というワードに、近くにいた何人かがこちらを振り返る。やはりビルからの飛び降りということで聡子の名はすっかり禁句になっているようだ。きっと発見当時はこのビルも一部封鎖されたりしたのだろう。
「場所を変えてもいいですか? ここへくる途中で空いてそうな喫茶店を見つけたんです。ちょっとレトロな感じでおしゃれな店とは言えないんですけど、よければそこに行きませんか?」
「行きましょう」と、久保が快諾してくれた。
店へと向かいながら、簡単な自己紹介をした。
前もって自分が聡子の幼馴染であること、わけあって聡子のスマホを預かっていることは話していたのだが、面と向かって喋るのはこれが初めてだ。私は、久保がとても若いのに驚いた。聡子が親しく付き合っているということは、自分と同じくらいの年齢の女性を想像していたのだ。
「久保さん、お若くてびっくりしました」と正直に話すと、「いえいえ。もうアラサーです」と久保は謙遜した。身に着けているものから三十代とは思えないので、おそらく二十代後半だろう。
穴場の喫茶店は、半分ほど席が埋まっていた。
店の奥のテーブルに陣取り、改めて今日のお礼を述べた。
「今日は本当にありがとうございます。お時間を取らせてしまってすみません。どうしても聡子の死に方が気になってしまって……」
「佐東さん、て」
と、久保はこちらの問いには答えずに、首を傾げた。「探偵かなにかの人なんですか?」
「え?」
「だって聡子さんのスマホを持っているとか、最期の様子を訊きたいとか。何を調べているんですか?」
「あ、違う違う」まさか小説のネタにしようと調べているなんて言えない。
「あの……聡子とは、仲が良かったから。小学校からの幼馴染で。それでどうしても気になって」
ぼそぼそと理由にならない理由を応えると、久保はあっさりと頷いた。
「ああ、親友だったんですね。それは気になりますよね」
親友、と言われすぐには頷けなかった。親友というわりには、ここ二年ほどLINEで新年のあいさつを交わすだけで、会ってすらいなかった。
「なんかハサミで耳を傷つけてとかって……、あれって本当なんですか?」
こちらが訊きたいことを、久保が逆に尋ねてきた。職場で起こった事件とは言え、実際に遺体をみたわけではないので信じられないのだろう。
「記事になっているから嘘ではないと思います。本当に、ハサミで耳をなんてどうしてそんなこと……。ね、聡子は何か悩んでいたりしたんでしょうか?」
久保は警戒を解いたのか、こちらが質問をする前にぺらぺらと喋り出した。
「別に悩んでいるようには……。普通だったと思います。仕事が忙しいのはいつものことですし、決算が過ぎれば忙しさも落ち着くでしょうし」
「具合が悪かったとか、何か病気が見つかったとかは言ってませんでした?」
うーん、と久保が首を傾げる。
「特には」
しょっちゅう食事に行く友人が言うのだから、病気発覚の線はないだろう。
「人間関係で悩んでいたりはしなかったかな? 恋愛関係とか」
社内の男と揉め、それで病んだのではないかと考えていた。もしかしたら、その男がハサミで聡子に切りかかったのではと。
しかし久保は首を横に振った。
「そういうのはなかったと思います。聡子さん、推し活で忙しそうでしたし」
予想が外れ肩透かしを食らった気分になる。ミステリーの読みすぎで、すぐに犯人は誰? と安っぽいことを考えてしまう。
「病んでいたっていうより、むしろこっちが引くくらい元気でしたよ? ノリが若いっていうか」
「ノリが若い……」
目の前の、まさに若い女性が「若い」と表現するのがなんともおかしかった。
「流行り物には敏感だし、ネットミームもなんでも通じるし、私たちの会話に普通に入ってこれていました」
ここで、あれ、と思う。「私たちの会話」の私たちには、聡子は含まれていなかったのだろうか。
かすかな違和感を感じ、質問の仕方を変えてみる。
「久保さんは、聡子と同じ部署なんですか?」
「違います。聡子さんは経理で、私は広報部です。フロアが違うので顔を合わせない日もあります」
「どうやって仲良くなったの?」
「一昨年の忘年会で席が近くなったんです。仲良くっていうか、時々ご飯を食べに行く感じです。月に一回とか二か月に一回とか」
「久保さんと、林さんと三人で?」
「あれ、林さんのことも知っているんですか?」
「ああ、うん。重ね重ねごめん。聡子のスマホを勝手に見ちゃったから」
「あ、そうでしたね。そうです、三人で時々ご飯に行ってました。仕事の愚痴聞いてもらったり、今はまってるドラマの話をしたり。聡子さんがいる時は、私たちもドラマの話を多めにしました」
聡子さんがいる時は、ということは、聡子がいない時もあったのだろう。そして林と二人の時は、話題に気を遣わずにのびのびとおしゃべりしていたのだろう。
聡子のLINEの一番上に位置していた、林・久保のグループが寂しく思える。
おそらく聡子の気持ちと、久保たちが聡子に抱く気持ちとは、少し乖離していたようだ。落ち着いて考えてみれば当然だ。久保はどうみても二十代、一回りくらい年の違う人間と、同じ話題で盛り上がれるとは思えない。私たちが高校を卒業して社会に出る(または大学に進学する)という時に、この子たちは新一年生として小学校に入学するのだ。世代が違うどころか、生きてきた環境が違い過ぎる。
「聡子さん、親戚のお姉さんみたいな感じでした。聡子さんのほうから『ため口でいいよ』って言ってくれてましたし」
「ああ、聡子優しいもんね」
上下関係の厳しいバスケ部で、後輩の面倒を見るという習慣が身についていたのだろう。万年帰宅部の私には、理解の及ばないところだ。
「この前神保町で飲んだ時、コンビニ前で流れていたモスキート音が聞こえないって聡子さん言ってて、こんなに大きな音出てるのに聞こえないのってみんなで笑いました。そういう時に年齢をいじっても許してくれるっていうか」
「ああ、あの若者がたむろしないように流している音でしょ? 私も全然聞こえない」
たむろって、と久保は口を押えて笑い転げた。たむろするという単語が、妙にツボに入ったようだ。久保の笑いが収まるまで、コーヒーをすすりながら待った。
久保は、終始明るい。――正直、妙な明るさだなと思った。仲良くしていた一人が異常な死に方をしたというのに、まるで自分とは無関係の場所で起こったニュースについて話しているような軽さだ。
今日はあてが外れてしまった。仲の良かった人間に話を聞いて、聡子の最近の様子や悩みを抱えていなかったかなどを聞こうと思っていたのに。この子は単純な会社の後輩のようだ。
久保がアイスカフェラテのグラスをテーブルに置くのを見計らい、さりげなく聞いてみる。
「他に聡子のことよく知っている人いないかな? 同じ部署のひととか」
「同じ部署かあ。……聡子さんの仲良かったひととか、あんまりわかんないですね」
「同期の人間とか。聡子が悩みを相談しているような」
「それって」と、林が軽く首を傾げた。
「佐東さんが一番詳しいんじゃないんですか? 小学校からの親友なんですよね?」
真っすぐに見据えられ、言葉に詰まる。今さら二年ほど顔を見ていないとは言い出し辛い。親友だと名乗ったのが災いした。
「そう、だね」
二年も会っていなかったのに、死んだと聞いて急に周辺を調べ始める。スマホを覗き、友人関係を調べ、こうして実際に会って私生活を聞き回っている。「追悼の意味も込めて」なんて言い訳をして。――あわよくば、コンテストに出す小説のネタにしようとしている。
さっきは久保を妙な子だと思ったが、自分のほうこそよっぽど異常な人間だ。
さ い てい
「えっ⁉」
耳元で女の声が聞こえ、弾かれたように顔を上げる。私の勢いに久保が「びっくりしたー」と目を丸くする。
「どうしたんですか? 急に大声出して」
「…………今、なにか言った?」
言ってません、と久保がかぶりを振る。――久保ではないのはなんとなくわかっている。本当に耳のそば、まるで耳打ちされるような距離で聞こえた。
「ごめんね驚かせて――」
さ さい て イ な、 おん な
「っ――」
悲鳴をなんとか飲みこむ。――――掠れて低いが、聞き覚えのある……聡子の声だ。
