耳年齢テスト 20kHz

 聡子の部屋から持ち帰ったのは、ノートパソコンとタブレット、それにおそらく私用だと思われるスマホだ。スマホはおばさんが持ち帰ったほうがいいのではと思ったが、おばさんは頑なに「〇〇ちゃんが処分して」と受け取らなかった。
 ほんの二、三時間部屋の片づけを手伝っただけなのに、ひどく疲れた。死んだ人間の部屋に立ち入るという事実が、身体を緊張させるのだろうか。
 ベッドに寝転がったまま、机の一角に積み上げた聡子の遺物を眺める。
 今はパソコンを立ち上げて中を検分する気にはなれない。けれどスマホならば寝たまま操作できる。聡子のスマホは偶然、私が今使っている機種と同じだった。iPhone16。当然指紋認証はできないので適当なパスコードを入力してみる。二度ほど失敗した。
(……これって、何回も失敗したらロックとかされるのかな)
 自分のスマホで何度もトライした経験がないので、失敗を繰り返すと何が起こるがわからない。慎重に三度目の6桁を考えた。
 生年月日に加え聡子の名前のゴロを組み合わせてみる。するとスマホはなんなく開いた。
「……セキュリティ」
 いざ開いてしまうと、本当に見ていいのだろうかと迷った。おばさんからは処分を頼まれたのであって、中身を確かめてほしいとは言われていない。
 けれど――。
 どうしてもあの異様な死にざまが気になった。ハサミを耳に刺してから飛び降りる? いくらストレスで参っていたからってそんな真似するだろうか。そもそも、本当に仕事からくるストレスによる自殺なのか……。――スマホを見たら、何かわかるのではないか。
 結局私は、ものすごい勢いでアプリを開きまくっていた。
 使用頻度の低そうなアプリや、デフォルトのゲームアプリは一つのフォルダにまとめられ、ホーム画面はすっきりと片付いていた。仕事のできる聡子らしい。
 メールアプリは、とりとめもないメールマガジンで溢れていた。重要なメールは、おそらく仕事用の端末にあるのだろう。
 申し訳ないと思いつつもLINEを開け、どんな人間と、どんなやり取りをしていたのか確かめる。自分のアイコンがかなり下のほうにあり、連絡を疎かにしていたのは自分のほうなのになんとなく悲しくなる。
 上のほうに、友人らしきグループと「推し活」というグループが並んでいた。
 聡子は昔から宝塚のファンで、「推し活」グループでは、同志との連絡のやり取りがされていた。いつの公演の、どの席が取れただとか、出待ちはするのかだとかが頻繁にやり取りされている。
 友人グループは、会社の同僚だろうか。食事の約束や誕生日を祝うメッセージなど、気の置けない仲間たちとの他愛のないやりとりが繰り広げられている。
 どこを見ても、何かに深く悩んでいる様子はない。
 最後にSafariを開いてみる。
 ニュースサイト、株価、料理レシピやYouTubeが開いたままになっている。どんな動画を見ていたのだろうと、興味本位でYouTubeの履歴を覗いてみる。
「モスキート音」のテスト動画がずらりと並んでいて、ぎょっとした。
「年代別モスキート音」、「スマホで再生できる! モスキート音」、「耳年齢チェック」、「若者にだけ聞こえる不快音」等々。
 何をこんなに――。
 例えば自分の可聴域が気になってテストを試してみたとしても、こんなにいくつもの種類を試したりしない。
 モスキート音に関する動画が、ゆうに三十以上は並んでいる。その間を縫うように「耳の聞こえ改善」「耳トレ」などの訓練動画が挟まっている。
「なに、これ……」
 思わず口に出していた。
 聡子はなにか聴力に問題を抱えていたのだろうか。実際に病院に行く前に、自分で軽く診断をしていたのだろうか。それとも誰かに耳の聞こえを指摘された?

『河合さんは発見時、左耳の奥深くに事務用ハサミが刺さった状態だった』

 ニュース記事の一文が蘇ってくる。
(これが、関係している……?)
 聡子の変死の原因を突き止めたような気がして、ほんの一瞬気分が昂る。が次の瞬間、覗いてはいけない深淵に近づいたような気がした。
(……)
 試しに、履歴の一番上の動画を見てみる。
 十歳きざみで高周波音が流れてくる。七十代、六十代、五十代と年齢が下ってくるが、四十代からぴたりと音が聞こえなくなった。まさか、自分の耳がもう四十代の音を捉えられないのかと、思わずむきになって三回も繰り返し聞いてしまった。四回めにして、ようやく四十代の音を聞き取ることができた。

 んっ ふ ふ ――

 女の含み笑いが耳元をかすめ、勢いよく振り返る。
「……」
 ……嘲笑うような、咳払いのような。
 耳の真横で聞こえた。――何、今の。当然一人暮らしの部屋には私しかいない。
「……ここ、壁薄いから」
 気味が悪くなり、自分に言い聞かせるように声に出す。
 隣の住人が帰ってきたのだろう。時々、隣室の生活音が聞こえてくるもの。