名前だけでも忘れてください

某家屋解体時に見つかった手記(年不詳)

飢えがひどい。子らの泣き声が夜通し止まぬ。畑は枯れ、井戸は浅く、空は青いだけで何も落とさぬ。
寺の御坊は静かな人であった。よく笑う。腹が減っても笑う。あれは強さだと思っていた。

あの夜、村の年寄り衆が集まり、話が決まった。
御坊を皆で無理やり土間に座らせ、背を支えた。
思いのほか暴れおった。暴れなければあそこまで殴られなかったものを。

笑みが消えぬようにと、誰かが言った。縁起を整えるためだと。
針を持つ手が震えた。口角を少し上げるだけのことだと言われた。
血は思ったよりも少なかった。

逃げぬよう、動かぬように。村のためだ。子らのためだ。
足を押さえ、刃を入れた。御坊が何か言った。
「やめよ」だったか、罵詈雑言だったか、もう思い出せぬ。

鈴を持たせたのは、誰だったか。夜のあいだ、音が鳴りやまぬようにと。
音が止まると、皆が不安になるからだ。

翌朝、御坊はまだ笑っていた。目は開いたまま、我らを見ていた。
まぶたを閉じてやろうとしたが、うまくいかなかった。
あの笑みは、我らが作ったものだ。

その年、雨が降った。
稲は育った。人は助かった。

皆、御坊のおかげだと言う。
我らもそう言う。そう言わねばならぬ。

夜になると、鈴の音がする気がする。
風のせいだ。
そうだ、風のせいだ。

あの笑みは、救いの形だった。
そうでなければ困る。

――もしこの帳面を読む者があれば、
どうか、我らを責めるな。
あのときは、あれしかなかったのだ。



笑い声が聞こえる。夜になると特にそうだ。
村は栄えたが、それも一時のこと。

村人は次第に病み始めた。
最初はおそらく、そう、御坊の顔を執拗に殴った者が。
泡を吹きながら笑って死におった。
次いでは女が。歩けなくなった。虫のような細い足になった。
女は自分の足を食べて死んだ。

男が死んだ。女が死んだ。子どもが死んだ。

御坊の呪いに間違いあらぬ。我々は御坊を篤く奉った。
寺に鏡を敷き詰め並べた。笑顔を増やすためだ。笑う間は何も起こらぬ。
村は次第に笑い声に満ち溢れた。
笑いながら、皆のその目は怯えていた。
呪いで死んだ者は、死してなお永劫御坊に苦しめられるらしい。
そんな噂が広まった。
笑うしかない。
我々にはもう、それしか残されていない。