「ナヅキ」とは何者なのだろうか。
「岩壁の写真画像」の場所は、いったいどこにあるのだろうか。
その契機となる特定ウェブ広告画像、通称「Click広告」は、何のために現れたのだろうか。
それらは何故、株式会社■■■■■社内ネットワークにのみ現れたのか。
本稿はそれらの疑問に答えるものではない。何故なら「不明である」としか言いようがないためだ。「ナヅキ」の存在は社員によって肯定され、否定されることを繰り返している。
「ナヅキ」という人物は、己の行動を自身を認識した社員に委ね、いかなる責任を持つことはないにもかかわらず、社内での地位を確立している。
三人家庭に例えるならば、新しい四人目の家族が突如発生し、その人物は家族全員に好意的に捉えられている。明るく頼もしいその四人目の家族は、しかし自分たち家族以外には認識されない。
四人目の家族は、例えば大きな棚を作ってくれる。しかし、実際に作ったのは自分だ。四人目の家族は、車を運転してくれるかもしれない。しかし、実際に運転したのは母だ。四人目の家族は、おいしい料理を振る舞ってくれるかもしれない。しかし、実際に作ったのは父だ。
四人目の家族は、思い出に残る旅行に連れて行ってくれるかもしれない。たとえ、旅行に行った事実すらなかったとしても。
四人目の家族は、あなたに寄り添っているようで、あなたの行動に対し何の責任を負わない。そして、その存在を否定され、実際にはいないことを再認識するたびに、あなたは自分を信じられなくなっていく。
存在しない人間を認識することは、自分自身への猜疑心を生むのだ。「ナヅキ」も「岩壁の写真画像」も、認識してしまった人物にとっては実在する対象となる。しかし実在を否定した後は、それらは非実在の存在へと転換し、「間違ってしまった自分」を責めてしまうのだ。
ウェブ広告画像を避けることは現実的ではなく、また、特定ウェブ広告画像は通常のウェブ広告画像と異なる性質を持つことは明らかである。
改めて、ここに特定ウェブ広告画像の再現を掲載する。

上記ウェブ広告画像を確認した場合、すみやかに専用フォーム[ https://■■■.form-em.jp/as/564p99942 ]から危機管理担当部署へ報告するよう強く求める。
本稿執筆にあたり、[ 削除 ]会社[ 削除 ]氏、及び[ 削除 ]大学[ 削除 ]氏の協力をいただいた。改めて感謝申し上げる。



