(ここが、燈花宮……)
小さな風呂敷包みを抱えた芙月は、目前に聳え立つ大きな宮を見上げた。
後宮には、帝が住む宮がある。その名は燈花宮。
政を行う執務室や、集会を行う応接間、私室など燈花宮にいればある程度のことはできる。
(本当に私が入っても良いのかしら……)
華麗な宮に圧倒されつつ、芙月は自分の格好を見た。
薄汚れ、今にも破けそうな着物を着た自分が、ここに足を踏み入れるなど場違い極まりない。
(どうしてこうなってしまったの……)
ため息混じりに、数日前の夜の出来事を思い出した。
――そなたの素晴らしい力を私のために使え。
確かに帝はそう言ったが、その日は特に進展はなかった。
だからその場の思いつきでの発言だと思っていたのに、昨日の仕事の合間に明らかに不機嫌な沙々に呼び出され、帝の発言が事実だったことをようやく理解したのだった。
「なんで下っ端のあんたが、主上さまに名を知られているのよ?」
沙々は明らかに不機嫌だった。だが、芙月はなぜ沙々が怒り狂っているのか分からず首を傾げる。
「主上さまからの命令よ。あんたを明日から燈花宮の官女にしなさい、と」
「……え?」
沙々の言葉に耳を疑う。聞き返せば、沙々の顔はさらに歪んだ。
「何度も言わせないで! あんたがここから居なくなるのは清々するけど、主上さまの下で仕えることになるなんて……!」
「……」
普段なら沙々の悲鳴に違い大声に身をすくめるはずだが、今はそれどころではない。
帝の住む宮で仕えるとは、大きすぎる出世じゃないか。
芙月は頭を抱えた。
(私なんかが、務まるはずないわ……)
そんな高い位、自分には恐れ多すぎる。芙月は永遠にも取れる沙々の小言を聞きながら、明日からの生活に不安を覚えた。
そして、今、宮内に入ろうか足踏みをしている。
帝の命となれば逆らうことはできないが、勇気が出なかった。
その時、右往左往していた芙月の背後から声が掛かる。
「あなたはもしかして、芙月殿でしょうか?」
振り返れば、優しそうなタレ目が特徴的な男がいた。紺色の直衣を着こなし、芙月を見ている。
「は、はい……」
「お話は聞いております。私は主上の側仕えの桜雅と申します。中までご案内しましょう」
にこやかな笑みに、負の考えが少し薄らいだ。芙月は桜雅の後を追って、恐る恐る燈花宮に足を踏み入れたのだった。
宮内は意外にも落ち着いた造りだった。
建物の大きさから派手な内装を予想していたが、落ち着いた色味でまとめられつつ、物が少ない。だが、庭や玄関先、部屋の床の間など至る所に花が置かれていた。
落ち着いた内装に花が映えて品の良い、居心地の良さそうな場所だったが、芙月が気になったのはそこではなかった。
周囲を見回しながら進んでいくが、一向に人と会わない。帝ともなれば多くの官女や側仕えを置いていると思ったが、人がいる気配が全くしなかった。
「あの」
不安になり、前を歩く桜雅の背中に声をかける。
「いかがされました?」
「燈花宮には他の官女の方はいらっしゃらないのでしょうか?」
ちょうど庭が見える回廊に辿り着き、桜雅は足を止めて庭を眺めた。芙月も真似て庭を見る。
大きな桜の木をはじめ、色とりどりの花が庭を彩る。
風が芙月の髪や花たちを柔らかく揺らした。
「ここには、二人しかおりません」
「え?」
突拍子のない言葉に、芙月は桜雅を見た。
「側仕えとして主上のおそばにいるのは私だけですね。主上は自分のことはほとんど自分で行います。食事や清掃は乳母時代からの官女が行ってくれていますが、いかんせん年も年なので、新しい官女を探しておりました」
「と、いうことは……」
「あなたが燈花宮唯一の官女になります」
桜雅の言葉に、芙月は持っていた荷物を落としそうになった。
唯一の帝に仕える官女なんて、そんな大役自分に務まるわけない。今から何か理由をつけて辞退することはできないだろうか。
「えっと、あの、私には荷が重すぎると言いますか、私には適していないと思うのですが……」
必死に訴えるも、桜雅はただ微笑むばかりだった。
「大丈夫です。主上は本当は悪い人ではありませんよ」
思わず出てきそうになったため息を飲み込み、渋々前に進むのだった。

