落ちたものは帝の足のすぐ近くに着地する。
慌てて手を伸ばすが、芙月が拾うより先に帝が拾い上げ、それをまじまじと見た。
「これは……」
芙月の胸元から落ちたのは、押し花になった三色菫のしおりだった。小ぶりな黄、橙の花が可愛らしいもの。
少しずつ、帝の眉間に皺が寄るのが分かった。
「これはしおりか? それにこの花は……」
「えっと……」
歯切れの悪い返答に、帝の鋭い目つきが芙月を捉えた。
「この花が咲く花壇は、掃部長に管理をお願いした。それなのになぜ一官女のそなたがこの花を持っている。私の知らぬところで摘んだのか?」
「け、決してそう言うわけではございません……!」
帝が不信感を持つのも無理はない。
後宮には四季折々たくさんの花が咲いているが、三色菫が咲いているのは、先日沙々の命で手入れをし直したあの花壇だけ。
それなのに、三色菫が押し花になっているということは、あの花壇から無断で抜き取ったと思われても致し方ない。
「では、理由を聞かせてもらおうか?」
帝の顔が間近に迫る。
何と言えば良いのだろう。
沙々に命令されたと言っていいものか、芙月は視線を彷徨わせた。
「……申し訳ございません。私のようなただの官女が触れてはいけない花壇だと理解はしておりましたが、あまりにも花が可哀想に思えまして勝手に……」
芙月は小さな声で呟いた。
「あの花壇の三色菫は、少し咲きすぎておりましたから、間引かせて頂いたのです」
「咲きすぎ、だと?」
「はい、花は一つの場所に詰めすぎてしまうと、土の中の水や養分を奪い合い成長が止まってしまいます。また、花同士の風通しが悪く腐ってしまうのです。そのため、枯れた花は抜き、成長途中の小さな花は間引かせて頂きました。間引いた花がもったいなくて、押し花にしてしおりにしたのです」
間引いた花にも命がある。まだ美しく咲いている花を捨てるなどできなかった。
花の声が聞こえる稀な者として、どんな花も美しく生きられるように手を尽くしたい。それが芙月の願いだった。
「腐るくらい咲いていたのか。一体なぜ……」
「土の中に育成剤が含まれていました。それによって花が勢いよく成長したのでしょう」
「育成剤だと?」
育成剤と聞き、帝の目が再び鋭くなった。その鋭さに思わず身震いする。
「で、ですが、もう正しい処置を致しましたので心配はいりません」
芙月の話を聞いていた帝の表情は真剣そのものだった。花のことになると表情がころころ変わっていく。
「相分かった。もう良い」
黙って話を聞いていた帝は、一つ頷くと、手の中のしおりを芙月に差し出した。
「これは返すが、ひとつ、そなたに問いたい」
「……はい?」
「どうして育成剤が使われていたのか分かったのだ? 枯れるにも色々原因は考えられるだろう?」
「えっと、それは……」
思わず口籠る。いくら相手が帝でも、口が裂けても、花の声が聞こえたから分かりましたとは言えたもんじゃない。
この力は気味の悪い、隠すべきものなのだから――
芙月は深呼吸をすると、しおりを見つめながら答えた。
「……花を見ていれば、なんとなく分かります」
「ほう」
「花は正直です。よく見て、愛情を持っ関われば、なんとなく分かるようになります。私は幼い頃から花とよく触れていましたので」
理由を偽るために咄嗟に出ためちゃくちゃな言葉だったが、これは常日頃芙月が思っていたことだった。
適切な世話をすれば美しく咲き、環境が悪ければ正直にその結果が現れる。
こちらが思いを込めても、一方通行で終わる可能性もある人間とは大違いで、花は素直だ。
恐る恐る帝を見れば、目を見開き固まっていた。かと思えば、これまで固く結ばれていた唇が緩やかに弧を描く。
「そなたは面白いな。それに、花への観察力、なかなか他人には真似できないだろう。才能だな」
「……!」
(私、褒められている……?)
自分に向けられている小さな笑みと言葉に、芙月は身動きが取れなくなった。
もちろん、帝は無表情でも顔が良い。しかし、笑むことでその美しさにより拍車がかかった。
そしてこれまでの人生、褒められたことがほぼなかった芙月にとって、帝の言葉は胸の中を温かくした。
じわじわとぬくもり広がり、何かが込み上げてくる。
「人間はすぐに嘘をつくし、隠すから信じられぬ。しかし、花は誤魔化しが効かない…… だから私は花を好む」
冷酷と呼ばれる帝の内面を垣間見た芙月は、それまで抱いていた帝への負の感情が薄れていった。
それと同時に彼の心の奥底に、黒い何かが潜んでいることを感じ取った。
「花に対し、私と近しい考えの人間と出会ったのは初めてだ。芙月、そなたに興味がある」
「……はい?」
「そなたの素晴らしい力を私のために使え」
夜風が桜の花びらを巻き込んで、辺りに散らしていく。
芙月の心の中もざわめき、乱れていくのだった。

