「大丈夫か?」
優しく腕が解かれ、くるりと帝の方に向き直された。
「はい。私は大丈夫です」
「噓を言うな」
「え?」
帝はそっと芙月の右頬を撫でた。その指先が赤く染まる。
「血が出ている」
「あ……」
緊張がほぐれた途端、頬がじんじんと痛み出す。沙々の動きを止めようとした時に、刃先が当たったことを思い出した。
「何ともありません。このくらい」
このくらいなんてことない。浅い傷であれば、時間がかかったとしてもいつかは治る。しかし、この荒らされた花壇が美しく直るかは断言ができない。それほどまでに荒らされたことが悲しくてしょうがない。しかも、事の発端が自分のせいだったと分かればなおさらだ。
根がむき出しになっている皐月の花をぼんやりと見つめていると、自然と涙が溢れてきた。止めたくても、止められず、ほろほろとどんどん落ちていく。
「今日はもう休め……芙月?」
涙を零す芙月に気付いた帝は、口を閉じた。そして、優しく芙月を引き寄せ、たくましい腕の中にまた閉じ込めた。
帝の胸に身体を預けていると涙は乾くどころか、安心感からさらに流れ出てきた。
「泣くな」
帝は不器用ながらにそっと芙月の背を撫でる。
「私のせいです…… 私のせいで主上さまの大切な花が傷ついてしまいました…… 申し訳、ございませ
ん……」
しゃくりあげながら謝罪をする。自分のせいで他人に迷惑をかけた、という事実が芙月の心を壊していく。
「そなたは何も悪くない。大丈夫だ。私は知っている。そなたが悪くないことも、常々どんなに花を大切に思っているかも。自信を持て。私の庭を守ってくれて感謝する」
あぁ、やはり、このお方は優しい。
決して芙月を責めず、こうして話に耳を傾けてくれる。
誰かに守られるとは、こんなに安心するものなのか。
誰かに認めてもらえるとは、こんなに嬉しいものなのか。
安心感に満たされた芙月は、帝の胸の中で、そっと意識を手放した。
◇◇◇
腕の中で眠る芙月の頬には、赤い一本線が入っていた。痛々しいその傷跡に、思わず顔が歪む。
茶を淹れてくれた時の態度の違いから違和感を覚えた帝は、桜雅に後を追わせていた。事が大きくなる前に呼ばれて向かったが、遅かった。
「もっと早く駆け付けていれば、こんな傷つかなかったはずだ」
後悔しても時は戻らない。分かってはいるが、やりきれない怒りで頭がおかしくなりそうだった。
芙月を抱きかかえ、彼女の部屋に向かう。頬に残る涙の跡がたった今の出来事を物語っていた。
布団に寝かせ、寝顔を見ていると、桜雅が音を立てずに現れた。
「やはり、あの女が、芙月殿がなくしたと言われていたものを持っておりました」
「やはりか」
「嫉妬だったようです」
「嫉妬?」
「自分より下っ端の芙月殿が主上に見初められたことが気に食わなかったのでしょう。私の方が適任だとわめいておりました」
「ふん、口をきけないようにしてやれ」
そんな自己中心的で傲慢な女はごめんだ。
すやすやと眠る芙月の頭にそっと触れる。
疑うことなく信用し、そばにいてほしいと思える人なんて、母と桜雅くらいだった。
だが、傷ついていた芙月を見て無性に腹が立ったし、自分の手で守りたいと思った。
そばにいて欲しい。自分の横で嬉しそうに花を愛でながら笑っていてほしい。
「官女ではなく、対等な立場で隣にいて欲しい。私の力になってほしい……」
小さな囁きは静かな夜に溶け込んでいった。

