後宮花恋物語   〜気弱な官女は冷酷帝の花となる〜



 夜遅く、芙月は物陰に身を潜めて、皐月が植えられた花壇を見張っていた。
 皐月が言っていた「夜が怖い」とはどういう意味なのだろう。固唾を呑んで見守った。
 夜空はうっすらと雲に覆われ視界が悪い。それでも、必死に目を凝らして何かが起きるのを持った。

 どれくらいたったのだろう。
 若干の物音に、緊張が走る。
 どこからともなく現れた人影は、まっすぐに花壇に向かい、しゃがみ込んだ。

(一体どなた……? 何をしているの?)

 暗くてよく見えない。目を凝らしていると、しゃきん、しゃきんと何かを切るような音が響いた。

(何かを切っている……?)

 物音は止むことがない。じっと見ていた芙月は、人影の手に持っていた物がうっすらと目に入った。

(あれは、私の鋏では……?)

 昼間になくしたと思われた花切狭が花壇にいる人の手に握られていた。
 考えるより先に身体が動く。芙月は物陰から飛び出し、背後から鋏を持つ右手を掴んだ。  

「な、なにするのよ……!」

 じたばたと振り回す人影の手をがっしりと掴む。

「何をされているのですかっ!」

「やめて!離して!」

 必死になって止めていると、つう、と左頬に冷たい感触を感じた。
 そんなことにも構わず必死に抑え込んでいると、ぎろりと血走った目がこちらに向いた。

 「え……」 

 その顔を見た途端、芙月は言葉を失った。
 思考が完全に停止し、手首を掴んでいた手の力が抜ける。

「よくも、よくも邪魔をしてくれたわね!!!」

 怒り狂う女――元上司の沙々は我を忘れ、大声を上げ始めた。

「お前が悪いんだ! 燈花宮の官女になるなんて、分不相応だとは思わなかったのか!! お前なんて一生下っ端の官女で十分、いや後宮なんかにふさわしい人間じゃないのよ!」

 沙々の言葉は、鋭い刃物のように芙月の全身を刺していった。
 ふと花壇を見ると、一部分の土が掘り返されている。さらに土の中で眠っていた、花の支えでもある根が細々に切り刻まれていた。

(なんてことを…… 根を切り刻んでも表面上はあまり分からないわ。でも確実に栄養は行き届かなくなる。だから花たちの元気がなかったのね)

 芙月への怒りの矛先を花に向け、こそこそと働いていたことに、腸が見え返る思いだった。拳に力が入る。

「……私への怒りは分かりました。しかし、その怒りを花に向けるのはいかがなのでしょう? 関係の無い物を傷つける必要はないですよね?」

「ふん、そんなの私には関係ないわ。あんたが育てた花が無残な姿になっていい気味よ。これで主上さまも呆れて追い出されるんじゃないの?」

「……」

「でも主上さまも主上さまよ。こんな無能を手元に置くなんて見損なったわ」

 誰かに対してこんなに怒りが湧いたのは初めてだった。
 自分のことは何を言われても平気だが、花を安易に傷つけられ、帝に対して失礼な物言いをされて怒りが沸かない方がおかしい。
 帝は冷たい人間なんかじゃない。
 ちゃんとこっちを見て、一人の人間として接してくれる。不器用な言葉で、きちんと芙月に向き合ってくれている。
 そんな人のどこが冷たいというのか。

「……いしてください」

「は?」

「今言ったことを撤回して、謝罪して下さい!」

 芙月の怒りを滲ませた声に、沙々は一瞬怯んだ。しかし、すぐに鬼の形相になる。 

「あんた……! 上司に向かって生意気な口きいてるんじゃないわよ!」

「謝罪してください! 何回花を傷付ければ気が済むのですか!」 

「……は?」

 勢いよくでた芙月の言葉に、沙々の動きが止まった。

「……何回って何? まるで私が何度も傷付けているような言い方じゃない!」

「覚えていらっしゃらないんですか? 三色菫の花壇を枯れさせたのは沙々さまですよね?」 

「……! 意味が分からないわ。私がやったという証拠でも?」  

「……」

 証拠を求められれば芙月の言葉が詰まった。これは花から聞いたことだ。証拠は残っていないし、何より信じてもらえないだろう。
 黙り込む芙月を見て、沙々は鼻で笑う。

「ふ、証拠もないくせに疑わないでちょうだい。大体花なんて手を加えようが加えまいが、遅かれ早かれすぐに枯れるものなのよ。いちいち騒がないでちょうだい」

 沙々の言い分に頭に血が昇る感覚がした。確かに花は命が短い。だが。それでも懸命に咲こうとしている花に対して敬意のかけらも無い言い方がどうしても許せなかった。
 芙月はきっ、と沙々を睨みつけた。

「そんなことありません……!」

「うるさいわねっ!」

 反論された沙々は持っていた鋏を大きく振りかぶり、芙月に向かって投げつけた。

「どうせあんたなんか利用されてるだけよ!」

「……!」 

 鋏が近づいてくる。自分の刺さることを覚悟し、目を閉じた途端、ぐいっと腕を引かれ、温かい何かに身体が包まれた。

「間に合った」

 荒い呼吸の合間、途切れ途切れに声がした。自分を包み込むたくましい腕は温かく、優しい。

「主上さま……」

 帝の登場に、沙々はおろおろしだす。

「今、何をしようとした」

「い、え、なにも……」

「そんなわけなかろう。何をしようとしたと聞いているのだ」

 怒り心頭に発する帝の顔つきは、この世の物とは思えないほど冷たく、一言発するたびに棘を刺していく。
 沙々はその場に崩れ落ちた。

「今、芙月が言っていたことは本当か?」 

「な、なんのことでしょう……」

「とぼけるな。三色菫の花壇に薬物をまき、その挙句知らぬふりをして芙月に世話を押し付けたのは本当のことか?」

「……っ!」

 凄まじい圧に、沙々は俯いた。肯定も否定もしない沙々の態度に帝は大きくため息をついた。 

「そいつを連れていけ」 

 帝の指示に、どこからともなく桜雅含め数人の役人が現れ、沙々を連行していった。
 今までの沙々の威勢は全くなく、風船が縛んだようだった。