厨に入った墨は、ます調味料の確認から始める。
砂糖、塩、酢、醤油に味噌。基本のものは全て揃っているようだ。おそらく、生の野菜に調味料だけかけて食べていたりしたのだろう。想像に難くない。
(うん、これならだいたいの料理はできるな)
次に探したのは料理器具だ。包丁がなければ根菜は切れない。しかし、これもすぐに見つかった。
(よし、準備は万端)
誰にともなくうなずくと、墨は竹ざるの上にあった大根と人参をよく洗ってから薄切りにする。それらを水と共に鍋へ入れ、火にかけた。
(煮立つまでの間にお米を研いでおきたいな)
瓶の中にある生米を取り出し研ぎ始めると、背後から視線を感じる。振り向けば、眞白が少し離れた場所からこちらを見つめていた。
「まだできませんから、居間で待っていてください」
「あ、いやその、あの、」
眞白は血色の指を意味もなく突き合わせ、
「……できるまで、そばで見ててもいい? 邪魔しないから」
おずおずと問うてきた。
その瞳には、断られるかもしれない不安と、もしかしたらという期待。そして、自分が知っている食材がどんな形に変わるのかという興味がうかがえた。
背が高いのに、上目遣いのように視線を送ってくる姿。それはあまりにも少年らしくて――
(――かわいい!)
本日二度目の「かわいい」が、墨の中で炸裂した。
「い、いい、いいですよ、どうぞ……」
震える声でなんとか返事をする。
長い足ですぐ距離を縮めたのにも関わらず、隣に立った眞白はちょこんと背を丸めて鍋の中を覗き込んだ。
「いい匂いがする」
「まだ味噌は入れてませんよ」
「うん。でもなんか、ご飯って感じの匂いがする」
「そういうものでしょうか」
「そういうものだと思うよ。人が手を加えた食材ってこういう匂いがするんだね」
鍋から視線を逸らさずに言う眞白。そこまで楽しみにされてしまっては、緊張してしまう。
(そんな大したものは作れないんだけどな……)
墨は米を研ぎながら、あることを決める。
(よし。作れる料理の種類を増やそう)
形だけの妻とはいえ、いい機会だ。覚えておいて損するものでもない。
目を輝かせているかわいらしい年下の旦那様に笑みをもらし、墨はいつもよりゆっくりと食事の準備を進めた。
そうしてできたのは、油揚げと大根、それに人参という、あったもの全てを入れた味噌汁。
丁度いい器が無く、貰い物らしいとてつもなく高級そうな椀によそった。まったく同じものが墨の前にある盆の上にも鎮座しているが、どう見ても料理と釣り合っていない。だというのに、眞白は感嘆をもらしていた。
「すごい、湯気が昇ってる。できたての証拠だ」
左右から椀にもられた味噌汁を眺める眞白。
「や、やめてください。そこまで観察する料理じゃありませんから」
「いいや、そこまでするものだよ。だって、俺の花嫁殿が初めて作ってくれたご飯だ。それに、こうして誰かと向かい合って、喋りながら食事をするのも初めてなんだから」
まだ食べる前だというのに、眞白はもうすでにお腹いっぱいのような顔をしている。
(真正面からこの顔を見るのは心臓に悪い……)
ただでさえ研がれた刀のように鋭く整った顔立ちなのだ。そんな美人の表情が自分の料理によって綻ぶなんて、情けなくも鼓動が速くなってしまう。
努めて深く息を吐き出したとき、向かいに座る眞白は手を合わせた。
それが「いただきます」の動作だと気づくのが遅れたのは、あまりにもその所作が美しかったからだ。
思わず、息を止めて、見惚れてしまう。
罪人の血に触れすぎて赤黒く染まった指が箸を持ち、均等に切れていない味噌汁の具をつかむ。そして、薄い唇の隙間に飲み込まれていった。
熱かったのだろう、何度か息を吐き出した眞白だったが、記憶するようにしっかりと咀嚼し、嚥下する。彼の喉が上下に動いた。
「…………ふっ、はは」
一口食べ終えた眞白は、俯いて肩を揺らす。
(もしかして口に合わなかった?)
不安になった墨が口を開こうとすると、眞白は「あーもう」と言って椀を置き、両手で顔を覆った。
「しあわせすぎて、味、わかんないや」
顔を上げた眞白の目が、五指の隙間から覗く。その言葉に嘘など一片も無い、と彼の瞳が断言していた。まっすぐに射貫かれ、墨の体に痺れが走る。
(この人は今、しあわせと言った)
味がわからないほど、笑いがもれてしまうほど。
――気づけば、頬が濡れていた。
目の前の光景が、彼が、あまりにも美しくて、しあわせそうで。
そのしあわせの輪の中に、自分が入っていることに、心が震えて。
眞白の切れ長の目が大きく見開かれる。そこには動揺の色が滲んでいた。だが、言葉は発さなかった。
ただ静かに、血色の指で、頬を伝う涙を拭ってくれた。
それを皮切りに、墨は子どものようにしゃくりあげる。口を開いても、意味を成さない音しか出なかった。
こんなふうに、誰かに涙を拭われるなんていつぶりだろうか。
(ああ、あたたかい手が心地いい)
無意識に、何人もの罪人を地獄に送って来たその手へとすり寄ってしまう。
(骨ばっていて、かたい。それに、傷痕だらけだ)
眞白の手は、よく見なければわからないような傷だらけだった。そのことに、少しだけ親近感を覚える。
彼は一体、今までどんな生き方をしてきたのだろうか。ありあわせの味噌汁を食べて、しあわせすぎて味がわからないと言った彼は。
(知りたい、この人のこと)
でも、土足で踏み込むようなことはしたくない。
だから今はまだ、この手のあたたかさだけで十分だ。
「墨さん」
丁寧に名を紡がれ、いつの間にか閉じていた目を開ける。涙のせいで視界がぼやけているが、近くに眞白の顔があることはわかった。
「不甲斐ないけど、俺、どうして墨さんが泣いてるのかわからないんだ。今まで、罪人の首を切ることしかしてこなかったから」
一拍置いて、
「だから、教えて欲しい。今、どうして泣いてるのか、どうされたらうれしいのか。俺は、あなたのことが知りたい」
先ほど、墨が思っていたことと同じことを言われる。
「もちろん、墨さんが知りたいって言ってくれるなら俺のことも教える。約束するよ。隠し事なんてしない。嘘もつかない。もし破ったら俺の首を落としてくれていい」
約束を破った代償としては大きすぎないか。しかし、眞白の声音は真剣そのものだ。
「あなたが俺をしあわせにしてくれるように、俺もあなたをしあわせにする。あなたのしあわせが何なのか、俺が探す」
また一粒、墨の目から涙がこぼれる。
「うまく言えないけど、えぇっとつまり、何かして欲しいこととかない? あなたにも、しあわせを感じて欲しいんだ。嫌いな奴の首の皮一枚残したいとかどう? そういうの得意だよ」
不穏な提案をする眞白に、墨は涙声で思っていたことを告げた。
「……わたしも、あなたのことが知りたいです。それで、それから……」
涙で濡れてしまった眞白の手を、指先でつかむ。
「もう少し、この手を貸していただいてもいいですか?」
すると、眞白は一瞬だけ驚いたような顔をして、すぐに口元を綻ばせた。
「もちろん、こんな首切りの手でよければ」
砂糖、塩、酢、醤油に味噌。基本のものは全て揃っているようだ。おそらく、生の野菜に調味料だけかけて食べていたりしたのだろう。想像に難くない。
(うん、これならだいたいの料理はできるな)
次に探したのは料理器具だ。包丁がなければ根菜は切れない。しかし、これもすぐに見つかった。
(よし、準備は万端)
誰にともなくうなずくと、墨は竹ざるの上にあった大根と人参をよく洗ってから薄切りにする。それらを水と共に鍋へ入れ、火にかけた。
(煮立つまでの間にお米を研いでおきたいな)
瓶の中にある生米を取り出し研ぎ始めると、背後から視線を感じる。振り向けば、眞白が少し離れた場所からこちらを見つめていた。
「まだできませんから、居間で待っていてください」
「あ、いやその、あの、」
眞白は血色の指を意味もなく突き合わせ、
「……できるまで、そばで見ててもいい? 邪魔しないから」
おずおずと問うてきた。
その瞳には、断られるかもしれない不安と、もしかしたらという期待。そして、自分が知っている食材がどんな形に変わるのかという興味がうかがえた。
背が高いのに、上目遣いのように視線を送ってくる姿。それはあまりにも少年らしくて――
(――かわいい!)
本日二度目の「かわいい」が、墨の中で炸裂した。
「い、いい、いいですよ、どうぞ……」
震える声でなんとか返事をする。
長い足ですぐ距離を縮めたのにも関わらず、隣に立った眞白はちょこんと背を丸めて鍋の中を覗き込んだ。
「いい匂いがする」
「まだ味噌は入れてませんよ」
「うん。でもなんか、ご飯って感じの匂いがする」
「そういうものでしょうか」
「そういうものだと思うよ。人が手を加えた食材ってこういう匂いがするんだね」
鍋から視線を逸らさずに言う眞白。そこまで楽しみにされてしまっては、緊張してしまう。
(そんな大したものは作れないんだけどな……)
墨は米を研ぎながら、あることを決める。
(よし。作れる料理の種類を増やそう)
形だけの妻とはいえ、いい機会だ。覚えておいて損するものでもない。
目を輝かせているかわいらしい年下の旦那様に笑みをもらし、墨はいつもよりゆっくりと食事の準備を進めた。
そうしてできたのは、油揚げと大根、それに人参という、あったもの全てを入れた味噌汁。
丁度いい器が無く、貰い物らしいとてつもなく高級そうな椀によそった。まったく同じものが墨の前にある盆の上にも鎮座しているが、どう見ても料理と釣り合っていない。だというのに、眞白は感嘆をもらしていた。
「すごい、湯気が昇ってる。できたての証拠だ」
左右から椀にもられた味噌汁を眺める眞白。
「や、やめてください。そこまで観察する料理じゃありませんから」
「いいや、そこまでするものだよ。だって、俺の花嫁殿が初めて作ってくれたご飯だ。それに、こうして誰かと向かい合って、喋りながら食事をするのも初めてなんだから」
まだ食べる前だというのに、眞白はもうすでにお腹いっぱいのような顔をしている。
(真正面からこの顔を見るのは心臓に悪い……)
ただでさえ研がれた刀のように鋭く整った顔立ちなのだ。そんな美人の表情が自分の料理によって綻ぶなんて、情けなくも鼓動が速くなってしまう。
努めて深く息を吐き出したとき、向かいに座る眞白は手を合わせた。
それが「いただきます」の動作だと気づくのが遅れたのは、あまりにもその所作が美しかったからだ。
思わず、息を止めて、見惚れてしまう。
罪人の血に触れすぎて赤黒く染まった指が箸を持ち、均等に切れていない味噌汁の具をつかむ。そして、薄い唇の隙間に飲み込まれていった。
熱かったのだろう、何度か息を吐き出した眞白だったが、記憶するようにしっかりと咀嚼し、嚥下する。彼の喉が上下に動いた。
「…………ふっ、はは」
一口食べ終えた眞白は、俯いて肩を揺らす。
(もしかして口に合わなかった?)
不安になった墨が口を開こうとすると、眞白は「あーもう」と言って椀を置き、両手で顔を覆った。
「しあわせすぎて、味、わかんないや」
顔を上げた眞白の目が、五指の隙間から覗く。その言葉に嘘など一片も無い、と彼の瞳が断言していた。まっすぐに射貫かれ、墨の体に痺れが走る。
(この人は今、しあわせと言った)
味がわからないほど、笑いがもれてしまうほど。
――気づけば、頬が濡れていた。
目の前の光景が、彼が、あまりにも美しくて、しあわせそうで。
そのしあわせの輪の中に、自分が入っていることに、心が震えて。
眞白の切れ長の目が大きく見開かれる。そこには動揺の色が滲んでいた。だが、言葉は発さなかった。
ただ静かに、血色の指で、頬を伝う涙を拭ってくれた。
それを皮切りに、墨は子どものようにしゃくりあげる。口を開いても、意味を成さない音しか出なかった。
こんなふうに、誰かに涙を拭われるなんていつぶりだろうか。
(ああ、あたたかい手が心地いい)
無意識に、何人もの罪人を地獄に送って来たその手へとすり寄ってしまう。
(骨ばっていて、かたい。それに、傷痕だらけだ)
眞白の手は、よく見なければわからないような傷だらけだった。そのことに、少しだけ親近感を覚える。
彼は一体、今までどんな生き方をしてきたのだろうか。ありあわせの味噌汁を食べて、しあわせすぎて味がわからないと言った彼は。
(知りたい、この人のこと)
でも、土足で踏み込むようなことはしたくない。
だから今はまだ、この手のあたたかさだけで十分だ。
「墨さん」
丁寧に名を紡がれ、いつの間にか閉じていた目を開ける。涙のせいで視界がぼやけているが、近くに眞白の顔があることはわかった。
「不甲斐ないけど、俺、どうして墨さんが泣いてるのかわからないんだ。今まで、罪人の首を切ることしかしてこなかったから」
一拍置いて、
「だから、教えて欲しい。今、どうして泣いてるのか、どうされたらうれしいのか。俺は、あなたのことが知りたい」
先ほど、墨が思っていたことと同じことを言われる。
「もちろん、墨さんが知りたいって言ってくれるなら俺のことも教える。約束するよ。隠し事なんてしない。嘘もつかない。もし破ったら俺の首を落としてくれていい」
約束を破った代償としては大きすぎないか。しかし、眞白の声音は真剣そのものだ。
「あなたが俺をしあわせにしてくれるように、俺もあなたをしあわせにする。あなたのしあわせが何なのか、俺が探す」
また一粒、墨の目から涙がこぼれる。
「うまく言えないけど、えぇっとつまり、何かして欲しいこととかない? あなたにも、しあわせを感じて欲しいんだ。嫌いな奴の首の皮一枚残したいとかどう? そういうの得意だよ」
不穏な提案をする眞白に、墨は涙声で思っていたことを告げた。
「……わたしも、あなたのことが知りたいです。それで、それから……」
涙で濡れてしまった眞白の手を、指先でつかむ。
「もう少し、この手を貸していただいてもいいですか?」
すると、眞白は一瞬だけ驚いたような顔をして、すぐに口元を綻ばせた。
「もちろん、こんな首切りの手でよければ」
