人攫いを回収してくれた老齢の役人は、〈首切り執行人〉ではなく普通の役人だった。
眞白から被害者である墨の詳細と同時に妻となったことを聞くと、大層驚いた顔して、最後には「ご愁傷さん」と不穏な言葉を墨に残した。
(え、それはどういう……)
もしかして、自分はあまり良くない人に勢いで嫁入りしてしまったのだろうか。
そんなことを考えていると、老齢の役人を見送った眞白が、墨の方へ向き直る。
「よし。人攫いも渡せたし一件落着ってことで……帰ろうか、墨さん」
流れるように手を絡められ、優しく引かれる。
日はとっぷりと暮れており、外の空気は冬ならではの冷たさを持って肌を刺した。
どれほど、冬の空気と同じ冷たさの手に引かれていただろうか。歩を止めたのは、生家よりも大きな屋敷の前だった。木造一階建て、一人で暮らすには少々広すぎる。
驚きで言葉をなくす墨に、「さ、入って入って」と声がかけられた。
「お、お邪魔します……」
「ちょっと待って」
言葉通り、その場で止まる。
何か粗相をしただろうか、と不安になっていると、絡められていた指が解かれた。
「この家は、これから一生あなたの帰る家になるんだ。『お邪魔します』なんて、他人行儀な言い方はよしてよ」
そう言われ、眞白が何を求めているのかに気づく。少し照れくささを感じながらも、墨はいつもより大きめに声を出した。
「た、ただいま……!」
すると、眞白は淡い笑みを浮かべ、
「うん、おかえり」
女性用の着物がないということで、今晩は花嫁衣裳のまま過ごすことになった。
案内された居間は、物が少なくて、い草のいい香りがする。火鉢に手をかざしながら、まずは冷えた体を温めた。かじかんだ指と一緒に心もほぐれていく。
(わたし、今日からここで暮らすんだ)
ほう、と張り詰めていた息を吐き出したとき、厨に行っていた眞白が戻ってきた。
「墨さん、何か好き嫌いある? 今うちに大根と人参、油揚げ、それからお米くらいしかなくて」
竹ざるには、先ほど話題にあがった野菜が数本乗っている。その横には皿の上によそわれた油揚げがあった。
「ご面倒おかけして申し訳ございません。好き嫌いはとくにないです」
「そっか、ならよかった。じゃあ今日は色々あって疲れただろうし、ご飯食べたら寝ちゃいな。寝床は整えておくから」
「そ、それはさすがに自分でやります! 床の間まで案内していただければ十分です!」
「いいんだよ。お嫁さんができたら、めいっぱい尽くすって決めてたんだ」
うれしそうに笑った眞白は、墨の前に竹ざるを置く。
「どうぞ、食べて。どれも新鮮でおいしいと思うよ」
「ありがとうございます……え、」
墨は思わず、目の前の光景を凝視してしまう。だが、それも仕方ない。
ひょい、と竹ざるから人参をつかんだ眞白が、そのまま齧り始めたからだ。
(な、生でいった⁉)
瞠目していることに気づいたのだろう、眞白は照れたように後頭部を掻く。
「あ、普通は生で食べないんだっけ。ごめん。俺、親もいなかったし、料理もできないからいつもこうやって食べてて」
「いつも⁉ お腹壊したりしないんですか⁉」
「風邪もひいたことない丈夫な体です」
「それは何よりですけども……あの、食事処へ行ったり、使用人を雇ったりはしなかったのですか?」
そう問えば、眞白はきょとんとした表情を浮かべた。
「血生臭い首切りなんて店の人に追い払われるよ。それに、屋敷に来てくれる人もいない。墨さんが特殊だっただけで」
「そ、れは、はい、その通りなのですが……」
では彼は、今までずっとこうして味気ない食事を送ってきたのだろうか。誰もいない中、あるものをただ咀嚼するだけ。
そのとき、ふと思い出した。
「しあわせな家庭を築くあなたを見て、少しだけ羨ましくなった」と言った彼の顔を。
まるで、自分には絶対に訪れない未来だと決めつけているような、寂しそうな顔。それを見て、墨は居ても立っても居られなくなったのだ。だから、妻になるなんて口走ったのだ。
(そうだ。形だけかもしれないけど、わたしはこの人の妻だ)
そう思ったときには、すでに体が動いていた。眞白の手ごと、人参をつかむ。
ぎょっ、とする眞白に構わず、墨は口を開いた。
「わたしが作ります」
「……へ?」
「これからは、わたしが眞白様の食事を作ります。毎日です。朝、昼、晩、全部。好き嫌いはありますか?」
「ないけど……って、食事なんて身体が動けばいいだけだから墨さんがそこまでする必要ないよ。負担になるでしょ」
「いいえ、これはわたしなりに考えた妻としての役目です。わたしも腕がいいわけではありませんが、ずっと自分の食事は自分で作ってましたし、家族のものも準備するときがありました。おそらく問題ないです」
そこまで言ってもなお、眞白は「でも……」と首を縦に振らない。一体何が不満だと言うのか。
墨は、ぐっ、と顔を近づけた。
「わたしは、必ずしあわせにするとあなたに言いました。その約束は守ります。ですので眞白様には、まず胃袋からしあわせになっていただきたいです」
「は、はい……」
ようやくうなずいた眞白に、いい子だと言わんばかりの笑みを向ける。そして彼の手から人参を奪い取り、花嫁衣裳の袖をまくった。
「お手数ですが、厨まで案内していただいいてもよろしいでしょうか」
「こ、こっち……です」
案内してくれた眞白の頬は、なぜか赤く染まっていた。
眞白から被害者である墨の詳細と同時に妻となったことを聞くと、大層驚いた顔して、最後には「ご愁傷さん」と不穏な言葉を墨に残した。
(え、それはどういう……)
もしかして、自分はあまり良くない人に勢いで嫁入りしてしまったのだろうか。
そんなことを考えていると、老齢の役人を見送った眞白が、墨の方へ向き直る。
「よし。人攫いも渡せたし一件落着ってことで……帰ろうか、墨さん」
流れるように手を絡められ、優しく引かれる。
日はとっぷりと暮れており、外の空気は冬ならではの冷たさを持って肌を刺した。
どれほど、冬の空気と同じ冷たさの手に引かれていただろうか。歩を止めたのは、生家よりも大きな屋敷の前だった。木造一階建て、一人で暮らすには少々広すぎる。
驚きで言葉をなくす墨に、「さ、入って入って」と声がかけられた。
「お、お邪魔します……」
「ちょっと待って」
言葉通り、その場で止まる。
何か粗相をしただろうか、と不安になっていると、絡められていた指が解かれた。
「この家は、これから一生あなたの帰る家になるんだ。『お邪魔します』なんて、他人行儀な言い方はよしてよ」
そう言われ、眞白が何を求めているのかに気づく。少し照れくささを感じながらも、墨はいつもより大きめに声を出した。
「た、ただいま……!」
すると、眞白は淡い笑みを浮かべ、
「うん、おかえり」
女性用の着物がないということで、今晩は花嫁衣裳のまま過ごすことになった。
案内された居間は、物が少なくて、い草のいい香りがする。火鉢に手をかざしながら、まずは冷えた体を温めた。かじかんだ指と一緒に心もほぐれていく。
(わたし、今日からここで暮らすんだ)
ほう、と張り詰めていた息を吐き出したとき、厨に行っていた眞白が戻ってきた。
「墨さん、何か好き嫌いある? 今うちに大根と人参、油揚げ、それからお米くらいしかなくて」
竹ざるには、先ほど話題にあがった野菜が数本乗っている。その横には皿の上によそわれた油揚げがあった。
「ご面倒おかけして申し訳ございません。好き嫌いはとくにないです」
「そっか、ならよかった。じゃあ今日は色々あって疲れただろうし、ご飯食べたら寝ちゃいな。寝床は整えておくから」
「そ、それはさすがに自分でやります! 床の間まで案内していただければ十分です!」
「いいんだよ。お嫁さんができたら、めいっぱい尽くすって決めてたんだ」
うれしそうに笑った眞白は、墨の前に竹ざるを置く。
「どうぞ、食べて。どれも新鮮でおいしいと思うよ」
「ありがとうございます……え、」
墨は思わず、目の前の光景を凝視してしまう。だが、それも仕方ない。
ひょい、と竹ざるから人参をつかんだ眞白が、そのまま齧り始めたからだ。
(な、生でいった⁉)
瞠目していることに気づいたのだろう、眞白は照れたように後頭部を掻く。
「あ、普通は生で食べないんだっけ。ごめん。俺、親もいなかったし、料理もできないからいつもこうやって食べてて」
「いつも⁉ お腹壊したりしないんですか⁉」
「風邪もひいたことない丈夫な体です」
「それは何よりですけども……あの、食事処へ行ったり、使用人を雇ったりはしなかったのですか?」
そう問えば、眞白はきょとんとした表情を浮かべた。
「血生臭い首切りなんて店の人に追い払われるよ。それに、屋敷に来てくれる人もいない。墨さんが特殊だっただけで」
「そ、れは、はい、その通りなのですが……」
では彼は、今までずっとこうして味気ない食事を送ってきたのだろうか。誰もいない中、あるものをただ咀嚼するだけ。
そのとき、ふと思い出した。
「しあわせな家庭を築くあなたを見て、少しだけ羨ましくなった」と言った彼の顔を。
まるで、自分には絶対に訪れない未来だと決めつけているような、寂しそうな顔。それを見て、墨は居ても立っても居られなくなったのだ。だから、妻になるなんて口走ったのだ。
(そうだ。形だけかもしれないけど、わたしはこの人の妻だ)
そう思ったときには、すでに体が動いていた。眞白の手ごと、人参をつかむ。
ぎょっ、とする眞白に構わず、墨は口を開いた。
「わたしが作ります」
「……へ?」
「これからは、わたしが眞白様の食事を作ります。毎日です。朝、昼、晩、全部。好き嫌いはありますか?」
「ないけど……って、食事なんて身体が動けばいいだけだから墨さんがそこまでする必要ないよ。負担になるでしょ」
「いいえ、これはわたしなりに考えた妻としての役目です。わたしも腕がいいわけではありませんが、ずっと自分の食事は自分で作ってましたし、家族のものも準備するときがありました。おそらく問題ないです」
そこまで言ってもなお、眞白は「でも……」と首を縦に振らない。一体何が不満だと言うのか。
墨は、ぐっ、と顔を近づけた。
「わたしは、必ずしあわせにするとあなたに言いました。その約束は守ります。ですので眞白様には、まず胃袋からしあわせになっていただきたいです」
「は、はい……」
ようやくうなずいた眞白に、いい子だと言わんばかりの笑みを向ける。そして彼の手から人参を奪い取り、花嫁衣裳の袖をまくった。
「お手数ですが、厨まで案内していただいいてもよろしいでしょうか」
「こ、こっち……です」
案内してくれた眞白の頬は、なぜか赤く染まっていた。
