首切り執行人と傷ありの花嫁~死神と恐れられる年下の旦那様は思っていたより可愛らしくて愛は重めでした~

〈首切り執行人〉の青年は手際よく男たちを縛り上げ、墨の拘束を解いてくれた。

「あ、ありがとうございます」
「どういたしまして」

 墨は赤くなった手首を撫で、猫のように大きく伸びをする青年を見つめる。
 数えきれないほどの罪人を地獄へ送ってきた死神。首を切ることを生業とする人殺し。人の情を母の子宮に置いてきた欠陥品。
 人々が〈首切り執行人〉を表すとき、だいたいはこれらの言葉を使う。それほどまでに、彼らは忌み嫌われる存在だ。

 自分は被害者であり、首を切られることはないとわかっていても恐怖は拭えない。刃を目の前に突き付けられているかのような緊張感だ。
 どれほど沈黙が続いただろう。不意に青年が口を開いた。

「災難だったね、こんなきれいな花嫁衣裳着てるのに人攫いなんかに巻き込まれて」

 切れ長の瞳が墨の方を向いている。何を考えているのか、一切読み取れない。

「いいね、お嫁さん」
「えっ」

 唐突に投げられた言葉を理解できずにいると、青年は己の赤黒い手に視線を向けた。

「俺、今十八なんだけどさ、同じくらいの年齢の人たちはみんな家族を持ち始めてて。でも俺は首切りの仕事なんてやってるせいでそういう話とは無縁だから、これからしあわせな家庭を築くあなたを見て、少しだけ羨ましくなった。まぁ、血に触れすぎた手は色が落ちなくなってしまったし、独り身なのは当然と言えば当然なんだけど……って、関係ない話をしたね。ごめんなさい」

 淡々とした口調。しかし、まだ幼さの残る顔にはどこか寂しさが滲んでいるように見えた。

「あ、あのっ、」

 だからだろうか――

「なら、今からわたしがあなたの家族に――妻になりますよ!」

 ――そんな、変なことを口走ってしまったのは。

「は……え?」

 青年の目が大きく見開かれる。口を開閉させることしかできない様子から、相当驚いているのだろうと容易に想像できた。

「な、何言ってるの? あなたは誰かのお嫁さんなんじゃ……」
「ぐっ……話せば長くなるのですが、実は諸事情によってもう誰かに嫁ぐ予定はないんです。正真正銘、花嫁衣裳を着ているだけのただの女です」
「そんなことありえるの?」
「今のところは目の前に」
「たしかにそうだ」

 そう言いながらもまだ信じられていないのか、青年の視線は上下左右、忙しなく動いていた。その仕草は年相応で、先ほどまで感じていた恐怖が嘘のように消えていく。

「えっと、その、攫われたことで気が動転してるのかもしれないけど、まずは落ち着いてよく考えて。お姉さんの言ったとおりにすれば、俺には家族ができる。でもあなたは? この話、お姉さんに利はないよ。死神と恐れられる首切りの旦那ができるだけだ」

 青年は一歩退き、一つ息をつく。

「そんなのは、嫌でしょ……普通」

 血と同じ色の手で大太刀を握るその仕草が、

(か、)

 まるで迷子になって困り果てた少年のように見えて、

(かわいい!)

 墨は心臓は鷲掴みにされたような痛みを覚えた。しかし、家族から受けた暴力と違って嫌な痛みではない。
 青年が後ずさった分、墨は彼へ近づいた。

「突然ですがお聞きします。わたしの傷についてどう思いますか?」
「え、傷?」
「はい、これは蔵にあった荷に押し潰されてできた傷です。頬の上で一文字に走るこれは、完治した今でも目を引くほどの痕が残っています。これを見て、どう思いますか」

 傷を指さして問う墨に、青年は困惑した表情を浮かべて、

「えぇっと……何も思わないかも」

 と、答えた。
 春乃からは、どうせ顔の傷のせいで嫁のもらい手なんていないとまで言われたもの。暇を出された生家の使用人たちも、この傷を見ると皆眉をひそめていた。
 そんな傷をこの青年は、「何も思わない」と言ったのだ。

(かわいいだけじゃなくて、いい子だ)

「同じです。首切りの旦那様ができたとて、わたしもあなたと同じく何も思いません。そもそもわたしは、妹の身代わりとしてある役人に嫁入りして追い出された身です。包み隠さずに言うと、今日どころか明日も行く場所が無いんです。つまり、あなたの妻になることはわたしにも利があるというわけです」

 何も言わない青年に向かって、墨は続ける。

「妻でなくとも、使用人、母、姉、妹、どんな形でも構いません! 必ずしあわせにします! だから――」

 そのあとの言葉は、音にならなかった。赤黒い手によって、口を塞がれていたから。

「駄目。駄目だよ、お姉さん。言った言葉には責任が伴うんだ」

 薄暗い屋敷の中である。こちらを見下ろす青年の表情は、影になってしまいわからない。だが、熱がこもったような、そんな声だった。

「まだ引き返せるよ。聞かなかったことにしてあげられる。ね、その先は言っちゃ駄目。もし言ったら――」

 ――逃げられなくなるよ。

 死神による最後の忠告。
 もしも墨が普通に生きてきた者なら、空気が重くなったこの場からすぐに逃げ出していただろう。しかし、今の彼女を作り上げているものは、普通とは程遠いものだ。

 家族による暴力、女としての価値をなくす顔の傷、身代わり婚によって追い出された経験、死ぬかもしれないという恐怖。そして、大勢から畏怖される〈首切り執行人〉に抱いた「かわいい」という感情。
 墨は青年の手をはぎ取り、見下ろしてくる顔を覗きこむ。

「逃げる場所なんて、とっくにありません。ですので、これから言うことをよく聞いてください」

 息を大きく吸い込んで、

「しあわせにすると約束します! だからわたしと――家族になりましょう!」

 口を塞がれたせいで紡げなかった言葉を、告げた。
 穴が開いた天井から、夕日が一筋入り込む。それが、青年を照らした。
 彼が今どんな顔をしているのか、墨はようやく気づく。

「あーあ、言っちゃった」

 溶けてしまうのではないかと思うほど熱を持った瞳。うれしくてたまらないと言わんばかりの笑み。

「もう逃げられないね、お姉さん」

 自ら近づいてきた獲物を捕らえるように、死神は墨の二の腕をつかんだ。思わず肩がはねる。

(あれ? なんか目がぎらついて……?)

「お姉さん、名前は?」
「えっ、あ、た、竹屋墨です」
「そっか、じゃあこれからは『墨さん』って呼ぶね。俺は半眞白(はんましろ)。あなたになら何て呼ばれてもうれしいから、好きに呼んで」

 十八歳にしては艶っぽい笑顔に目が奪われ、ろくに返事すらできない。

「ねぇ墨さん。ずっと欲しかった家族ができて、俺、今とてもしあわせだよ。血液が沸騰するみたいに熱くて、心臓の音がすごく速いんだ」

 ――墨さんはしあわせ?
 そう問われ、墨は少し口ごもる。

「……わからないです。わたし、しあわせが何かわかってないから……」

 申し訳なさそうに目を伏せた彼女を見て、眞白は「そっか」と大して気にしていない口調で相槌を打った。

「じゃあこれから、墨さんのしあわせは何なのかを一緒に探していこうか。一生一緒にいるんだ、時間はたくさんあるしね」

 眞白は墨の二の腕から手を放し、少しだけ距離を取る。そして、血色に染まった右手を差し出した。

「というわけで、不束者ですがよろしくお願いします。俺の花嫁殿」

 それはこちらの言葉ではないのか。小さく笑みをこぼした墨は、眞白の手を優しく握る。

「こちらこそ不束者で傷ありの女ですが、よろしくお願いいたします。わたしの旦那様」

 それが、死神と呼ばれる〈首切り執行人〉――半眞白との始まりだった。