首切り執行人と傷ありの花嫁~死神と恐れられる年下の旦那様は思っていたより可愛らしくて愛は重めでした~

 気絶した墨を目覚めさせたのは、鼻につんとくる腐敗臭だった。

「あれ、ここ、どこ……」

 どうやら畳の上に横たわっているようで、朽ち果てた天井が視界に飛び込んでくる。屋敷のようだが、薄暗く荒れ果てているため確信はなかった。
 起きようとしてみるが、麻縄で腕ごと身体を拘束されているので満足に動くこともできない。

 後頭部を襲うずきずきとした痛みに耐えながらも、墨は覚えていることをかき集め始めた。

(……そうだ。わたし、後ろから殴られて……)

「お、目が覚めちまったのか」

 声がした方へ顔を向けると、細身の男が墨を眺めていた。こけた顔は薄汚れており、身にまとっている着物も身体に合っていない。おそらく誰かから奪った物だろう。
 意識が途切れる直前に見た男だ、と墨は確信する。

「……あなたは、」
「おっと、あなたは誰かなんて質問しないでくれよ。言うわけねぇんだから時間の無駄だ。ここがどこかも言わねぇ」
「……ッ!」
「大声出しても無駄だぜ。人なんざ来ねぇし、外で仲間が見張ってる。痛い目見たくなけりゃいい子にしてるんだな。あんたは大事な人質だ」
「人質?」

 男は墨のそばに来ると、花嫁衣裳の袖をつまんだ。

「厚い生地で、刺繍もふんだんにあしらわれてる。いい花嫁衣装だ。こんなにいいもんを着せる家なんだから余るほど金があるんだろ? あんたを人質にでもすれば大量の身代金が出るだろうさ」
「出るわけない」
「そう謙遜すんなよ。貧乏民の恨みを買うだけだぜ」

 謙遜ではない。本当に身代金など出ないのだ。
 花嫁衣裳が高級であるのは父が見栄を張りたかったからであり、資産があるためではない。

「さぁて、あんたはどこのお姫さんなのかな? 素直に言ってくれると助かるんだがなぁ」
「自分が人質だとわかっていて誰が言うんですか」
「へぇ、強気だな。暴力には慣れっこですって顔してやがる」
「実際慣れてますんで」

 家族から暴力を振るわれるのは日常茶飯事だった。特にひどかったのは義母である。
 雨のせいで髪が上手くまとまらない腹いせに墨の髪を引っ張ってきたのだ。やり返すと倍の暴力を振るわれるので黙っていたが、あのときは何本も髪が抜けてしまって大変だった。

「ほぉ。お姫さんなりに大変な目に遭ってきたってわけか」

 放り捨てるように袖から手を放すと、男は懐から短い棒状の物を取り出す。

「でも、刀で斬られる痛みってのは味わったことないだろ?」
「……は、刀?」

 墨が聞き返すと同時に鞘が抜かれ、すらりとした刀身が現れる。所々が赤く錆びており、より禍々しさを醸し出していた。

「ど、どうして刀なんて持って……禁止のはずじゃ……」
「その通り。この国――大和(やまと)では平民が刀剣を所持することは法で禁止されてる。だがなぁ、御上(おかみ)が作ったそんな頭でっかちな法を守ってたら生きていけねぇ奴らもいんのさ。裏じゃ結構売買されてるみてぇだぜ? 役人様の目を上手く潜り抜けてな」

 黄ばんだ歯を見せて男が笑う。

「万が一逃げられても面倒だし、右足だけでも斬り落としておくか。出血多量で死んだら……そうだな、花嫁衣裳だけ売りに出すとしよう」

 その言葉を理解したとき、墨の中に初めて恐怖という名の感情が生まれた。

(本当に、殺されるかもしれない。痛くて、苦しんで、死ぬ)

 逃げたいのに、足の先から痺れたように身体が動いてくれない。息が浅くなり、震えは次第に大きくなっていく。

(嫌だ、死にたくない! 家族の暴力に耐えて、自由になって、やっとしあわせになれると思ったのに!)

 ――本当に?

 頭の中で、墨自身の冷静な声が聞こえる。

 ――本当に、しあわせになれるの? どうすればしあわせになれるのか、しあわせが何なのか、わからないのに?

(……そうだ、そうだった)

 墨の瞳から、すぅ、と光が消える。

(わたし、しあわせが何か知らないんだった)

 言っているだけでは、しあわせになど到底なれはしない。

 ここで足を斬り落とされ、苦しんで死ぬのが自分の運命なのか。
 受け入れたくはないが、実際そうなっているのだ。認めるしかない。

 涙は、出なかった。ただ、苦しむだけならどうして自分は生まれたのだろうという疑問だけが頭を埋め尽くしていた。
 錆びついた短刀が、墨の柔い腿に近づいていく。

 瞬間、男は凄まじい速度で突進してきたもう一人の男によって吹き飛ばされた。
 腐った畳に強く身体を打ち付け、二人揃って倒れ込む。その拍子に、錆びた短刀は男が飛んできた方向へと滑っていった。そして、慣れた手付きで拾い上げられる。

「見張りの人は刀剣所持。おまけに、中にいた人も同じくか。法で禁止されてるはずだけど一向に減らないね、こういう手合いは」

 場にそぐわない、やわらかい声。どこか芝居じみた喋り方。
 薄暗いその場に、整った顔立ちの青年が現れる。

 肩にかかる毛先のみ黒い白髪。死に装束を連想させる純白の小袖に袴、同色の大太刀を持つ赤黒い手。
 例えるなら、血に染まる骨だ。

「ぐ、うぅ……」

 墨の足を斬り落とそうとした男が、呻き声を漏らしながら青年の方を向く。

「な、なんでこんなとこに死神が……〈首切(くびき)執行人(しっこうにん)〉がいんだよ……!」

 その名を知らぬ者は、きっとこの大和には存在しない。
 帝に帯刀を許可された役人であり、罪人を追い、捕らえ、最後には首を刎ねる死神。それが〈首切り執行人〉だ。

(〈首切り執行人〉? 春乃とそう変わらなそうな年のこの子が?)

 墨は食い入るように青年を見つめた。上背はあるが、どう見ても十代後半ほどにしか見えない。だが、身にまとっているものは正真正銘、〈首切り執行人〉の正装だ。

 青年は墨を一瞥した後、足を踏み出した。
 痛みでのせいで動けないのだろう、優雅に歩を進める彼を、男たちは苦しそうな表情で見つめている。

「刀の所持だけかと思ったけど、人攫いもしてたのか。しかも拘束の仕方が手慣れてる。一度や二度じゃない、何度もやった証拠だ。人身売買でもしてたのかな」

 青年は刀身を鞘に収めたまま、男たちの首に大太刀を沿わせた。まるで、首を刎ねる予行練習だと言わんばかりに。

「もうすぐほかの役人たちが到着する。抵抗はおすすめしない。それと、」

 ぐっ、と沿わせていただけの大太刀を首に押しつけ、

「罪状が明らかになったあなたたちの首を刎ねるのは、おそらく俺になると思う。だから、この顔を忘れないで」

 青年は氷のように冷たい目を細め、そう告げた。