2025年1月25日 投稿
ここまで読んでくださっている方々にお礼を申し上げます。コメントやメールで情報を寄せてくださる方もいて、助かっています。
コメント欄で何度か「管理人さんはどういう方なんですか」と聞かれているので、少し自己紹介をしておこうと思います。
さて、今回は市議会の議事録についてです。
s山市議会の議事録は、市の公式ウェブサイトで過去の分が公開されています。全文検索ができるので、「丸子湖」で検索をかけました。夜中にスマホの画面に向かって、検索結果を一件ずつ開いていく作業は、妙に目が冴えました。議事録の文面は淡々としていますが、その中に桐生氏や三人の名前が出てくると、心臓が跳ねる。知り合いの名前を見つけたような感覚です。知り合いではないのに。
該当する会議は四件ありました。そのうち、開発計画に直接関係するのは二件です。一件目は平成十八年九月定例会。市議の一般質問で丸子湖の観光開発計画が取り上げられています。
"████議員:丸子湖周辺の観光開発計画について伺う。本計画に対し、地元住民からの意見書が提出されていると聞いているが、件数と内容の概要を示されたい。
観光課長:桐生誠氏より意見書一通及び要望書一通、計二通を受理しております。内容はいずれも新規宿泊施設の誘致に対する異議でございます。
████議員:計画の見直しを求める声があるということだが、市としてどう対応するのか。
観光課長:桐生氏に対しては書面にて回答済みでございます。既存施設との共存を基本方針とし、丁寧に対応してまいります。"
平成十八年の時点では、桐生氏の意見書と要望書の二通だけ。山際氏の意見書は平成十九年、野口氏と藤川氏は平成二十年なので、まだ提出されていない時期です。二件目は平成二十一年三月定例会。別の市議が質問しています。
"████議員:丸子湖周辺観光開発計画に関して、これまでに住民から提出された意見書等の総数を伺う。
観光課長:桐生誠氏から意見書一通、要望書一通、抗議文一通の計三通、山際洋子氏から意見書一通、野口健一氏から意見書一通、合計五通を受理しております。なお、藤川美咲氏からの意見書一通を本年度受理しておりますので、総計六通でございます。
████議員:六通もの意見書等が出ているにもかかわらず計画を続行する理由は。
観光課長:提出された意見書等につきましては、いずれも真摯に受け止めておりますが、本計画は市の観光振興施策の根幹をなすものであり、計画そのものの中止は考えておりません。引き続き関係者のご理解を得られるよう努めてまいります。"
六通。桐生氏の三通と、山際氏、野口氏、藤川氏の各一通。数は合っています。市議会の公式な答弁として、三人の名前が読み上げられている。
この議事録を読んで、私は二つのことを感じました。一つは、市にとってこれが「処理すべき案件」でしかなかったということ。六通の意見書に対して「真摯に受け止めている」と言いながら、「計画の中止は考えていない」と即座に断言している。桐生氏が八年間かけて書き続けた文書も、山際氏たちの意見書も、行政の答弁においてはこの数行で片付けられている。
もう一つは、率直に言って安堵のような感覚でした。市議会の議事録に三人の名前が残っている。議事録は公文書です。山際洋子、野口健一、藤川美咲の三人が意見書を出したという事実が、議会の場で公式に確認されている。当たり前のことですが、ネットで三人の情報が全く見つからなかったので、こうして公的な記録に名前があると少しほっとしました。
なぜほっとしたのかよくわかりません。三人の存在を疑う理由はないはずです。意見書が手元にある。実在しない人間が意見書を書くはずがない。それなのに、公式の議事録に名前が載っているのを見て安心している自分がいる。「本当にいたんだ」という気持ちがどこかにある。自分でも不思議です。
議事録の画面をスクロールして、三人の名前をもう一度確認しました。「山際洋子氏一通」「野口健一氏一通」「藤川美咲氏一通」。活字で印刷された名前。議事録という公文書に記録された名前。この三人は公的に存在している。それなのに、画面の前で、かすかに手が冷たくなっていることに気づきました。
議事録はPDFで公開されているので、念のためダウンロードして保存しておきました。
ここで一つ、本題とは少し外れますが、検索結果の中で目に留まったものを記録しておきます。「丸子湖」の検索結果四件のうち、開発計画と直接関係ないものが二件あると書きました。その一件が、昭和五十二年十二月定例会の一般質問でした。
"████議員:丸子湖周辺において、過去三十年間に所在不明となった住民の数を確認したい。
総務課長:昭和二十三年以降、丸子湖周辺、具体的には丸子南を住所地としていた住民のうち、転出届を提出することなく所在不明となった者は二名でございます。いずれも長期にわたる捜索の結果、発見に至っておりません。
████議員:その二名はどのような方か。
総務課長:個人情報に関わる事項のため、詳細は差し控えさせていただきますが、いずれも湖畔に単身で居住されていた方でございます。"
昭和五十二年——一九七七年。桐生氏がホテルを開業する六年前です。それ以前に、丸子湖畔に一人で住んでいた人が二人、行方不明になっている。転出届なし。発見されていない。
図書館で見つけた郷土誌の記述を思い出しました。「かつてはこの湖のほとりに一人で長く留まることを戒める言い伝えがあった」。明治三十六年の炭焼きの男。「湖の中に自分がもう一人いる」。
偶然かもしれません。山間部の湖畔に単身で住むのは、そもそもリスクが高い。事故、遭難、病気。行方不明になる理由はいくらでもある。でも「二名」です。二人とも単身。二人とも転出届なし。二人とも見つかっていない。そしてその後、桐生氏が同じ場所に一人で住み始めた。
本題とは関係ないかもしれませんが、記録として残しておきます。
ところで、議事録を読んでいて一つ気になったことがあります。平成二十一年の答弁で、観光課長は六通の意見書を「桐生氏三通、山際氏一通、野口氏一通、藤川氏一通」と数えています。けれども、実際には桐生氏の書面は五通あります(意見書、要望書、抗議文三通)。平成二十一年三月の時点では第四通と第五通はまだ書かれていないので三通で合っていますが、ということは市議会でこれ以降、丸子湖の件が取り上げられていないということになります。
検索結果を確認しましたが、平成二十一年以降の議事録に「丸子湖」は出てきません。桐生氏がさらに二通の抗議文を出し、最終的に廃業に追い込まれ、看板を立てた。その全てが、市議会では一度も取り上げられていない。六通の意見書を「真摯に受け止めている」と答弁した市は、その後、この件に関心を失ったようです。
桐生氏は平成二十五年に廃業した後、どうしたのだろう。あの看板を立てて、それからどこに行ったのか。土地や建物は手放さないと書いていたから、所有権は今も桐生氏にあるはずです。どこかで暮らしているのか。それとも。
廃業から十年以上が経っています。桐生氏の現在の所在について、調べられることがあるか考えてみます。住民票や戸籍は個人では取得できませんが、不動産の登記情報は誰でも確認できます。ホテルの土地の登記を取ってみようと思います。
コメント欄
名無しの旅人 2025/01/25 22:18 議事録に三人の名前が出てきたのは大きいですね。公式記録として残っているわけですから。
地方行政ウォッチャー 2025/01/26 08:05 六通の意見書に対して計画中止を検討すらしない、というのは行政の姿勢としてかなり問題がありますね。形式的に「受け止めている」と言っているだけで、実質ゼロ回答です。
通りすがり 2025/01/26 15:40 管理人さん、自己紹介はどうなりました? 読み飛ばしたかなと思って遡ったんですけど、見当たらないです。
管理人 2025/01/26 20:55 通りすがりさん、すみません、書いたつもりだったのですが……。改めて次回にでも。
sss 2025/01/26 23:30 桐生さんの今がどうなってるか、気になりますね。
ここまで読んでくださっている方々にお礼を申し上げます。コメントやメールで情報を寄せてくださる方もいて、助かっています。
コメント欄で何度か「管理人さんはどういう方なんですか」と聞かれているので、少し自己紹介をしておこうと思います。
さて、今回は市議会の議事録についてです。
s山市議会の議事録は、市の公式ウェブサイトで過去の分が公開されています。全文検索ができるので、「丸子湖」で検索をかけました。夜中にスマホの画面に向かって、検索結果を一件ずつ開いていく作業は、妙に目が冴えました。議事録の文面は淡々としていますが、その中に桐生氏や三人の名前が出てくると、心臓が跳ねる。知り合いの名前を見つけたような感覚です。知り合いではないのに。
該当する会議は四件ありました。そのうち、開発計画に直接関係するのは二件です。一件目は平成十八年九月定例会。市議の一般質問で丸子湖の観光開発計画が取り上げられています。
"████議員:丸子湖周辺の観光開発計画について伺う。本計画に対し、地元住民からの意見書が提出されていると聞いているが、件数と内容の概要を示されたい。
観光課長:桐生誠氏より意見書一通及び要望書一通、計二通を受理しております。内容はいずれも新規宿泊施設の誘致に対する異議でございます。
████議員:計画の見直しを求める声があるということだが、市としてどう対応するのか。
観光課長:桐生氏に対しては書面にて回答済みでございます。既存施設との共存を基本方針とし、丁寧に対応してまいります。"
平成十八年の時点では、桐生氏の意見書と要望書の二通だけ。山際氏の意見書は平成十九年、野口氏と藤川氏は平成二十年なので、まだ提出されていない時期です。二件目は平成二十一年三月定例会。別の市議が質問しています。
"████議員:丸子湖周辺観光開発計画に関して、これまでに住民から提出された意見書等の総数を伺う。
観光課長:桐生誠氏から意見書一通、要望書一通、抗議文一通の計三通、山際洋子氏から意見書一通、野口健一氏から意見書一通、合計五通を受理しております。なお、藤川美咲氏からの意見書一通を本年度受理しておりますので、総計六通でございます。
████議員:六通もの意見書等が出ているにもかかわらず計画を続行する理由は。
観光課長:提出された意見書等につきましては、いずれも真摯に受け止めておりますが、本計画は市の観光振興施策の根幹をなすものであり、計画そのものの中止は考えておりません。引き続き関係者のご理解を得られるよう努めてまいります。"
六通。桐生氏の三通と、山際氏、野口氏、藤川氏の各一通。数は合っています。市議会の公式な答弁として、三人の名前が読み上げられている。
この議事録を読んで、私は二つのことを感じました。一つは、市にとってこれが「処理すべき案件」でしかなかったということ。六通の意見書に対して「真摯に受け止めている」と言いながら、「計画の中止は考えていない」と即座に断言している。桐生氏が八年間かけて書き続けた文書も、山際氏たちの意見書も、行政の答弁においてはこの数行で片付けられている。
もう一つは、率直に言って安堵のような感覚でした。市議会の議事録に三人の名前が残っている。議事録は公文書です。山際洋子、野口健一、藤川美咲の三人が意見書を出したという事実が、議会の場で公式に確認されている。当たり前のことですが、ネットで三人の情報が全く見つからなかったので、こうして公的な記録に名前があると少しほっとしました。
なぜほっとしたのかよくわかりません。三人の存在を疑う理由はないはずです。意見書が手元にある。実在しない人間が意見書を書くはずがない。それなのに、公式の議事録に名前が載っているのを見て安心している自分がいる。「本当にいたんだ」という気持ちがどこかにある。自分でも不思議です。
議事録の画面をスクロールして、三人の名前をもう一度確認しました。「山際洋子氏一通」「野口健一氏一通」「藤川美咲氏一通」。活字で印刷された名前。議事録という公文書に記録された名前。この三人は公的に存在している。それなのに、画面の前で、かすかに手が冷たくなっていることに気づきました。
議事録はPDFで公開されているので、念のためダウンロードして保存しておきました。
ここで一つ、本題とは少し外れますが、検索結果の中で目に留まったものを記録しておきます。「丸子湖」の検索結果四件のうち、開発計画と直接関係ないものが二件あると書きました。その一件が、昭和五十二年十二月定例会の一般質問でした。
"████議員:丸子湖周辺において、過去三十年間に所在不明となった住民の数を確認したい。
総務課長:昭和二十三年以降、丸子湖周辺、具体的には丸子南を住所地としていた住民のうち、転出届を提出することなく所在不明となった者は二名でございます。いずれも長期にわたる捜索の結果、発見に至っておりません。
████議員:その二名はどのような方か。
総務課長:個人情報に関わる事項のため、詳細は差し控えさせていただきますが、いずれも湖畔に単身で居住されていた方でございます。"
昭和五十二年——一九七七年。桐生氏がホテルを開業する六年前です。それ以前に、丸子湖畔に一人で住んでいた人が二人、行方不明になっている。転出届なし。発見されていない。
図書館で見つけた郷土誌の記述を思い出しました。「かつてはこの湖のほとりに一人で長く留まることを戒める言い伝えがあった」。明治三十六年の炭焼きの男。「湖の中に自分がもう一人いる」。
偶然かもしれません。山間部の湖畔に単身で住むのは、そもそもリスクが高い。事故、遭難、病気。行方不明になる理由はいくらでもある。でも「二名」です。二人とも単身。二人とも転出届なし。二人とも見つかっていない。そしてその後、桐生氏が同じ場所に一人で住み始めた。
本題とは関係ないかもしれませんが、記録として残しておきます。
ところで、議事録を読んでいて一つ気になったことがあります。平成二十一年の答弁で、観光課長は六通の意見書を「桐生氏三通、山際氏一通、野口氏一通、藤川氏一通」と数えています。けれども、実際には桐生氏の書面は五通あります(意見書、要望書、抗議文三通)。平成二十一年三月の時点では第四通と第五通はまだ書かれていないので三通で合っていますが、ということは市議会でこれ以降、丸子湖の件が取り上げられていないということになります。
検索結果を確認しましたが、平成二十一年以降の議事録に「丸子湖」は出てきません。桐生氏がさらに二通の抗議文を出し、最終的に廃業に追い込まれ、看板を立てた。その全てが、市議会では一度も取り上げられていない。六通の意見書を「真摯に受け止めている」と答弁した市は、その後、この件に関心を失ったようです。
桐生氏は平成二十五年に廃業した後、どうしたのだろう。あの看板を立てて、それからどこに行ったのか。土地や建物は手放さないと書いていたから、所有権は今も桐生氏にあるはずです。どこかで暮らしているのか。それとも。
廃業から十年以上が経っています。桐生氏の現在の所在について、調べられることがあるか考えてみます。住民票や戸籍は個人では取得できませんが、不動産の登記情報は誰でも確認できます。ホテルの土地の登記を取ってみようと思います。
コメント欄
名無しの旅人 2025/01/25 22:18 議事録に三人の名前が出てきたのは大きいですね。公式記録として残っているわけですから。
地方行政ウォッチャー 2025/01/26 08:05 六通の意見書に対して計画中止を検討すらしない、というのは行政の姿勢としてかなり問題がありますね。形式的に「受け止めている」と言っているだけで、実質ゼロ回答です。
通りすがり 2025/01/26 15:40 管理人さん、自己紹介はどうなりました? 読み飛ばしたかなと思って遡ったんですけど、見当たらないです。
管理人 2025/01/26 20:55 通りすがりさん、すみません、書いたつもりだったのですが……。改めて次回にでも。
sss 2025/01/26 23:30 桐生さんの今がどうなってるか、気になりますね。
