m県s山市の悪政を告発します

2024年11月18日 投稿
 
 今回から、桐生誠氏がs山市に宛てた書面を紹介していきます。
 
 週末に開示文書のコピーをコンビニで拡大コピーしてきました。手書き文書は原寸だと読みにくいので。蛍光灯の下で桐生氏の筆跡を眺めていると、日常の風景が妙に遠く感じました。
 
開示文書の中に、桐生氏名義の書面が五通ありました。日付順に並べると以下のとおりです。

第一通 平成17年3月28日「意見書」
第二通 平成18年9月4日「要望書」
第三通 平成20年2月15日「抗議文」
第四通 平成22年11月7日「抗議文」
第五通 平成25年6月20日「抗議文」
 
 八年にわたって五通。最初は「意見書」だったものが、途中から「抗議文」に変わっています。タイトルの変化だけで、何かが少しずつ悪くなっていったことが伝わってきます。
 
 今回は第一通を紹介します。
 
 平成十七年三月二十八日付の「意見書」。説明会が三月十五日だったので、そのわずか十三日後に書かれたものです。宛先はs山市長(氏名黒塗り)。A4用紙二枚、手書き。字は力強い。一文字一文字に体重がかかっている。太くて直線的な字でした。
 
 用紙の隅に小さなシミがありました。コーヒーかお茶か。書きながら飲んでいたのかもしれません。あるいは涙か。いや、そんなことは紙のシミからはわかりません。ただ、このシミはコピーにもはっきり写っていて、行政文書の中にあってそこだけ妙に生々しい。書いた人間の体がそこにあったという痕跡。

 全文を転記します。

"意見書
s山市長 殿
 三月十五日の説明会に出席いたしました。その場でも申し上げましたが、改めて書面にて意見を述べます。
 丸子湖ホテルは昭和五十八年に私が開業し、以来二十二年にわたり営業を続けてまいりました。開業当初、丸子湖への道は未舗装で、訪れる人もほとんどおりませんでした。紅葉の名所としていくらかでも知られるようになったのは、私が長年にわたり旅行雑誌や観光案内所への働きかけを続けてきた結果です。
 遊歩道の整備も、もとはと言えば私が市に何度も陳情して実現したものです。平成二年から平成五年にかけて、三年がかりで陳情書を出し続けました。当時の観光課長の████さんには、私の熱意を理解していただきました。その結果として遊歩道が整備され、徐々に来訪者が増えました。
 つまり、丸子湖が観光地としての形を成したのは、行政の計画によるものではありません。私が自費でホテルを建て、自分の足で営業先を回り、自分の言葉で市に陳情を続けた結果です。二十二年かけて、一人でやってきました。
 その場所に、今になって市が新しい施設を誘致するというのは、私の二十二年間を否定することと同じです。
 説明会では「共存を前提とする」とのご説明がありましたが、具体的な方策は示されませんでした。五十室の温泉旅館がすぐ隣にできて、二十四室の温泉なしのホテルがどう「共存」するのか。私には想像ができません。
 計画の見直しを求めます。少なくとも、新規施設の誘致については、既存施設への影響を十分に調査し、具体的な共存策を示していただきたい。
 私はこの湖が好きです。この場所で残りの人生を過ごすつもりでいました。お願いですから、それを奪わないでください。
平成17年3月28日 桐生誠"

 読み終わって、しばらく動けませんでした。

 開示文書を読む作業は、ここ数日の日課になっています。こういう作業をしていると、時間の感覚がおかしくなります。届いた資料の束をテーブルに広げて、一枚ずつ読んでいく。読み終わったものを裏返して右に置いて、次の一枚をめくる。気がつくと窓の外が暗くなっている。そういう夜が続いています。

 どの文書もそれなりの重さがあるのですが、この意見書は特に手が止まりました。議事録で読んだ発言とは違う手触りがあります。説明会では怒りが前に出ていましたが、この意見書はもっと静かです。怒りというより、困惑に近い。自分の身に起きていることが信じられない、という感じ。「お願いですから、それを奪わないでください」。この一文に、この人の二十二年間が全部入っている気がしました。

 意見書を読み終えて、コピー用紙をテーブルに置いたまま、しばらく考えていました。説明会に一人で出て、反対の声を上げて、帰ってきて、一人でこの意見書を書いた。あの山の上の、湖のそばの建物の中で。桐生氏は全てを一人でやっている。ホテルの経営も一人。市との交渉も一人。意見書も一人。あの場所に一人。

 この時点では、まだ山際氏は現れていません。桐生氏の味方は一人もいなかった。二十二年間ずっと一人だった。

 一人で戦い続けるというのは、どういう感覚なのだろう。自分の声が跳ね返ってくる相手がいない。賛同してくれる人がいない。反応があるのは市の定型的な回答書だけ。それでも書き続けた。「お願いですから」と。コピー用紙の上のこの字は、誰にも届かないかもしれない声を、それでも形にしようとした痕跡です。

 読んでいて気づいたのですが、桐生氏は最初の段落でかなり詳しく経緯を書いています。開業当初の道の状態、旅行雑誌への働きかけ、遊歩道の陳情。相手に説明するというより、自分自身の二十二年間を確かめるように書いている。こういうことを私はやってきた、と。それが最後の「奪わないでください」につながる。ここを読み飛ばすと、最後の一文の重さが半分になってしまいます。

 余談ですが、今日気づいたことがあります。資料を読みながらメモを取っていたのですが、ふと手元を見ると、自分の字がいつもと違っていました。角ばっていて、筆圧が強い。自分の字を見て一瞬、誰が書いたのかわからなかった。

 この意見書に対する市側の回答は、開示文書の中にありました。平成十七年四月十五日付、s山市観光課長名義の回答書です。内容を要約すると——いや、そのまま書きます。

"桐生誠 様
 平成17年3月28日付で提出いただいた意見書について回答いたします。
 丸子湖周辺の観光振興は本市の重要施策であり、長年にわたり丸子湖の観光振興にご尽力いただいている桐生様のご功績は十分に認識しております。
 新規宿泊施設の誘致にあたっては、既存施設との共存・共栄を基本方針とし、桐生様のホテルの営業に重大な支障が生じないよう十分配慮してまいります。今後、具体的な計画の進捗に応じて、桐生様にも随時ご説明させていただきます。
 ご理解とご協力をお願いいたします。"

 行政の回答というのはこういうものなのだろうと思います。間違ったことは書いていない。失礼なことも書いていない。けれども何も言っていない。「重大な支障が生じないよう十分配慮してまいります」。どう配慮するのかは書いていない。「随時ご説明させていただきます」。いつ説明するのかも書いていない。丁寧な言葉で包んであるだけで、中身は空です。
 
 桐生氏がこの回答を読んで何を思ったか。直接的にはわかりません。けれども、次の書面のタイトルが「意見書」から「要望書」に変わっていることが、何かを物語っている気がします。お願いの言葉では届かなかった。だから次は「要望」になった。

 この意見書を読み終えた後、しばらくテーブルの前に座ったまま動けませんでした。知らない人の文書を読んでいるだけなのに、体が重い。自分が書いたわけでもないのに、疲弊している。肩から腕にかけてが特にだるく、二十年以上デスクワークを続けた人間の疲れ方に似ている。自分はそんな働き方をしたことがないはずなのに。桐生氏の文章には何かがある。読む人間の中に入り込んでくる何かが。

 次回は第二通「要望書」を紹介します。

コメント欄
名無しの旅人 2024/11/18 22:07 「お願いですから、それを奪わないでください」がつらい。この人の人生そのものだったんですね、あのホテルは。

地方行政ウォッチャー 2024/11/19 09:20 市の回答書、見事にゼロ回答ですね。「配慮してまいります」は行政用語で「何もしません」と同義です。これを受け取った側の気持ちを考えると……。

s山在住 2024/11/19 12:35 桐生さんが遊歩道の陳情をしてたのは知りませんでした。あの遊歩道、市が最初から作ったものだと思ってました。

sss 2024/11/19 23:14 読んでてちょっと胸が痛いです。桐生さん、最初はこんなふうにちゃんとお願いしてたんですね。