m県s山市の悪政を告発します


2025年5月10日 投稿

 前回の更新から少し間が空きました。体調がよくないのと、考えがまとまらないのとで、文章を書く気力が出ませんでした。夜中に何度も目が覚めます。目が覚めるたびに、暗い部屋の中で自分の手を見ている。自分の手だという確信が持てるまで、しばらくかかります。指を一本ずつ動かして、自分のものだと確認する。そういうことをしています。
 
 鏡を見るのが怖くなりました。正確には、鏡を見たときに映る顔が、自分の顔かどうか自信が持てなくなりました。見覚えはある。でも「これは自分だ」という感覚が薄い。洗面台に向かうたびに、桐生氏のホテルの砕けた鏡のことを思い出します。粉々に叩き割られた鏡。あの人も鏡を見るのが怖かったのだろうか。
 
 sssさんの指摘が頭から離れません。「偶然です」とお返事をしました。でもあの後、ずっと考えていました。改めて全文書を机に広げて読み返しました。コピーを一枚ずつ並べ、見比べていく。

 三人の意見書に全く同じ一文。「あの湖を見ていると、自分が何者であるかなど忘れてしまいそうになる」。通りすがりさんに指摘されるまで気づかなかった。なぜ気づかなかったのだろう。何十回と読み返していたのに。

 そして同じ筆跡。以前「気のせいかもしれない」と書きました。でもこうして並べて見ると、もう気のせいだとは思えない。
 
 一語一句同じフレーズ。同じ筆跡。異なる文体。異なる名前。
 
 同じフレーズ。同じ筆跡。住所に建物がない。地元の人が誰も知らない。電話帳にもネットにもいない。食堂に並んだ四人分の食器。そして桐生氏の最後の抗議文の、最後の一文。

 みなさんの声は、私の声でした。
 
 あのとき私は、これを感謝の言葉だと解釈しました。「みなさんが声を上げてくれたことは、私の声を代弁してくれたのと同じです」。そういう意味だと。
 
 でもこの文を、今、もう一度読んでください。
 
 みなさんの声は、私の声でした。
 
 山際の声は、桐生の声だった。野口の声も。藤川の声も。文字通り。同じ手が、同じ筆跡で、同じフレーズを含む文書を、異なる名前で書いた。桐生氏はそのことを知らなかった。「みなさん」が声を上げてくれたのだと信じていた。感謝していた。自分自身に。
 
 山際洋子も、野口健一も、藤川美咲も、桐生誠の中にいた。

 今の時点で、私が思いつく説明はこれしかありません。間違っていてほしい。三人がどこかで元気に暮らしていてほしい。でもそうだとしたら、なぜ誰も三人を知らないのか。なぜ三人はどこにもいないのか。なぜ全員が同じ言葉を書いたのか。他に説明があるなら、誰か教えてほしい。
 
 あの廃墟の中で見たものを思い出します。浴室のタイルにうずくまるような形で広がった黒い染み。廊下の壁に重なった大きさの違う手形。天井から垂れる黒い繊維。食堂に並んだ四人分の食器。ベッドの枠に刻まれた爪の跡。粉々に砕かれた鏡。ノートに繰り返された「ここにいます」。
 
 全てが、一人の人間の中で何かが起きていたことを示しているように思えます。
 
 でも、本当にそれだけでしょうか。
 
 桐生氏は三十年間、湖畔で一人だった。郷土誌には「一人で長く留まることを戒める言い伝えがあった」と書いてあった。s山在住さんのお祖母さんは「鏡湖のそばに一人でいちゃいけない」と言っていた。「昔、あそこに一人で住んでた人がおかしくなった」と。「あの湖は映す。映したものを取る」「取られた人は、自分がいなくなったことに気づかない」。

 明治三十六年の炭焼きの男。「湖の中に自分がもう一人いる」。昭和の行方不明者二名。いずれも単身居住。転出届なし。発見されていない。そして桐生氏。三十年間、一人。

 同じことが繰り返されている。百年以上にわたって。一人であの湖畔にいた人間が、自分を失う。
 
 なぜあの湖畔だけなのか。孤立した環境は他にもある。山小屋に一人で暮らす人はいる。灯台守もいた。離島の住人もいる。どこでも起きることなら、なぜ丸子湖ばかり同じ話が繰り返されるのか。
 
 あの水面が完全に静止していたこと。波紋を立てずに葉を吸い込んだこと。流出河川を持たない閉鎖性湖沼。入ってくるだけで、出ていかない。滞留時間四十年以上。
 
 映したものを取る。取られた人は気づかない。
 
 私にはどちらが正しいのかわかりません。病なのか、場所の力なのか。あるいは、そもそもその二つは同じものなのか。あの湖が人の心に作用する力を持っていて、それを私たちが「病」と呼んでいるだけなのか。
 
 わかりません。わからないけれど、怖い。
 
 この記事を書いていて、手が震えています。寒いのか、怖いのか、わかりません。自分の手を見ています。この手は誰の手だろう。ふと思ったのですが、私はこの記事をどこで書いているのだろう。自宅のテーブルで、と答えるべきなのですが、テーブルの上を見ても、窓の外を見ても、今いる場所の具体的な像が浮かんでこない。ここはどこだろう。いつもいる場所のはずなのに。
 
 もう一つだけ書いておきます。
 
 あの病院の担当医は、電話の最後に「あなたは今、お一人で調べていらっしゃるんですね」と言いました。一人。私は一人で調べている。あの湖に一人で行っている。このブログを一人で書いている。
 
 「鏡湖のそばに一人でいちゃいけない」。

コメント欄
sss 2025/05/10 23:15 管理人さん。ずっと言おうかどうか迷ってたんですけど。管理人さんも、あの湖を見て、気になって、通い始めて、ブログを書いてますよね。三人と同じパターンだって、気づいてますか。

管理人 2025/05/11 03:40  気づいています。