2025年4月12日 投稿
少し間が空きました。
理由は、体調を崩していたからです。具体的に何が悪いというわけではないのですが、ここ数週間、眠りが浅く、食欲がなく、日中にぼんやりすることが増えました。丸子湖の夢をよく見ます。水面の下から何かがこちらを見ている夢です。顔が見えそうで見えない。目が覚めると、自分がどこにいるのか一瞬わからなくなります。
体調が戻ったわけではないのですが、この件を止めるわけにはいかないと思い、更新を再開します。
今回は、これまでに集めた全文書を時系列順に並べて整理します。桐生氏の所在がわからない以上、手元にある資料をもう一度丁寧に見直すことが、今できる最善だと思いました。
テーブルの上に全ての文書のコピーを広げました。八通の文書を一枚ずつ並べていく。桐生氏の最初の意見書を左端に置いて、右に向かって時系列順に並べる。最後に桐生氏の最後の抗議文が右端に来る。八年分の声が、一本の線になってテーブルの上に伸びている。
夜中の作業です。静かです。文書の上に照明の光が落ちている。紙の白さが目に眩しい。部屋が暑いので窓を開けようとしましたが、開きませんでした。以前にも同じことがあった気がします。窓を開けたかったのに開けなかった。あのときは「なぜかそうしなかった」と書きましたが、今夜は物理的に開かない。建てつけが悪いのか、鍵が固いのか。力を入れてみましたが、びくともしない。窓ガラスに手を当てると、妙に冷たい。夜の外気が伝わってきている。ガラスの向こうは暗くて何も見えません。自分の顔だけが映っている。
諦めて、テーブルに戻りました。八通の文書を上から見下ろしていると、八年分の声が一本の線になっている。
長い時間、テーブルの前に立っていました。以下が一覧です。
日付 差出人 種別 形式
H17.3.28 桐生誠 意見書 手書き
H18.9.4 桐生誠 要望書 手書き
H19.6.12 山際洋子 意見書 手書き
H20.2.15 桐生誠 抗議文 手書き
H20.5.8 野口健一 意見書 ワープロ(署名のみ手書き)
H20.7.22 藤川美咲 意見書 手書き
H22.11.7 桐生誠 抗議文 手書き
H25.6.20 桐生誠 抗議文 手書き
八通の文書。平成十七年から平成二十五年まで、八年間。並べてみると、共通点が目につきます。全員が「丸子南」の住所。全員が同じ開発計画に反対している。全員が丸子湖への強い思い入れを持っている。そして全員が、今はどこにもいない。
もう一つ。開示文書の中に、各意見書の受付記録がありました。それによると、桐生氏の五通は全て窓口に持参。山際氏、野口氏、藤川氏の三通は全て郵送。三人とも、一度も市役所に直接来ていない。住所が同じ「丸子南」なのに、窓口に来るのは桐生氏だけ。三人は紙だけを送ってくる。顔を見せない。
一つ、気になることがありました。手書きの文書を見比べていると、桐生氏の五通と山際氏・藤川氏の意見書で、字の癖が似ている。コピーなので筆記具の違いはわかりません。でも字の傾き、筆圧の強さ、角ばった字形が共通しているように見える。同じ人が書いたとまでは言いません。ただ、見比べていると境界が曖昧になってくる。気のせいかもしれません。長時間同じ字を見ていると、何でも似て見えてくるものです。
八通の紙を上から見下ろしていると、不思議な感覚がありました。テーブルの上に、八年分の声が並んでいる。でもその声はもう聞こえない。紙の上に字だけが残っている。字だけが生きている。夜中の部屋で、紙の白さだけが浮き上がって見える。
さて、内容面で気になったのは、八通の文書を時系列で追ったときの「温度」の変化です。平成十七年、桐生氏の最初の意見書は「お願い」の文書でした。丁寧で、控えめで、切実だった。それが年を追うごとに硬くなり、怒りが増していく。平成二十年の山際氏、野口氏、藤川氏の意見書が加わることで声が多層化するのですが、桐生氏自身の文書は一貫して孤独な戦いの記録です。最後の抗議文は二枚しかなく、怒りすら消えて、疲労だけが残っている。
一つだけ気になったのは、野口氏の意見書の行政知識です。契約事務取扱規則の条番号まで引いている。「元市職員」「観光課に十五年」という自称が本当なら納得のいく知識量ですが、本当に元職員なのか。市の退職者名簿と照合すれば確認できるはずです。ただ、桐生氏自身も八年にわたる情報公開請求と陳情を繰り返しており、行政の内部規則に精通していても不思議ではありません。それほどの年月を費やしている。
八通の文書を並べることで見えたのは、一人の人間が声を上げ続け、数人の賛同者を得て、それでも何も変わらず、最終的に全てを失うまでの八年間の記録だということです。行政とはそういうものなのかもしれません。個人の声は、どれだけ積み重ねても、体制を動かすには足りない。
文書を一枚ずつクリアファイルに戻しながら、自分がなぜこの件をここまで追い続けているのか、改めて考えました。最初は看板の文字が気になっただけだった。それがいつの間にか、桐生氏の人生を追いかけている。山際氏、野口氏、藤川氏の声を掘り起こしている。彼らの声を記録して、ブログに載せている。
彼らの声を、私が代わりに届けている。
……なぜだろう。なぜ私はそれをしているのだろう。
文書の整理を終えた翌日、丸子湖に行きました。目的は、三人の住所である「丸子南」を改めて歩くことです。
以前に一度歩いていますが、あのときは山際氏の住所の手がかりを探すだけが目的でした。今回は三人全員の住所です。三人とも「丸子南」。ホテル以外に建物がないはずの場所に、三人が住んでいたことになっている。
春の丸子湖は新緑の匂いがしました。冬に来たときとは全く違う。木々が芽吹いて、遊歩道に若い緑の光が射している。湖面はうすい緑色で、水鏡の輪郭がぼやけている。風があるせいです。
南側に回りました。ホテルの手前の空き地。第5回で新旅館の跡と推測したコンクリートの基礎がまだありました。雑草に覆われていますが、コンクリートの角が地面から突き出ている。改めて周囲を歩いてみましたが、この基礎とホテル本体以外に、建物の痕跡は見つかりませんでした。
基礎の周囲を歩き回りました。他にも建物の跡がないか探しましたが、見つかりませんでした。ホテルの裏手にも回ってみましたが、傾斜が急で、建物を建てられるような平地はない。ホテルの北側にも行ってみましたが、すぐに湖畔になる。建物の跡はない。
結論として、「丸子南」に建物の跡は、ホテル本体と新旅館の基礎だけです。三人が住んでいた住居は、どこにも見当たらない。
帰りに、県道沿いの集落で人を見かけたので声をかけました。七十代くらいの男性で、畑仕事をしていました。丸子湖のことを聞くと、「ああ、上の湖ね」と言いました。それから私の顔を見て、少し間がありました。
「湖のそばに住んでいた人を知りませんか。桐生さん以外で」
男性の表情が変わりました。首を傾げて、それからまた私の顔をじっと見ました。目を細めて、何かを確かめるように。
「……あそこはずっと桐生さんだけだよ。昔から」
「山際さんとか、野口さんとか、藤川さんとか……」
男性は黙りました。数秒間。畑の土を見て、それから私を見て、また土を見ました。
「……知らないね」
もう一つ聞きました。「あの辺りに子供が住んでいたことはありますか」
「子供?」男性は眉を上げました。「あの山の上に? ないよ。学区は丸子小学校だけど、ここからでも四キロはある。バスもないし、冬は道が凍る。あそこに子供を住まわせる親はいないよ」
藤川氏は「子供がいるのでほんとうに心配しています」と書いていました。通学路にトラックが通って危険だと。でもこの人の話では、あの場所に子供が住んでいたことはない。
お礼を言って離れようとすると、男性が背中に声をかけてきました。
「あんた……体、大丈夫かい」
振り返ると、男性は心配そうな顔をしていました。意味がわからなかったので、「はい、大丈夫です」と答えました。男性はしばらく私の顔を見てから、「そうかい」と言って畑に戻りました。
車に戻ってから、ハンドルを握ったまましばらく動けませんでした。三人は「丸子南」に住んでいたことになっている。でも「丸子南」にはホテルしかない。近隣の住民も三人を知らない。法務局にも登記がない。電話帳にもない。ネットにもない。
三人は、住所以外に「丸子南」との接点がない。唯一の接点は、意見書に書かれた住所。書類の上だけに存在する住所。湖のほうを振り返りました。木々の隙間から、緑色の水面がちらちらと見えました。あの向こう側に、三階建ての建物がある。桐生氏が三十年間一人で暮らした建物。
一人。ずっと一人。
うまく考えがまとまりません。最近、考えがまとまらないことが増えました。文章を書いていても、途中で何を書こうとしていたのか忘れることがある。
次回は、桐生氏の周辺に関する新しい情報が入ったので、それを報告します。
コメント欄
名無しの旅人 2025/04/12 22:05 全文書の整理、ありがとうございます。こうして一覧にすると八年間の重みが伝わってきます。管理人さんも無理しないでくださいね。
地方行政ウォッチャー 2025/04/13 08:30 八通の意見書に対して計画が変更されなかったというのは、記録として残す価値のある事例です。このブログの意義は大きいと思います。
通りすがり 2025/04/13 14:18 管理人さん、体調大丈夫ですか。あと、文書の引用を読み返してて思ったんですけど、山際さんと野口さんと藤川さん、同じフレーズを使ってますね。「あの湖を見ていると、自分が何者であるかなど忘れてしまいそうになる」って。偶然なんですかね。
管理人 2025/04/13 23:50 通りすがりさん、ご指摘ありがとうございます。言われてみれば確かに同じ表現ですね。気づきませんでした。あの湖を前にすると、誰でも同じ気持ちになるのかもしれません。
sss 2025/04/14 02:10 ……管理人さんのブログの初回にも同じ文がありますよね。「あの湖を見ていると、自分が何者であるかなど忘れてしまいそうになる」って。
