m県s山市の悪政を告発します

2025年2月22日 投稿

 丸子湖に行ってきました。三度目です。
 
二月の丸子湖は、前の二回とは別の場所のようでした。雪が積もっていました。そこまで深くはないのですが、遊歩道が白く覆われていて、自分の足跡だけが後ろに続いている。湖面は凍ってはいませんでしたが、水の色が暗い。鉛のような色です。風がなく、音がない。鳥の声も聞こえませんでした。
 
駐車場には私の車だけ。これはいつものことです。
 
今回の目的は廃墟ホテルの内部です。前回書いたとおり、建物は門や柵で封鎖されているわけではありません。正面入口の扉は外れかけていて、人ひとりが通れる隙間が開いていました。懐中電灯を二本持ってきました。
 
中に入ります。正面入口を抜けると、ロビーでした。天井が高い。思ったよりも広く感じます。タイル張りの床に落ち葉や砂が吹き込んでいて、足を踏み入れるたびにじゃりじゃりと音がします。空気が冷たくて、外よりも寒い。建物全体が冷蔵庫のようになっています。懐中電灯の光がロビーの壁を照らすと、壁紙の花柄が浮かび上がりました。昔の旅館にありがちな、淡い桃色の花柄。ところどころ剥がれて下地のコンクリートが見えていますが、残っている部分はまだ色が生きている。

 フロントカウンターがありました。木製で、天板が湿気で反り返っている。カウンターの上には何もない。棚には客室の鍵を掛けるフックが並んでいましたが、鍵は一つもありませんでした。フックの下に部屋番号が小さく書いてある。101、102、103。

 s山在住さんのメールを思い出しました。「ロビーに桐生さんが立っていて、『ようこそ』と言って出迎えてくれた」。このカウンターの向こう側に立っていた人がいる。

 ロビーの奥に廊下が伸びていて、一階の客室が並んでいます。扉が開いている部屋と閉まっている部屋がある。開いている部屋を一つ覗きました。畳の部屋でした。畳はかなり傷んでいて、一部が黒く変色しています。窓ガラスが割れていて、そこから雪が吹き込んだ跡がありました。押し入れの襖が外れて床に倒れている。
 
 客室を何部屋か見ましたが、どこも似たような状態でした。家具はほとんど残っておらず、布団も座卓もない。廃業時に片付けたのか、あるいは持ち出されたのか。ただ、浴室だけは少し違いました。タイルの目地に黒い染みが広がっている部屋があって、最初は水垢やカビだと思ったのですが、染みの形が奇妙でした。排水口を中心に、何かがうずくまっているような輪郭で広がっている。黒い影が、人間が膝を抱えて座っているような形で、白いタイルの上に染みついている。別の部屋の浴室を覗くと、そこにも似たような染みがありました。形は少しずつ違うのですが、どの部屋も排水口の周りに、何かの形をした影が張りついている。ある部屋では仰向けに横たわった形、ある部屋では四つん這いのような形。水漏れの跡だと思います。思いますが、見ていると自分が何かの形に見える方向に引っ張られていく感覚があって、あまりいい気持ちはしませんでした。排水口から甘い匂いがかすかにする。
 
 廊下を歩いていて、壁に手形があることに気づきました。汚れかペンキか、薄暗い懐中電灯の光では判別がつきません。ただ、手形が重なるように複数押されていて、大きさが違う。大人の手と、一回り小さい手と、さらに小さい手。三つか四つの手形が同じ場所に重なっている。壁に近づいて目を凝らすと、手形の周囲にも薄い汚れが広がっていて、手を押しつけた後にずるりと引きずり下ろしたような痕跡がありました。壁に手を突いて、そのまま崩れ落ちたかのような。
 
 階段を上がって二階に行きました。懐中電灯の光が狭い階段を照らします。壁のクロスが剥がれて垂れ下がっている。二階も客室の並びですが、一階よりやや状態がよく、窓ガラスが残っている部屋がありました。

 三階に上がりました。桐生氏の抗議文に出てきた「平成七年の増築部分」はおそらくここです。天井が二階よりも低く、天井板の一部が剥がれて垂れ下がっています。その隙間から、髪の毛のような黒い繊維が束になって垂れていました。触ってみると湿っている。カビが繊維状に成長したものだと思いますが、薄暗い懐中電灯の光の中で見ると、天井から髪が垂れ下がっているように見えて、思わず手を引きました。
 
三階の手前に、食堂らしき部屋がありました。入ってみると、テーブルが一つ残っている。そしてその上に食器が並んでいました。埃をかぶっていますが、茶碗、箸、小皿のセットが四人分。テーブルの四辺に一人分ずつ、向かい合うように置いてある。配置が整然としていました。食事の直前のように見える。箸はそれぞれ箸置きの上に載っている。ただし、箸の一膳だけが折れて、皿の上に載っていました。折れ方が不自然で、手で折ったように見えます。

 一つの茶碗だけ、埃の付き方が薄い気がしました。他の三つに比べて白い。光の加減かもしれません。
 
 四人分の食器。桐生氏は一人で暮らしていたはずです。客がいない時期に四人分を並べる理由は何だろう。来客の名残にしては配置が丁寧すぎる。まるで四人がそこに座っているかのように。懐中電灯の光を食器に当てると、埃の下から白い陶器の色が覗きました。
 テーブルの脚元に割り箸の袋が散らばっていました。しゃがんで見ると、ホテルの名前が印刷されている。「丸子湖ホテル」。未使用のものも混じっている。比較的最近まで、ここで食事をしていた人がいる。一人で。四人分の食器を並べて。
 
 廊下の突き当たりに、一つだけ他と様子の違う扉がありました。客室の扉と違って、表に何も書かれていない。開けてみると、客室ではなく、居住スペースでした。六畳ほどの部屋に、ベッドの枠と、事務用の机と椅子がありました。枠だけで布団やマットレスはありません。ベッドの枠の内側に、爪で引っ掻いたような溝が無数に走っていました。木の表面が毛羽立つほど何度も同じ場所を掻いた跡です。眠れない夜に枠を掻いていたのか。あるいは別の理由か。机の上に何冊かのノートと、段ボール箱が置いてありました。ペンが一本、キャップの外れた状態で机の端に転がっている。壁にカレンダーが貼ってある。平成二十五年のカレンダーで、三月のページが開いたまま。廃業届を出した年です。

 桐生氏の部屋でした。

 しばらく入口に立ったまま、中を見ていました。この部屋で暮らしていた人がいる。毎朝ここから階段を降りて、フロントに立って、客が来るのを待っていた。夜はこの部屋に戻って、この机に向かって、あの意見書や抗議文を書いていた。
 
 机の上のノートを手に取りました。三冊ありました。大学ノートで、表紙に何も書いてありません。開いてみると、筆圧の強い、角ばった字が並んでいます。日付はなく、日記というよりは覚え書きのようなものです。ほとんどはホテルの経営に関する記述でした。「本日宿泊三名」「屋根修理見積もり██万円」「来週紅葉ピーク」。淡々とした業務記録です。

 ただ、ところどころに、業務とは関係のない文が混じっています。

"湖が静かだ。今日は風がない。水面に何もかもが映っている。
また一人、声を上げてくれた。ありがたい。
夜になると湖の色が変わる。暗いのではない。深くなる。
みんながいてくれるから、まだやれる。"
 
 「また一人、声を上げてくれた」。これは山際氏や野口氏や藤川氏のことだろうと思います。意見書を出してくれたことへの感謝でしょう。
 
 ノートの二冊目の後半に、異様なページがありました。見開きいっぱいに、同じ文が繰り返し書かれている。

"ここにいます ここにいます ここにいます ここにいます"
 
 同じ四文字が、行を変えながら何十回も続いています。最初は字が整っていますが、下に行くにつれて崩れていき、最後の数行はほとんど判読できない。ペンの圧で紙が破れかけている箇所もありました。誰が「ここにいます」と言っているのか。
 
 その次のページには、四人の名前が縦に並んでいました。山際洋子、野口健一、藤川美咲、桐生誠。それぞれの横に正の字が書かれています。山際の横に四つ、野口が三つ、藤川が二つ。何を数えていたのかわかりません。桐生誠の横には正の字ではなく、丸が一つだけ。
 
 三冊目のノートは、最後の数ページが水に濡れた跡がありました。紙が波打って乾いており、インクがにじんでいる。にじんだ部分の文字は読めませんでした。
 
 段ボール箱も確認しました。中身は書類でした。市との往復書簡のコピー、新聞の切り抜き(丸子湖の紅葉を紹介する小さな記事)、旅行雑誌のページのコピー、観光パンフレット。桐生氏が三十年間集めてきたものだと思います。
 
 その中に、一枚の写真がありました。湖の写真です。秋の丸子湖を正面から撮ったもので、水面に紅葉が映っている。写真の裏に何か書いてあります。裏返すと、ボールペンで一行。

"わたしたちの湖"
 
「わたしたち」が誰を指しているのかはわかりません。桐生氏と、かつてホテルに泊まった客たちのことかもしれない。桐生氏と、意見書を出してくれた人たちのことかもしれない。

 写真をもとの場所に戻しました。ノートも段ボール箱も、持ち出さずにそのまま置いてきました。桐生氏のものですから。
 
 ホテルを出て、遊歩道に戻りました。雪の上に、行きに自分がつけた足跡だけがある。他に誰もいない。振り返ると、建物の入口から自分の足跡が一筋、雪の中に伸びている。来た道と同じ足跡をたどって駐車場に戻りました。
 
 車に乗り込んでエンジンをかけてから、しばらく動けませんでした。ハンドルを握ったまま、フロントガラスの向こうの雪景色を見ていました。あのホテルの中で見たものが、頭の中で整理できない。浴室の黒い染み。壁の手形。天井から垂れる繊維。食堂の四人分の食器。ベッドの爪の跡。ノートの「ここにいます」。名前の横の正の字。水に濡れたページ。ティッシュに包まれた健康な歯。そして湖の写真の裏の「わたしたちの湖」。
 
 「わたしたち」。一人で暮らしていたはずの人間が「わたしたち」と書いた。
 
 バックミラーに自分の顔が映っていました。目が充血している。頬がこけている。いつからこんな顔になっていたのか。この顔は私の顔だろうか。そう思って、おかしくなって、車を出しました。
 
 暖房が効くまでしばらく座っていました。フロントガラスの向こうに湖が見えます。灰色の水面。あの湖を三十年間、毎日見ていた人がいる。
 
 帰りの車の中で、ノートの文を思い返していました。「湖が静かだ」「水面に何もかもが映っている」「夜になると湖の色が変わる」。桐生氏はこの湖をずっと見ていた。三十年間、毎日。

コメント欄
名無しの旅人 2025/02/22 22:30 廃墟の中の様子、生々しいですね。カレンダーが平成25年の3月で止まってるの、つらい。

s山在住 2025/02/23 09:15 フロントカウンターの話を読んで、泊まったときのことを思い出しました。あのカウンターの向こうに桐生さんが立ってたんです。ちゃんと覚えてます。

地方行政ウォッチャー 2025/02/23 12:40 写真の裏の「わたしたちの湖」、桐生さんにとってあの場所が全てだったんですね。

sss 2025/02/23 21:05 ノートに「また一人、声を上げてくれた」って書いてあったんですね。桐生さんにとって心強かったんだろうなあ。