〜立花結衣〜
展望広場を包んでいたオレンジ色の光が、少しずつ紫色の影に飲み込まれていく。集合写真を撮り終えたあとの弛緩した空気の中で、クラスメイトたちは思い思いに土産物袋を揺らし、バスの待つ駐車場へと歩き出していた。
「よし、全員揃ったな。バスに乗れ。一号車からだ」
前方のほうで、先生の声が響く。その声に急かされるようにして、私たちは石畳の坂道を下り始めた。私の隣には、莉央ちゃんがいつものように軽やかな足取りで並んでいる。
「疲れた?」
莉央ちゃんが顔を覗き込んできた。
「ううん、大丈夫。莉央ちゃんは?」
「私も。自分で打ったお蕎麦が意外と重くて、まだお腹いっぱいかも」
莉央ちゃんはくすくすと笑い、自分のバッグのストラップを握り直した。
バスの車内は、まだ熱気が冷めていなかった。 「あの蕎麦、新田のやつだけ絶対うどんだったよな」「ちょっとコシが強かっただけだ!」 後方の座席から新田くんの明るい声と、それに呆れる永瀬くんや浅倉くんの声が聞こえてくる。私は莉央ちゃんと並んで座り、窓の外を流れる夜の景色を眺めていた。山を下るにつれて、街の灯りがポツポツと増えていく。
「楽しみだね、ホテル」
莉央ちゃんが、窓に映る自分の顔を見つめながら言った。
「うん。……莉央ちゃんと同じ部屋で、本当によかった」
私が本音を漏らすと、莉央ちゃんは窓から視線を外して、私を真っ直ぐに見た。
「私もだよ、結衣。二人でゆっくり話したかったし」
その瞳には、一点の曇りもない信頼が宿っているように見えた。私にとっての莉央ちゃんは、私の恋を応援してくれて、迷っているときに背中を押してくれる、最高に頼りがいのある親友。初めてあった頃とは、もう比べられないほど。
ホテルに到着すると、ロビーには修学旅行生を迎える独特の、少し浮ついた空気が満ちていた。赤い絨毯が敷かれたロビーで、先生が手短に指示を出す。
「鍵は班長が取りに来い。荷物を置いたら十五分後に大広間で夕食だ。遅れるなよ」
その声が合図となり、みんなが一斉にエレベーターへと殺到した。私たちは大きなバッグを抱え、四階の廊下を歩く。
「四〇二号室、ここだね」 鍵を差し込み、扉を開けた。畳の香りがふわりと漂う、清潔な和室だった。窓のカーテンを開けると、遠くに夜の街が宝石を散りばめたように輝いている。
「わあ、きれい……」
私が声を上げると、莉央ちゃんも隣に立って、その光を見つめた。
「本当だね。ずっと見ていられそう」
莉央ちゃんの声は、どこか穏やかだった。でも、その視線が街の灯りではなく、もっと遠くの、闇の中に沈んでいる何かを追っているような気がして、私は一瞬だけ胸をざわつかせた。けれど、莉央ちゃんがすぐに「さ、夕食行かなきゃ。新田くんが全部食べちゃう前にね」と笑ったので、私はその違和感をすぐに忘れてしまった。
大広間での夕食は、にぎやかの一言に尽きた。 長いテーブルには、お刺身や天ぷら、小さなお鍋が並んでいる。クラス全員が揃って「いただきます」をする光景は、修学旅行ならではの特別な感じがした。
「これ美味いな...」
並んだ料理を美味しそうに頬張る新田くんの隣では、永瀬くんがいつも通りの几帳面な動作で箸を動かしている。その隣には浅倉くんがいて、落ち着いた様子で周囲の喧騒を眺めていた。
「新田くん、本当に元気だよね」
莉央ちゃんが、自分のお鍋の様子を見ながら言った。
「うん。……でも、新田くんが明るくしてくれるから、私は勇気が出せるんだと思う」
莉央ちゃんは箸を止めて、私を優しく見つめた。
「結衣、強くなったよね。六月の頃より、ずっと」
「何回言うのそれ……あれは莉央ちゃんがいてくれたからだよ」
それはお世辞でも何でもなかった。莉央ちゃんが「結衣のペースでいいんだよ」と言ってくれたから、私は新田くんの隣に立つことができたのだ。「私は何もしてないよ。全部、結衣が自分で掴んだんだから」と返ってくるのは、莉央ちゃんの優しさ故だ。
夕食が終わり、私たちは食器を片付けて大広間を出た。廊下では、他の部屋の男子たちが枕投げの相談をしているのか、こっそりと集まってひそひそ話をしている。先生に見つかって小言を言われているグループもあって、ホテルの廊下はどこもかしこも騒がしかった。
四〇二号室に戻り、ドアを閉めると、その喧騒が嘘のように遠のいた。 莉央ちゃんは窓際の椅子に座り、再び夜景を眺め始めた。
「莉央ちゃん、お風呂どうする? 先に入る?」
私が声をかけると、莉央ちゃんはゆっくりと振り向いた。室内灯の光が彼女の髪を柔らかく縁取っている。
「先に入っていいよ。私は、もう少しだけこうしてたいから」
夜景を眺めながら、そう言った。私は「じゃあ、お先に借りるね」と言って、浴衣を持ってバスルームへ向かった。
シャワーの音を聞きながら、私は今日一日のことを振り返っていた。 午前中にみんなで打った、あの不格好な蕎麦。新田くんの笑い声。莉央ちゃんとの自由行動も楽しかったな。 でも、その校外学習ももう半分終わった。「楽しい時間は一瞬だ」って言葉の意味がすごく身に沁みる。
お風呂から上がり、鏡の前で髪を乾かしていると、脱衣所のドア越しに莉央ちゃんの鼻歌が聞こえてきた。明るくて、どこか聞き覚えのある、流行りの歌のメロディ。 私はその声に安心して、ドライヤーのスイッチを切った。
部屋に戻ると、莉央ちゃんがベッドの上に座って、ガイドブックを眺めていた。
「明日の自由行動、どこ行こうか。新田くんたちは、あっちの大きな公園に行きたいって言ってたけど」
「莉央ちゃんの行きたいところでいいよ。私は、莉央ちゃんと一緒ならどこでも楽しいから」
「ふふ、そんなこと言って。新田くんが寂しがるよ?」
そんな他愛のない会話をしながら、私たちは布団を整えた。もう就寝時刻だ。
「おやすみ、結衣。……明日も、いい日になるといいね」
莉央ちゃんが電気を消した。 暗くなった部屋の中で、窓から差し込む街の光だけが、畳の上に青白い模様を描いている。
「おやすみ、莉央ちゃん」
私は目を閉じた。 隣のベッドから聞こえる莉央ちゃんの規則正しい呼吸音が、心地よいリズムとなって、私を眠りへと誘っていく。 明日になれば、また新しい朝が来て、みんなで笑いながらバスに乗るのだ。 そんな、あまりにも幸福で「当たり前」な未来を信じながら、私は深い眠りに落ちていった。
展望広場を包んでいたオレンジ色の光が、少しずつ紫色の影に飲み込まれていく。集合写真を撮り終えたあとの弛緩した空気の中で、クラスメイトたちは思い思いに土産物袋を揺らし、バスの待つ駐車場へと歩き出していた。
「よし、全員揃ったな。バスに乗れ。一号車からだ」
前方のほうで、先生の声が響く。その声に急かされるようにして、私たちは石畳の坂道を下り始めた。私の隣には、莉央ちゃんがいつものように軽やかな足取りで並んでいる。
「疲れた?」
莉央ちゃんが顔を覗き込んできた。
「ううん、大丈夫。莉央ちゃんは?」
「私も。自分で打ったお蕎麦が意外と重くて、まだお腹いっぱいかも」
莉央ちゃんはくすくすと笑い、自分のバッグのストラップを握り直した。
バスの車内は、まだ熱気が冷めていなかった。 「あの蕎麦、新田のやつだけ絶対うどんだったよな」「ちょっとコシが強かっただけだ!」 後方の座席から新田くんの明るい声と、それに呆れる永瀬くんや浅倉くんの声が聞こえてくる。私は莉央ちゃんと並んで座り、窓の外を流れる夜の景色を眺めていた。山を下るにつれて、街の灯りがポツポツと増えていく。
「楽しみだね、ホテル」
莉央ちゃんが、窓に映る自分の顔を見つめながら言った。
「うん。……莉央ちゃんと同じ部屋で、本当によかった」
私が本音を漏らすと、莉央ちゃんは窓から視線を外して、私を真っ直ぐに見た。
「私もだよ、結衣。二人でゆっくり話したかったし」
その瞳には、一点の曇りもない信頼が宿っているように見えた。私にとっての莉央ちゃんは、私の恋を応援してくれて、迷っているときに背中を押してくれる、最高に頼りがいのある親友。初めてあった頃とは、もう比べられないほど。
ホテルに到着すると、ロビーには修学旅行生を迎える独特の、少し浮ついた空気が満ちていた。赤い絨毯が敷かれたロビーで、先生が手短に指示を出す。
「鍵は班長が取りに来い。荷物を置いたら十五分後に大広間で夕食だ。遅れるなよ」
その声が合図となり、みんなが一斉にエレベーターへと殺到した。私たちは大きなバッグを抱え、四階の廊下を歩く。
「四〇二号室、ここだね」 鍵を差し込み、扉を開けた。畳の香りがふわりと漂う、清潔な和室だった。窓のカーテンを開けると、遠くに夜の街が宝石を散りばめたように輝いている。
「わあ、きれい……」
私が声を上げると、莉央ちゃんも隣に立って、その光を見つめた。
「本当だね。ずっと見ていられそう」
莉央ちゃんの声は、どこか穏やかだった。でも、その視線が街の灯りではなく、もっと遠くの、闇の中に沈んでいる何かを追っているような気がして、私は一瞬だけ胸をざわつかせた。けれど、莉央ちゃんがすぐに「さ、夕食行かなきゃ。新田くんが全部食べちゃう前にね」と笑ったので、私はその違和感をすぐに忘れてしまった。
大広間での夕食は、にぎやかの一言に尽きた。 長いテーブルには、お刺身や天ぷら、小さなお鍋が並んでいる。クラス全員が揃って「いただきます」をする光景は、修学旅行ならではの特別な感じがした。
「これ美味いな...」
並んだ料理を美味しそうに頬張る新田くんの隣では、永瀬くんがいつも通りの几帳面な動作で箸を動かしている。その隣には浅倉くんがいて、落ち着いた様子で周囲の喧騒を眺めていた。
「新田くん、本当に元気だよね」
莉央ちゃんが、自分のお鍋の様子を見ながら言った。
「うん。……でも、新田くんが明るくしてくれるから、私は勇気が出せるんだと思う」
莉央ちゃんは箸を止めて、私を優しく見つめた。
「結衣、強くなったよね。六月の頃より、ずっと」
「何回言うのそれ……あれは莉央ちゃんがいてくれたからだよ」
それはお世辞でも何でもなかった。莉央ちゃんが「結衣のペースでいいんだよ」と言ってくれたから、私は新田くんの隣に立つことができたのだ。「私は何もしてないよ。全部、結衣が自分で掴んだんだから」と返ってくるのは、莉央ちゃんの優しさ故だ。
夕食が終わり、私たちは食器を片付けて大広間を出た。廊下では、他の部屋の男子たちが枕投げの相談をしているのか、こっそりと集まってひそひそ話をしている。先生に見つかって小言を言われているグループもあって、ホテルの廊下はどこもかしこも騒がしかった。
四〇二号室に戻り、ドアを閉めると、その喧騒が嘘のように遠のいた。 莉央ちゃんは窓際の椅子に座り、再び夜景を眺め始めた。
「莉央ちゃん、お風呂どうする? 先に入る?」
私が声をかけると、莉央ちゃんはゆっくりと振り向いた。室内灯の光が彼女の髪を柔らかく縁取っている。
「先に入っていいよ。私は、もう少しだけこうしてたいから」
夜景を眺めながら、そう言った。私は「じゃあ、お先に借りるね」と言って、浴衣を持ってバスルームへ向かった。
シャワーの音を聞きながら、私は今日一日のことを振り返っていた。 午前中にみんなで打った、あの不格好な蕎麦。新田くんの笑い声。莉央ちゃんとの自由行動も楽しかったな。 でも、その校外学習ももう半分終わった。「楽しい時間は一瞬だ」って言葉の意味がすごく身に沁みる。
お風呂から上がり、鏡の前で髪を乾かしていると、脱衣所のドア越しに莉央ちゃんの鼻歌が聞こえてきた。明るくて、どこか聞き覚えのある、流行りの歌のメロディ。 私はその声に安心して、ドライヤーのスイッチを切った。
部屋に戻ると、莉央ちゃんがベッドの上に座って、ガイドブックを眺めていた。
「明日の自由行動、どこ行こうか。新田くんたちは、あっちの大きな公園に行きたいって言ってたけど」
「莉央ちゃんの行きたいところでいいよ。私は、莉央ちゃんと一緒ならどこでも楽しいから」
「ふふ、そんなこと言って。新田くんが寂しがるよ?」
そんな他愛のない会話をしながら、私たちは布団を整えた。もう就寝時刻だ。
「おやすみ、結衣。……明日も、いい日になるといいね」
莉央ちゃんが電気を消した。 暗くなった部屋の中で、窓から差し込む街の光だけが、畳の上に青白い模様を描いている。
「おやすみ、莉央ちゃん」
私は目を閉じた。 隣のベッドから聞こえる莉央ちゃんの規則正しい呼吸音が、心地よいリズムとなって、私を眠りへと誘っていく。 明日になれば、また新しい朝が来て、みんなで笑いながらバスに乗るのだ。 そんな、あまりにも幸福で「当たり前」な未来を信じながら、私は深い眠りに落ちていった。
