『Friends』 〜 一年間の黙示録 〜

〜浅倉琉生〜


校外学習の最後に立ち寄った展望広場は、山の中腹に張り出すように作られていて、手すりの向こうに町がひらけていた。西日を受けた屋根の列はやわらかく光り、遠くの川だけが細い銀色の線みたいに残っている。空はまだ青いのに、地上の色は少しずつ夜に近づいていた。
班行動を終えて、集合まで少しだけ自由時間がある。広場のあちこちで、クラスメイトが土産を見せ合ったり、写真を撮ったりしていた。賑やかな声は風に流されて、ここまで来る頃には少し丸くなる。僕はその輪から少し外れた手すり際に立って、下の町を眺めていた。
こういう時間は嫌いじゃない。誰かと話していなくても、景色のほうが勝手に間を埋めてくれる。

「やっぱりここにいた」
後ろから声がして振り返ると、水沢がいた。肩にかけたバッグの紐を押さえながら、少しだけ息を整えている。
「探してたの?」
「ううん。結衣と話してて、たぶんこっちかなって」
「立花が?」
「うん。琉生くん、静かなところ行きそうだからって」
言いそうだ、と思う。立花はそういう見方をする。相手の行動を大げさに決めつけることはないけれど、癖みたいなものを静かに拾っている。
水沢は僕の隣に並んだ。近すぎず、遠すぎない距離。風が吹いて、彼女の前髪が少し揺れる。
「きれいだね」
「うん」
「それだけ?」
「それ以上、うまく言えない」
そう返すと、水沢は小さく笑った。からかう感じではなく、ただそのまま受け取るような笑い方だった。

少し離れたところでは、遠山が相変わらず大きな身振りで何か話している。たぶん土産物屋で見つけたものの話だろう。声がよく通るから、内容までは聞こえなくても楽しそうなのはわかる。その近くにいる新田は、さっきから反応が薄い。完全に無視しているわけじゃないが、必要以上に会話を広げないようにしているのが見て取れた。
その隣には立花がいる。
立花が何か言うと、新田はそちらにはすぐ反応する。声の調子が少しだけやわらぐ。付き合っていると知ってから見ると、前よりわかることが増えた気がする。新田はもともと誰にでも明るいけれど、立花に向けるときだけ、少しだけ力の抜き方が違う。立花のほうも、新田に返すときだけ間がやわらかい。

ただ、その輪の中に遠山がいると、空気が少しだけずれる。

新田は遠山を露骨に突き放すほど子どもじゃない。けれど、好いていないのはわかる。立花とのことに遠山が絡んで以来、その感情は完全には消えていないのだろう。遠山のほうは、気づいていないのか、気づいていて流しているのか、そのどちらとも取れる態度でいつも通り振る舞っている。

「見てるね」
 水沢が言った。
「何を」
「みんなのこと」

否定しかけて、やめた。たしかに見ていた。

「……まあ」
「前より、そういうの隠さなくなったよね」
「そうかな」
「うん。前は見てても、見てないふりしてた」
そう言われると、そんな気もする。転校してきたばかりの頃は、誰かの輪郭をはっきり捉えるのが少し怖かった。見えてしまうと、自分がその外側にいることまで実感してしまう気がしていたからだ。
今は、外と内の境目が前ほど固くない。
「春には、こんなふうになると思ってなかった」
 水沢が景色を見たまま言う。
「僕も」
「最初、琉生くん、すぐいなくなりそうだったし」
「どういうこと?」
「ちゃんとここにいるのに、なんだか少し遠かった」
その言い方は責めるでもなく、ただ事実を置くみたいだった。僕は手すりに軽く指をかける。金属は夕方の冷たさを持っていた。

そのとき、水沢の視線がふと横へ流れた。追うと、広場の端のベンチの近くに永瀬がいた。先生から渡された見学資料を、雑に折ってしまった誰かの分まで整えている。頼まれたわけでもないのに、そういうことを自然にやる。立花がその横で何か小さく言うと、永瀬は短く頷いた。
水沢は一瞬だけ、その様子を見ていた。
ほんの短い時間だったけれど、見慣れた観察の目とは少し違って見えた。気にかけている、というより、気になってしまうものを目で追ってしまったときの間に近い。けれど彼女はすぐに視線を戻して、何でもないように息をつく。

「永瀬って、ああいうの自然にやるよね」
 水沢が言う。
「うん」
「すごいよね。目立たないのに、ちゃんと見てる」
「永瀬らしい」
「……そうだね」
返事はいつも通りだった。でも、ほんの少しだけ声がやわらかかった気がした。たぶん、気のせいじゃない。

永瀬は誰に対しても距離の取り方が一定で、必要以上に踏み込まない。そのぶん、たまに見せる気遣いが余計に印象に残るのかもしれない。水沢は普段から周りをよく見ている。だからこそ、そういう小さなところにも気づくのだろう。
その向こうで、遠山がまた新田に何か言っている。新田は「はいはい」と流すように返していたが、声に乗る温度は薄い。立花が間にひとつ言葉を挟むと、新田の表情が少しだけ和らぐ。ああいう変化は、本人たちより周りのほうが先に気づくのかもしれない。

人間関係は、線で引くと簡単そうに見えるのに、実際はそんなに単純じゃない。

遠山は遠山なりに、たぶん悪気なく人の距離に踏み込む。新田はそれを許せないと思っている。でも立花は、どちらか一方に露骨に肩入れするようなことはしない。だからこそ、新田も完全には感情を表に出さないのだろう。水沢はその全部を見たうえで、必要以上に触れない。永瀬は見えていても、誰かを裁くようなことはしない。
その中で僕は、少し離れた場所から全体を見ていることが多い。けれど前みたいに、ただ外側にいるわけじゃない。呼ばれれば入るし、必要なら言葉も返す。その違いは、自分で思うより大きいのかもしれなかった。
「今日、楽しかった?」
 水沢が言う。
「……楽しかったよ」
「そっか。ならよかった」
それだけ言って、水沢は小さく頷いた。確かめたかったのは、たぶん僕の気分そのものというより、この一日がちゃんと僕の中に残ったかどうか、みたいなことなのだと思う。
そのとき、広場の向こうから遠山の声が飛んできた。

「ちょっとー! 最後に全員で写真撮るから集まって!!」

有無を言わせない調子。けれど、その声に最初に反応したのは新田ではなく立花だった。立花が困ったように小さく笑って、新田の袖を軽く引く。新田は一瞬だけ遠山のほうを見て、それから立花に向けて「行く?」と低く聞いた。立花が頷く。新田は短く息をついて、仕方ない、という顔で歩き出した。
遠山はたぶん、その一連の流れを深くは気にしていない。あるいは、気づいていても今は写真のほうが優先なんだろう。そういう強引さに助けられることも、実際ある。
「僕たちも行くか」
 僕が言うと、水沢が頷いた。
「うん」

歩き出す。広場の中央では、遠山がもう立ち位置を決め始めていた。新田は立花の隣に自然に収まり、永瀬は端に寄りすぎた人をさりげなく戻している。水沢は、僕の隣というより、全体の並びを見て空いた位置に入った。
「はい、撮るよー!」
遠山が笑いながら言う。
夕方の風が吹く。少し冷たいのに、不思議と寒くはなかった。

「笑ってー!」
遠山の声。
無茶を言う、と思いながら、それでも口元が少し緩む。

シャッター音が鳴る。

その一瞬の中に、きれいな関係ばかりが収まっているわけじゃない。噛み合わない感情も、言葉にしない遠慮も、たぶん全部そのままある。それでも、そういうものを抱えたまま同じ場所に立っていられるなら、それもひとつの関係なんだと思う。
秋の終わりの光が、僕たちの影を長く地面に落としていた。