『Friends』 〜 一年間の黙示録 〜

〜新田陽翔〜

朝から、なんとなく落ち着かなかった。
理由はわかってる。カレンダーを見なくても、今日が何の日かくらい、嫌でも意識する。
二月十四日。バレンタイン。
教室に入った瞬間、空気がいつもと違うのがわかる。騒がしいわけじゃない。でも、どこか浮ついてる。机の上に小さな袋が置かれてるやつもいれば、やたらそわそわしてるやつもいる。
俺はというと、特に何も変わらないふりをして席に座った。

――まあ、普通でいいだろ。
そう思ってた。
午前中は、特に何も起きなかった。
拍子抜けするくらい、いつも通り。授業も普通に進むし、誰かに呼び出されることもない。
ただ、何回か視線は感じた。
わざわざ見なくてもわかる。遠山だ。
目が合うと、にこっと笑う。その感じが、前と何も変わってないのが逆に怖い。
昨日までのこと、何もなかったみたいな顔。
……ほんとに、諦めてないな。

そして、放課後。
鞄を持って立ち上がろうとしたときだった。
「新田くん」
声。
振り向かなくてもわかる。
「ちょっとついてきて」
断る理由はある。でも、ここで逃げたらもっと面倒になるのもわかってる。
「……どこに?」
「来ればわかる」
にこっと笑う。
……めんどくさいな。
でも、結局断れずに、俺は頷いた。

校舎を出て、少し歩く。
人通りが減っていく方向。
連れてこられたのは、体育館裏よりもさらに奥、ほとんど人が来ない場所だった。
前よりも、明らかに“用意されてる”感じがする。
「ここなら誰も来ないから」
遠山が振り返る。
「で?」
俺は距離を取ったまま聞く。
遠山は一瞬だけ間を置いて、それから少しだけ楽しそうに笑った。
「はい、これ」
差し出される、小さな箱。
やっぱりな、と思う。
「バレンタインだし」
「……」
受け取らないまま、俺はその箱を見る。

「本命だから」
「それが友チョコじゃなく本命なら、いらない」

即答。
遠山の表情が、ほんの少しだけ止まる。でもすぐに戻る。
「えー、受け取りなよ」
「いらないって言ってる」
「なんで?」
「なんでって」
少しだけ息を吐く。
「彼女いるって言っただろ」
「知ってるよ」
あっさり返ってくる。
「でもそれ、関係なくない?」
……は?
「関係あるだろ」
「なんで?」
首を傾げる。本気で言ってる顔。
「だってさ」
遠山は一歩近づく。
「付き合ってるって、絶対じゃないじゃん」
距離が、じわっと詰まる。
「好きなら、取りに行っていいでしょ?」
その言い方。前と同じだ。
「だから無理だって言ってる」
「なんで無理なの?」
食い下がる。
「わたしのほうがいいって」
また、それ。
「話も合うし、楽しいし」
一歩、また近づく。
「結衣ってさ、正直大人しいだけじゃん」
胸の奥が、また少しざわつく。
「悪い子じゃないのはわかるけど」
「遠山」
「でもさ、それだけでしょ?」
止まらない。
「一緒にいてもつまんなくない?」
「やめろって言ってるだろ」
少し強くなる声。でも、遠山は止まらない。
「だって本当のことじゃん」
「お前が決めんな」
即答。
遠山の目が、ほんの一瞬だけ細くなる。
「俺が選んだんだよ」
はっきり言う。
「結衣がいいって」

間。

空気が、少しだけ張る。
「……それ、ほんとに?」
遠山が、静かに言う。
さっきまでの軽さが、少しだけ消えてる。
「流れで付き合っただけじゃないの?」
「違う」
「ちゃんと考えた?」
一歩、また近づく。
「わたしといた方が楽しいよ?」
「それでも、いいって言ってる」

言い切る。

「関係ない」
「関係あるよ」

食い気味に返される。
「だってさ」
遠山は笑う。
「楽しいほうがいいに決まってるじゃん」
……だめだ、話が通じてない。
「何回言えばわかるんだよ」
「何回でも聞くよ」
即答。
「だって諦めてないし」

その目。

あのときと同じ。

「別れればいいじゃん」
「別れない」
「なんで?」
またそれ。
「好きだからって言っただろ」
「でもそれ、変わるかもしれないじゃん」
一歩、踏み込まれる。
「今はそうでも」
距離が近い。近すぎる。
「……だからさ」
遠山が、箱をぐっと押し付けてくる。
「とりあえず受け取ってよ」
手に当たる感触。反射的に払いのける。

「いらねーって!」

声が、思ったより大きくなる。
常識的に良くない言葉だとわかっているが、立花を悪く言う奴からはもらえない。
一瞬、空気が止まる。

でも。
「そんな強く言わなくてもいいじゃん」
遠山は笑う。全然堪えてない。
「新田くんさ」
少しだけ首を傾ける。
「優しいよね」
なんだそれ。
「だからさ、結局断りきれないでしょ?」
違う。
「断ってるだろ」
「うん、言葉ではね」
……は?
「でもさ」
遠山が、また一歩近づく。
「ほんとは揺れてるんじゃない?」
その言い方。
「揺れてない」
「ほんとに?」
しつこい。
「じゃあさ」
遠山は少しだけ笑う。
「なんでここに来たの?」
言葉が、少し詰まる。
「断る気なら、来なきゃよかったじゃん」
……それは。
「ほら」
「違う」
すぐに返す。
「逃げたら面倒になるから来ただけだ」
「それでも来たでしょ?」
押してくる。
「ゼロじゃないってことじゃん」

違う。
そうじゃない。

「都合よく解釈すんな」
「してないよ」
笑う。
「ちゃんと見てるだけ」

……ほんとに、やばいな。

「だからさ」
また、箱を差し出してくる。
「一回でいいから考えてみてよ」
何回言えばいい。
「だから無理だって――

そのとき。

——おい」

後ろから、声がした。低くて、落ち着いた声。
でも、少しだけ空気を切るような。
遠山が一瞬だけ動きを止める。
俺も振り返る。
「さっきから聞いてたけど何やってるんだよ」


そこに立っていたのは——