『Friends』 〜 一年間の黙示録 〜

〜水沢莉央〜


放課後の空気は、どこか緩い。教室を出た瞬間にほどけた緊張が、そのまま家の中までついてくるような、そんな感覚。
鞄を床に置いて、いつも通り制服のままベッドに倒れ込む。カーテン越しの光はまだ明るくて、夕方には少し早い時間だった。何かをするには中途半端で、何もしないには長すぎる。

――暇だな。

声に出すほどでもない独り言を、頭の中で転がす。こういう時間、嫌いじゃない。けれど今日は、少しだけ持て余している。理由は単純で、思考がひとつのところに引っかかっているから。

結衣。

そして、その隣にいるはずの新田。

バレンタイン前日。

...というこの状況は、それだけで十分に話題になる。
スマートフォンを手に取る。画面を開いて、結衣とのトークを開く。最後のやり取りは他愛ないもので、特に意味はない。
少しだけ考える。
重くならないように。あくまで、軽く。
からかうくらいが、ちょうどいい。
指を動かす。

m――ねえ

送信。
数秒で既読がつく。
t――なに?
相変わらず素直な返事。
私はベッドの上で寝返りを打ちながら、続ける。
m――明日さ
t――うん?
ここで少しだけ間を置く。わざとらしくならない程度に。
それから、軽く投げる。

m――彼氏にチョコあげないの?

送信。
ほんの少しだけ、口元が緩む。
既読。

間。困惑している結衣が頭に浮かぶ。

t――え、

やっぱり。
続けて、
t――急にどうしたの…
困惑がそのまま文章になっている。...ていうかちょっと引いてる?
私はくすっと笑う。
m――いや、明日バレンタインじゃん
t――いやそれはそうだけど…
m――結衣、そういうのちゃんとやりそうなのに
少しだけ持ち上げて、逃げ道を作る。
すると、すぐに返ってくる。
t――どうしようか迷ってるの…
予想通りの答え。
私は天井を見ながら、ゆるく息を吐く。
m――迷うんだ
t――迷うよ…
m――なんで?
シンプルに聞く。責める気はない。ただ、流れを転がすだけ。
t――なんでって…なんか…まだ付き合ってそんなに経ってないし
m――うん

t――重いって思われたらやだなって

ああ、そういうところ。
私は少しだけ目を細める。
m――結衣ってさ
t――うん?
m――そういうとこ、ちゃんとしてるよね
否定じゃなくて、肯定。けれど少しだけ距離を取った言い方。
t――そうかな…
弱い返事。
私は軽く笑う。
m――でもさ
t――うん

m――彼氏なんでしょ?

少しだけ強調する。

m――せっかくのイベントなのに何もしないのも、それはそれで変じゃない?
t――うーん…
悩んでいるのが伝わってくる。
私はそこで、少しだけトーンを崩す。

m――新田くん、泣くかもよ
t――泣かないでしょ!

即答。
思わず笑う。

m――だよね

t――もう…からかわないで

文面に、少しだけ安心した空気が混じる。
いい感じに緊張が抜けた。
m――で、どうするの
さらっと戻す。
t――……まだ決めてない
m――じゃあさ
少し考えてから、打つ。
m――コンビニでもいいから買って渡せば?
t――え、それでいいのかな
m――いいでしょ
あっさり言う。

m――大事なのは“渡すこと”じゃない?

少しだけ本音を混ぜる。でも、深くはしない。
結衣は少し黙る。

既読はついたまま、返事が来ない。
たぶん、想像してる。渡す場面とか、相手の反応とか。
そういう時間は、きっと悪くない。

t――……ちょっと考えてみる

やがて、控えめな返事。
m――うん
私は短く返す。
m――まあ頑張って
t――軽いなあ
m――「重いのは嫌」なんでしょ?
t――それはそうだけど…
少しだけ笑ったような気配が、文字の隙間から見える。
それで十分だと思う。
m――結果報告よろしく
t――するかはわかんないけど…
m――するでしょ
t――なんで?
m――私の勘
t――もう…
少し呆れたような返事が返ってきた。
やり取りはそこで途切れる。

スマートフォンを枕元に置き、私は再び天井を見上げる。
さっきよりも、少しだけ退屈が薄れている。
誰かの小さな迷いに触れるのは、嫌いじゃない。それが深刻じゃないなら、なおさら。
結衣が明日どうするかは、まだわからない。でも、たぶん何かしら動く。
そういう“少し先の変化”を想像するのは、悪くない時間の使い方だと思う。
窓の外は、いつの間にか少しだけ色を変えていた。夕方の気配が、静かに近づいている。
私は目を細める。

――さて、どうなるんだろうね。

声には出さず、心の中だけで呟いた。