『Friends』 〜 一年間の黙示録 〜

〜浅倉琉生〜


 休日の朝は、平日のそれよりも輪郭が柔らかい。カーテンの隙間から差し込む光も、どこか遠慮がちで、部屋の空気を静かに温めている。目を覚ましてもしばらく動く気になれず、天井を眺めながら、一昨日のことを思い返していた。

 ――「明後日、空いてるか?」
放課後、昇降口で靴紐を結びながら、陽翔が何気ない調子でそう言った。あまりに自然な誘い方で、拍子抜けするくらいだった。
「たぶん」
僕も同じように、あっさりと返した。

約束の時間は十時。場所は駅前。短い言葉で決まった予定は、それでも不思議と確かな重みを持って、今こうして胸の奥に残っている。
時計を見ると、まだ少し余裕がある。ゆっくりと体を起こし、顔を洗う。鏡に映る自分は、どこか落ち着かない表情をしていた。理由はわかっているが、言葉にするほどでもない。
軽く身支度を整えて家を出ると、空気はすでに初夏の気配を含んでいた。湿り気を帯びた風が、シャツの袖口をかすめる。歩きながら、ふと考える。二か月という時間は長いのか、短いのか。昨日の再会があまりにも自然だったせいで、その答えは曖昧なままだ。

駅前に着くと、まだ人の流れは穏やかだった。ベンチの近くで立ち止まり、スマートフォンを取り出そうとしたとき、不意に背後から声が飛んでくる。
「お、ちゃんと来てるじゃん」
振り向くと、陽翔が手を軽く上げていた。白いシャツにラフなパンツ。肩の力が抜けた格好が、いかにも彼らしい。
「遅れると思ってたのか」
「いや、琉生は来るだろ。でもちょっとくらい遅れても驚かない」
そう言って笑う。その笑い方も、以前と変わらない。距離が空いたはずなのに、こうして並んでいると、時間の継ぎ目が見えなくなる。
「で、どうする? ノープランなんだけど」
「珍しいな」
「そうでもないぞ。今日はなんとなく、歩きたい気分だったからな」
陽翔はそう言って、駅の反対側へと視線を向けた。特に目的地を決めずに歩く――彼らしい選択だと思う。
「じゃあ、付き合うよ」
僕が言うと、陽翔は満足そうに頷いた。

駅前を離れ、少し静かな通りへ入る。並木道の影が、まだ短い時間帯の光を受けて、地面に淡く落ちている。歩幅を合わせるでもなく、自然と隣に並ぶ。
「学校、どう?」
しばらくして、陽翔が口を開いた。
「今更か?まあ悪くないよ。思ったより、静かだし」
「遠山ってやつ、結構うるさかったけどな」
思わず小さく笑う。
「根に持ってるなあれ」
「さあなんのことやら」
陽翔は軽く肩をすくめた。その横顔を見ながら、少しだけ考える。彼はやはり、人の輪の中心にいるタイプだ。けれど、その立ち方は押しつけがましくない。気づけば周囲が集まっている、そんな自然さがある。
「陽翔は?」
「俺? まあ普通。前とそんな変わんない」
そう言いながらも、ほんの一瞬だけ視線が揺れた気がした。

通りを抜けると、小さな公園に出た。ベンチと、古びた遊具がいくつかあるだけの場所。休日の午前ということもあって、人影はまばらだった。
「ちょっと座るか」
陽翔がベンチに腰を下ろす。僕もその隣に座った。風が木々を揺らし、葉の擦れる音が規則的に響く。
「こういうの、久しぶりかもな」
「何が」
「なんも考えずに時間使うの」
陽翔は空を見上げながら言った。青はまだ淡く、どこか余白の多い色をしている。
「前は、なんだかんだ忙しかったし」
「自分で忙しくしてただけだろ」
「それな」
軽く笑い合う。そのやりとりが、妙に心地いい。
沈黙が訪れても、不自然さはない。むしろ、その静けさが会話の延長のように感じられる。
「なあ、琉生」
「何」
「また、こうやって出かけようぜ」
視線は空に向けたまま、陽翔が言う。特別な調子ではない。ただの確認のような、けれど少しだけ確かめるような響き。
「別にいいけど」
僕も同じ温度で返す。
「“別に”ってなんだよ」
「嫌じゃないって意味」
「素直じゃねえな」
「嘘。彼女も大切にしろって意味」
「うるさいな」
言い返すと、陽翔は小さく笑った。
その笑い声を聞きながら、胸の奥にあったわずかな引っかかりが、ゆっくりとほどけていくのを感じる。二か月間途切れていたはずの時間は、こうして何事もなかったかのように繋がり直している。
それが特別なことなのかどうかは、まだわからない。ただ、今この瞬間が穏やかであることだけは確かだった。

ベンチから立ち上がると、陽翔が軽く伸びをする。
「よし、もうちょい歩くか」
「どこまで?」
「さあな。気が済むまで」
曖昧で、けれど不思議と納得できる答え。

僕たちは再び並んで歩き出す。行き先は決まっていない。それでも、足取りに迷いはなかった。隣にいる存在が、その不確かさをちょうどいい形に整えてくれている気がした。
休日の光は、少しずつ強さを増していく。影もまた、はっきりと輪郭を持ち始める。
その中を歩きながら、僕は思う。

この時間が続けばいい、と。

言葉にするほどのことではない。ただ、確かにそこにある感覚として、静かに胸の内に留めておいた。