〜永瀬樹〜
夕方の光は、校舎の外に出た瞬間だけ、少しだけ重さを変える。さっきまでの白い明るさが背中側に残ったまま、前だけがゆっくりと橙に沈んでいく。廊下から階段、校門へ向かう動線の中で、時間が一段ずつ剥がれていくようだった。
委員会室の鍵を閉めたあと、水沢さんが小さく息を吐く。
「新田と結衣、付き合ったんだって」
歩き出しながらのその言葉は、驚きでも噂話でもなく、ただ既に共有済みの事実の確認に近い。
「勿論知ってる」
僕が短く返すと、水沢さんは少しだけ横目を向ける。
「やっぱり?」
そのまま階段へ向かう。足音が二人分、同じリズムで落ちていく。
校舎の窓からはまだ部活の声が遠くに見える。風に混ざって、意味のはっきりしない音になる。
「意外じゃなかった?」
階段を降りながら水沢さんが言う。
「どっちが?」
「どっちも」
少し考えてから答える。
「まあ……完全に意外ってわけでもない」
「どっちだよ」
水沢さんが小さく笑う。
「見えてる感じと中身って違うものだし」
「それはそうだけど...」
校舎を出ると、空気が一段冷える。夕方特有の、熱を失った風が頬に当たる。
グラウンドからの掛け声が一瞬強くなって、すぐに薄くなる。
「付き合うってさ」
水沢さんが少しだけ間を置いて続ける。
「何が変わるんだろうね」
その問いは軽いふりをしているけれど、完全には軽くない。
「さあね」
僕は視線を前に向けたまま答える。
「変わるやつは変わるし、変わらないやつは変わらない」
「雑すぎ」
「でも実際そうじゃない?」
水沢さんは少しだけ黙る。
その沈黙は否定というより、整理に近い。
「まあ……そうかも」
やがて小さく頷いた。道の脇では影が長く伸びている。僕たちの影も、足元からずれて、少し離れて見える。
「でもさ」
水沢さんが言う。
「ちゃんと好きだから付き合うんだよね、普通は」
「普通はね」
「普通ってなに」
「基準」
「それ一番曖昧じゃん」
軽く笑いながら言う。
「でもさ、結局そういうことだよね」
僕は少しだけ考える。
「気持ちがあるかどうか、みたいな?」
「外からはわからないってこと」
水沢さんは短く息を吐く。
「だよね」
少し間が空く。
その沈黙の中で、誰かの関係の話が、ほんの少しだけ自分たちの距離にも触れてくる。
それをわざわざ言葉にする必要はない。
「ねえ」
水沢さんが声のトーンを少し落とす。
「もしさ、」
「うん」
「途中で違うなってなったらどうするんだろうね」
「別れるんじゃないの?」
「簡単に言うね」
「簡単じゃないと思うけど」
水沢さんは少しだけ笑う。
「でもさ、簡単じゃないなら余計わからないよね」
「まあな」
また少し沈黙。
その間も歩幅は揃ったままだった。分かれ道が近づく。いつもより少しだけ早く、その気配がわかる。
「こういう話してるとさ」
水沢さんがぽつりと言う。
「なんか、他人事じゃない感じする」
「するか?」
「ちょっとね」
僕はそれにすぐ答えない。
夕焼けはもう鮮やかさを失いかけていて、空全体が落ち着いた色に沈んでいる。
「まあでも」
水沢さんが続ける。
「私たちは関係ないか」
「今のところはな」
「今のところというより、もう、ね。」
その言い方に軽い笑いが混ざる。
やがて足が止まる。
分かれ道の手前、いつもの場所。
ここから先は、それぞれの時間に戻るだけの距離になる。
「じゃあ」
水沢さんが言う。
「うん」
「また明日、委員会あるよね」
「確かあったはず」
「帰れる?」
「タイミング合えばね」
水沢さんが小さく笑った。
「じゃあ、またタイミング合ったら」
「うん」
軽く手を上げる水沢さんに、僕も同じくらいの動作で返す。それ以上の意味は持たない。でも、完全に無意味でもない。
背を向けて歩き出す。夕方の空気が少しずつ夜に傾いていく。
さっきまでの会話は、まだどこかに残っている。けれどそれを結論にする必要はない。人の関係は、整理しきらないまま続いていくものなのかもしれない。
少なくとも今のところは、それで十分だった。
......いや、「もう」だったな。
夕方の光は、校舎の外に出た瞬間だけ、少しだけ重さを変える。さっきまでの白い明るさが背中側に残ったまま、前だけがゆっくりと橙に沈んでいく。廊下から階段、校門へ向かう動線の中で、時間が一段ずつ剥がれていくようだった。
委員会室の鍵を閉めたあと、水沢さんが小さく息を吐く。
「新田と結衣、付き合ったんだって」
歩き出しながらのその言葉は、驚きでも噂話でもなく、ただ既に共有済みの事実の確認に近い。
「勿論知ってる」
僕が短く返すと、水沢さんは少しだけ横目を向ける。
「やっぱり?」
そのまま階段へ向かう。足音が二人分、同じリズムで落ちていく。
校舎の窓からはまだ部活の声が遠くに見える。風に混ざって、意味のはっきりしない音になる。
「意外じゃなかった?」
階段を降りながら水沢さんが言う。
「どっちが?」
「どっちも」
少し考えてから答える。
「まあ……完全に意外ってわけでもない」
「どっちだよ」
水沢さんが小さく笑う。
「見えてる感じと中身って違うものだし」
「それはそうだけど...」
校舎を出ると、空気が一段冷える。夕方特有の、熱を失った風が頬に当たる。
グラウンドからの掛け声が一瞬強くなって、すぐに薄くなる。
「付き合うってさ」
水沢さんが少しだけ間を置いて続ける。
「何が変わるんだろうね」
その問いは軽いふりをしているけれど、完全には軽くない。
「さあね」
僕は視線を前に向けたまま答える。
「変わるやつは変わるし、変わらないやつは変わらない」
「雑すぎ」
「でも実際そうじゃない?」
水沢さんは少しだけ黙る。
その沈黙は否定というより、整理に近い。
「まあ……そうかも」
やがて小さく頷いた。道の脇では影が長く伸びている。僕たちの影も、足元からずれて、少し離れて見える。
「でもさ」
水沢さんが言う。
「ちゃんと好きだから付き合うんだよね、普通は」
「普通はね」
「普通ってなに」
「基準」
「それ一番曖昧じゃん」
軽く笑いながら言う。
「でもさ、結局そういうことだよね」
僕は少しだけ考える。
「気持ちがあるかどうか、みたいな?」
「外からはわからないってこと」
水沢さんは短く息を吐く。
「だよね」
少し間が空く。
その沈黙の中で、誰かの関係の話が、ほんの少しだけ自分たちの距離にも触れてくる。
それをわざわざ言葉にする必要はない。
「ねえ」
水沢さんが声のトーンを少し落とす。
「もしさ、」
「うん」
「途中で違うなってなったらどうするんだろうね」
「別れるんじゃないの?」
「簡単に言うね」
「簡単じゃないと思うけど」
水沢さんは少しだけ笑う。
「でもさ、簡単じゃないなら余計わからないよね」
「まあな」
また少し沈黙。
その間も歩幅は揃ったままだった。分かれ道が近づく。いつもより少しだけ早く、その気配がわかる。
「こういう話してるとさ」
水沢さんがぽつりと言う。
「なんか、他人事じゃない感じする」
「するか?」
「ちょっとね」
僕はそれにすぐ答えない。
夕焼けはもう鮮やかさを失いかけていて、空全体が落ち着いた色に沈んでいる。
「まあでも」
水沢さんが続ける。
「私たちは関係ないか」
「今のところはな」
「今のところというより、もう、ね。」
その言い方に軽い笑いが混ざる。
やがて足が止まる。
分かれ道の手前、いつもの場所。
ここから先は、それぞれの時間に戻るだけの距離になる。
「じゃあ」
水沢さんが言う。
「うん」
「また明日、委員会あるよね」
「確かあったはず」
「帰れる?」
「タイミング合えばね」
水沢さんが小さく笑った。
「じゃあ、またタイミング合ったら」
「うん」
軽く手を上げる水沢さんに、僕も同じくらいの動作で返す。それ以上の意味は持たない。でも、完全に無意味でもない。
背を向けて歩き出す。夕方の空気が少しずつ夜に傾いていく。
さっきまでの会話は、まだどこかに残っている。けれどそれを結論にする必要はない。人の関係は、整理しきらないまま続いていくものなのかもしれない。
少なくとも今のところは、それで十分だった。
......いや、「もう」だったな。
