『Friends』 〜 一年間の黙示録 〜

〜立花結衣〜


「立花さん」
廊下を歩き出しかけた浅倉くんが、ふいに振り返った。
その声は強くないのに、なぜか胸にすっと届く。
「なに?」
私は生活委員の腕章を整えながら、彼のほうを見る。廊下の端、窓から差す夕日が少しだけまぶしい。浅倉くんは一瞬、言葉を選ぶみたいに視線を落とした。
「少しだけ、いい?」
いつもの落ち着いた声。でも、どこか慎重だ。
「うん」
私は腕章を外して、彼のほうへ歩み寄る。廊下の人通りはだいぶ少なくなっていて、足音が静かに響く。

沈黙が数秒。

風が窓を鳴らす。

「……新田のことなんだけど」
その名前が出た瞬間、心臓が一拍、強く打つ。
「うん」
声が、少しだけ小さくなる。浅倉くんはまっすぐ私を見る。その目は、からかいも曖昧さもなく、ただ真面目だった。
「前図書室でさ、聞いたんだ」
あの日の光景を思い出す、みたいにゆっくり続ける。
「新田、好きな人いるのかって聞かれて」
息が詰まりそうになる。
廊下の空気が急に薄くなった気がする。
「……それで?」
喉が乾いている。
「...立花の名前、出してた」
世界が一瞬、静かになる。遠くで誰かの笑い声がするのに、ここだけ音が消えたみたい。
「……え」
うまく言葉にならない。

好き。

その言葉が、胸の奥で何度も反響する。
「からかわれてたけど、あれは冗談じゃなかったと思う」
浅倉くんの声は落ち着いている。私は、自分の手が少し震えているのに気づく。気づかれないように、指をぎゅっと握る。

嬉しい。

信じられない。

でも、怖い。

「...それと」
浅倉くんは一瞬、ためらうように視線をずらした。
「...遠山さんが、明日、新田に告白するって言ってた」
心臓が、今度は違う意味で強く跳ねる。

―遠山さん。

――明日。

―――告白?

頭の中で、言葉がばらばらに浮かぶ。
「……明日?」
「うん。」
夕日の色が濃くなる。

明日。
もし、遠山さんが先に想いを伝えたら。
新田くんは、どうするのだろう。
押しに弱い、という噂を思い出す。けれど、それが本当かどうかはわからない。ただ、迷うかもしれない。

私の一歩は、ゆっくりすぎたのかもしれない。

――結衣らしい早さで、少しだけ動いてみればいい。

あの言葉が、胸の奥で静かに灯る。
少しだけ。
でも、確かに。

「...新田、今日は図書委員で遅くなるらしいよ」
浅倉くんが言う。

選ぶのは、私だという顔。

私は、窓の外を見る。空はもう、紫がかっている。今日。
このあと。
胸の奥が熱くて、苦しい。
でも、それは嫌な苦しさじゃない。逃げたいのに、逃げたくない。
「……ありがとう」
私はゆっくり言う。
「教えてくれて」
浅倉くんは小さく頷く。
「余計なお世話だったら、ごめん」
「ううん」
首を振る。知らなかったら、きっと後悔していた。廊下の時計を見る。

まだ、間に合う。

「私」
自分の声が、少し震える。
「このあと、話してみる」
浅倉くんの目がわずかにやわらぐ。
「そっか」
「……怖いけど」
正直に言う。
「でも、ちゃんと伝えたい」
遠山さんより先に、という気持ちも、たしかにある。
でもそれ以上に。好きだと知ってしまった今、黙っているほうが、ずっと怖い。

「立花なら、大丈夫だと思う」

静かな励まし。私は深く息を吸う。
図書室へ向かう廊下は、少し長く感じるだろう。
でも、歩く。

ゆっくりでもいい。
それでも、止まらない。
想定外なことが起きたって、私らしくいればいい。
莉央ちゃんは遠回しにそう伝えてくれたんだ。

「行ってくるね」
「うん」

私は腕章を握りしめて、踵を返す。夕暮れの廊下を、一歩ずつ進みながら。

今日。

このあと。


私は、新田陽翔に告白する。