『Friends』 〜 一年間の黙示録 〜

〜浅倉琉生〜


休み時間、教室のざわめきから少し離れたくなって、僕は図書室へ向かった。廊下の窓から差し込む冬の光は淡く、床に長い影を落としている。扉を開けると、紙の匂いと静かな空気が肺に落ちてきた。ここはいつも、時間の進み方がゆるやかだ。
カウンターの向こうに、新田がいた。腕章をつけて、返却された本を棚に戻している。陽の当たる窓際で、珍しく真面目な顔をしていた。
「なあ、新田」
低い声がして、奥のテーブルにいた図書委員の男子が身を乗り出す。
「お前、好きな人いねーの?」
軽い調子。けれど、その目は面白がっている。
「は? いねーよ」
新田は即答する。少しだけ声が上ずった気がした。僕は背の高い書架の陰に立ち、適当に文庫本を手に取る。開いたページに目を落としながら、耳は自然と会話を拾っていた。
「絶対うそ。お前わかりやすいもん」
「なんだよそれ」
沈黙が一拍落ちる。ページをめくる指先が止まる。
「……別に」
新田の声はさっきより低い。強がりと、本音の間みたいな音。
「で? 誰?」
「だからいねーって」
「言えよ。減るもんじゃねーし」
からかう笑い声が、静かな空間に少しだけ浮く。司書の先生は奥で書類を整理していて、こちらには気づいていない。新田は棚に本を戻すふりをして、しばらく黙っていた。窓の外で、風が木の枝を揺らす。光が揺れて、彼の横顔に影を落とす。

「……うるせーな」
小さく吐き出すように言う。
「いるんだ?」
「……まあ」
あっさりと崩れた。僕は本を閉じる。...音を立てないように。
「誰?」

間。

長くはない。けれど、確かに迷った時間。
「……立花結衣」
その名前が、静かに落ちた。

「...立花...結衣?」
「声でけーよ」
図書室の空気を震わせる。新田は慌てて周囲を見回す。けれど、その視線は僕のいる書架までは届かない。
「知らない名前だな。なんで?」
「なんでって……」

言葉を探す沈黙。

「なんか、ちゃんと聞いてくれるし」
ぽつり、と。
「話してて、変に気使わなくていいっていうか」
照れ隠しみたいに笑う気配がする。
「へー。意外と普通だな」
「うるせ」
そのやり取りは、どこか穏やかだった。冗談半分の空気の中に、確かな本音が混じっている。僕は本を棚に戻す。背表紙を揃えながら、胸の奥に落ちた名前の重さを確かめる。

立花結衣。

教室で静かに笑う横顔が浮かぶ。新田はまだ何か言われている。
「告れよ」
「無理」
「押せばいけるって」
「そういうのじゃねーんだよ」
その一言が、妙に真面目で、僕は少しだけ驚く。

軽いだけじゃない。
ちゃんと考えている声だった。

これ以上ここにいるのは、よくない気がした。盗み聞きは趣味じゃない。...聞いたけど。
カウンターの横を通る。足音をなるべく小さく。新田は友だちの方を向いていて、僕には気づかない。扉を開けると、廊下のざわめきが一気に戻ってくる。さっきまでの静寂が、遠い場所のものみたいだ。教室へ向かいながら、窓の外を見る。雲は薄く、空は高い。誰かの「好き」は、案外あっさり口に出る。でも、その裏にはきっと、言葉にならない時間がある。
教室の扉の前で、一度立ち止まる。
何も知らない顔で、席に戻るだけだ。

僕は取っ手に手をかける。さっき聞いた名前を、心の奥に静かにしまい込んだ。