『Friends』 〜 一年間の黙示録 〜

〜立花結衣〜


数日経っても、胸の奥が少しだけ落ち着かなかった。
廊下の光景が、頭の中で静かに繰り返される。遠山さんのまっすぐな背中と、その場に立ち尽くす新田くんの横顔。
...実は、盗み見してた。

――嫌ではない。

彼はそう言った。その言葉が、思ったよりも長く残っている。
窓の外では、校庭の木が風に揺れていた。カーテンがふわりと膨らむ。春が近づいている匂いがする。
「結衣、どうしたの?」
隣から柔らかい声がする。
莉央ちゃん。
彼女は机に頬杖をつきながら、こちらを見ていた。視線は穏やかなのに、どこか核心を見抜いているような目。
「……そんなに分かりやすい?」
「少しだけ」
少しだけ、なんて言いながら、たぶんほとんど分かっている。私は一度、深く息を吸った。
「さっき、新田くんと廊下で会って」
「うん」
「遠山さんに誘われたって言ってた」
「...ジュース?」
どうして知っているの、という顔をすると、彼女は小さく笑う。
「なんとなく想像つく」
確かに、「想像は」つく...?いやそれでも。私は指先で机の縁をなぞりながら、言葉を探す。

「……最近ね」
「うん」
「新田くんと話すと、ちょっと変なんだ」
「変?」
「胸が、落ち着かなくなる」
言ってしまうと、急に現実味を帯びる。莉央ちゃんは驚かない。ただ静かに続きを待っている。
「前は普通だったの。クラスの中心にいる明るい人、っていうだけで」
「今は違う?」
「うん」
廊下で、あんなふうに困った顔をして、それでもちゃんと話を聞いていて。押されても逃げないけど、強くも出ない。その曖昧さが、妙に気になってしまう。
「話すたびに、少しだけ緊張するの」
「それは悪い緊張?」
「……たぶん、違う」
怖いわけではない。ただ、意識してしまう。莉央ちゃんは、窓の外に視線を向けた。

「好き、って言葉にするには、まだ早い感じ?」

...段階をいくつか飛ばして核心をついてきた。私は苦笑する。
「そこまで大きくない。でも、前よりずっと近い」
彼の名前を呼ぶだけで、声の温度が変わる気がする。
「遠山さんのこと、気になる?」
「少しだけ」
正確には、遠山さんの“勢い”が。
あんなふうにまっすぐ行けるのは、正直うらやましい。私は、いつも考えてから動くから。
「結衣は、どうしたいの?」
静かな問い。どうしたい?その言葉が、胸の奥にゆっくり落ちていく。
「……まだ、何も」
「うん」
「ただ、今のままじゃ、少しだけ後悔する気がする」
「じゃあ、少しだけ動いてみればいい」
「少しだけ?」
「うん。結衣らしい速さで」
遠山さんみたいに、一気に距離を詰めなくてもいい。走らなくてもいい。自分の歩幅で。
教室のざわめきが、少し遠く感じる。
私は窓の外を見た。光が机の上に淡く落ちている。
「ねえ、莉央ちゃん」
「なに?」
「ドキドキするのって、悪いことじゃないよね」
彼女は、迷わず答えた。
「ぜんぜん。むしろ、大事なサイン」
その言葉は、柔らかいのに、芯があった。私は小さく笑う。
胸の奥のざわめきは消えない。でも、それが少しだけ愛おしく思えた。
きっと私は、まだ入り口に立っている。

 でもそれでいい。

春は、急がなくてもちゃんと来ると思うから。