〜永瀬樹〜
昼休みの光は、どこか春を含んでやわらかい。校庭の端に立つ木の影は、思ったよりも濃くて、風が吹くたびに静かに揺れていた。僕は幹にもたれながら、ペットボトルの水を一口飲む。グラウンドの向こうでは、新田が大きな声で笑っている。遠山の声も混じっているみたいだ。あの二人は、たぶんどこにいてもすぐに見つかる。
「ここ、意外と穴場だよね」
隣で、水沢が空を見上げたまま言った。光を透かした葉が、彼女の横顔に細かい影を落としている。
「うん。教室より、ちゃんと息ができる感じがする」
「わかる。天井がないからかな」
小さく笑う。その笑い方は控えめなのに、なぜか印象に残る。
「...ねえ、樹」
彼女はノートとシャーペンを取り出した。
「うん、そろそろ始めよっか」
―――僕も、もう疲れた。
信じたって裏切られるこの世界で、もうしたいことがわからなかった。
何ができるのかわからなかった。
『一緒に死なない?』
...本来恐怖のはずの「死」に、僕は一瞬希望を見出した。命を絶ったら、この穢れた場所から抜け出せる、そう思った。
でも、駄目なこととも、わかっていた。
n――...本気?
m――本気。こんなところで嘘つくと思う?
駄目だ、と言いたかった。
でもその言葉を打ち込む自信が、僕にはなかった。
『どうして彼女は“0”?』
“1”だった世界線だってあり得たはずなのにどうして――
“0”と“1”の違いがわかったところで、その答えを知った。
“0”は、 「自分自身<傷つかないこと」
“1”は、 「自分自身>傷つかないこと」
彼女にとって、
「自分自身」よりも、「裏切られても傷つかない」ことが大切だった。
自分自身がどうなってでも、傷つきたくなかった。
それだけ傷ついた出来事が、過去にあったということ。
それに比べて僕は、あの小6の出来事があった後でも、自分自身の安全を優先できた。
水沢さんに何があったかはわからないけど、この程度で済んでる僕にその辛さがわかるわけがなかった。
わかろうとするだけ失礼だと思った。
...その上で決めた彼女の自殺志望を、何もわかってない僕が何の根拠もなく止めたくない。
元から狂ってる世の中だ。「死んではいけない」なんてのも、勝手に作られた固定概念だ、と思った。
自分の人生なんだから、したいことをするべきだ。
...それに彼女は、一度決めたことはやりきるまで止まらない。
ふと浮かんだ疑問をぶつける。
n――でも相手は僕でいいの?
返信までの時間が長く感じる。
m――...樹の他にいないよ。
僕も、もう終わらせたい。
水沢さんに、“1”である人にそう頼まれるのなら、断る理由はどこにもなかった。―――
結局その時の僕は、まだ死の恐怖に勝てずに、一年生の修了式から一年先送りにしてもらった。彼女は本気なのに、僕はなんて自分に甘いのだろう。でも、もう大丈夫だ。この世界には心底絶望できた。
「昨日適当に調べてきたんだけど、〇〇県にある『エステートビル』ってところどう?」
そのビルに関する、一般人の出入り、階数などの様々な情報が、そのノートには記されていた。
「出入り可、23階建てか。高さも充分だね。屋上は?」
「あるよ。常時解放されてるみたい。」
...お互い本気だからこそできる、抜け目もなければ緊張感もない会話だった。
「なら大丈夫だね。...ここからそこそこ遠めみたいだけど、何か理由あるの?」
「別に特に理由はないんだけど...最後ぐらいちょっと長旅したくない?」
彼女は僕に、いたずらっぽく微笑みかけた。
「余裕だね。狂ってる」
「そっちもね。『高さも充分だね。』って結構狂ってると思うけど?」
「わざわざ屋上の有無まで調べてきた人がよく言うよ」
不意を疲れたかのように吹き出す。気づけば僕もつられて笑っていた。
警戒もなしに、本音を喋って笑い合えるこの時間が、内容がどうであれ心の底から楽しかった。
騒がしいグラウンドを横目に、木陰で木の幹に凭れて、僕達は静かにその計画を進めていた。
昼休みの光は、どこか春を含んでやわらかい。校庭の端に立つ木の影は、思ったよりも濃くて、風が吹くたびに静かに揺れていた。僕は幹にもたれながら、ペットボトルの水を一口飲む。グラウンドの向こうでは、新田が大きな声で笑っている。遠山の声も混じっているみたいだ。あの二人は、たぶんどこにいてもすぐに見つかる。
「ここ、意外と穴場だよね」
隣で、水沢が空を見上げたまま言った。光を透かした葉が、彼女の横顔に細かい影を落としている。
「うん。教室より、ちゃんと息ができる感じがする」
「わかる。天井がないからかな」
小さく笑う。その笑い方は控えめなのに、なぜか印象に残る。
「...ねえ、樹」
彼女はノートとシャーペンを取り出した。
「うん、そろそろ始めよっか」
―――僕も、もう疲れた。
信じたって裏切られるこの世界で、もうしたいことがわからなかった。
何ができるのかわからなかった。
『一緒に死なない?』
...本来恐怖のはずの「死」に、僕は一瞬希望を見出した。命を絶ったら、この穢れた場所から抜け出せる、そう思った。
でも、駄目なこととも、わかっていた。
n――...本気?
m――本気。こんなところで嘘つくと思う?
駄目だ、と言いたかった。
でもその言葉を打ち込む自信が、僕にはなかった。
『どうして彼女は“0”?』
“1”だった世界線だってあり得たはずなのにどうして――
“0”と“1”の違いがわかったところで、その答えを知った。
“0”は、 「自分自身<傷つかないこと」
“1”は、 「自分自身>傷つかないこと」
彼女にとって、
「自分自身」よりも、「裏切られても傷つかない」ことが大切だった。
自分自身がどうなってでも、傷つきたくなかった。
それだけ傷ついた出来事が、過去にあったということ。
それに比べて僕は、あの小6の出来事があった後でも、自分自身の安全を優先できた。
水沢さんに何があったかはわからないけど、この程度で済んでる僕にその辛さがわかるわけがなかった。
わかろうとするだけ失礼だと思った。
...その上で決めた彼女の自殺志望を、何もわかってない僕が何の根拠もなく止めたくない。
元から狂ってる世の中だ。「死んではいけない」なんてのも、勝手に作られた固定概念だ、と思った。
自分の人生なんだから、したいことをするべきだ。
...それに彼女は、一度決めたことはやりきるまで止まらない。
ふと浮かんだ疑問をぶつける。
n――でも相手は僕でいいの?
返信までの時間が長く感じる。
m――...樹の他にいないよ。
僕も、もう終わらせたい。
水沢さんに、“1”である人にそう頼まれるのなら、断る理由はどこにもなかった。―――
結局その時の僕は、まだ死の恐怖に勝てずに、一年生の修了式から一年先送りにしてもらった。彼女は本気なのに、僕はなんて自分に甘いのだろう。でも、もう大丈夫だ。この世界には心底絶望できた。
「昨日適当に調べてきたんだけど、〇〇県にある『エステートビル』ってところどう?」
そのビルに関する、一般人の出入り、階数などの様々な情報が、そのノートには記されていた。
「出入り可、23階建てか。高さも充分だね。屋上は?」
「あるよ。常時解放されてるみたい。」
...お互い本気だからこそできる、抜け目もなければ緊張感もない会話だった。
「なら大丈夫だね。...ここからそこそこ遠めみたいだけど、何か理由あるの?」
「別に特に理由はないんだけど...最後ぐらいちょっと長旅したくない?」
彼女は僕に、いたずらっぽく微笑みかけた。
「余裕だね。狂ってる」
「そっちもね。『高さも充分だね。』って結構狂ってると思うけど?」
「わざわざ屋上の有無まで調べてきた人がよく言うよ」
不意を疲れたかのように吹き出す。気づけば僕もつられて笑っていた。
警戒もなしに、本音を喋って笑い合えるこの時間が、内容がどうであれ心の底から楽しかった。
騒がしいグラウンドを横目に、木陰で木の幹に凭れて、僕達は静かにその計画を進めていた。
