『Friends』 〜 一年間の黙示録 〜

〜永瀬樹〜


遠山楓理の告白から、一週間。結論だけを言えば、僕の日常は何も崩れなかった。むしろ、静かに整えられたような感覚すらある。あの日以降、教室の空気は微妙に変わった。遠山を見る視線は、以前よりも冷えている。あまりに強引で、あまりに一方的だった告白は、どうやら彼女の思惑通りには受け取られなかったらしい。
対して俺には、妙な同情と、少しの好意的な評価が向けられている。別に訂正する気もない。事実として、俺は誠実に断った。それだけだ。

朝の教室。窓際の席に鞄を置くと、斜め後ろから軽やかな声が届く。
「おはよ、樹」
水沢莉央。柔らかい声色。朝の光を受けて、彼女の横顔はどこか透明感がある。
「おはよう、水沢さん」
僕がそう返すと、水沢は少しだけ目を細める。
「その呼び方、相変わらずだね」
「呼び捨てなんか違和感あるし...」
「そうなの?どうであれかたいなあ」
言葉とは裏腹に、彼女は楽しそうだ。水沢には、自然とあたりが柔らかくなる自覚がある。理由は単純だ。彼女は踏み込まない。けれど、離れすぎない。ちょうどいい。

ホームルーム前、クラスの女子が数人、俺の席の近くで雑談している。
「永瀬くんって、ちゃんとしてるよね」
「うん、あれは楓理がちょっと……」
声は小さいが、聞こえない距離じゃない。俺は何も反応しない。評価は他人のものだ。管理するものでも、消費するものでもない。水沢さんが小さく僕を見る。
「...人気者っ」
「違う」
「否定早いね」
「面倒なだけだよ」
水沢はくすっと笑う。その笑い方は軽いが、視線は冷静だ。
「でも、ちゃんとしてるのは本当でしょ」
「……どうだろう」
「少なくとも、私はそう思ってる」
不意打ちのように落ちる言葉。過剰じゃない。甘くもない。ただ、まっすぐだ。

昼休み、中庭のベンチに並ぶ。冬の空気は澄んでいて、遠くの校舎がくっきりと見える。
「ねえ、樹」
「なに?」
「...なんか私にだけ、ちょっと声柔らかいよね」
唐突な指摘に、少しだけ間を置く。
「...自己肯定感高い系?」
「違う! でも実際樹そうじゃない?」
「そうかな」
「うん。最初からだけど」
否定はしない。
「水沢さんには、構える理由がないからかな」
「それ、うれしい」
彼女はパンをちぎりながら微笑む。
「私は最初から、樹のこと好きだもん。友達として」
軽やかに言う。
「知ってる」
「即答だ」
「態度でわかるから」
彼女は笑いながらパンを口に運んだ。

放課後。教室に残り、提出物をまとめていると、水沢が机に肘をつく。
「樹」
「なに?」
「...なんか疲れてるでしょ」

「...別に」
「嘘」
即答だった。僕は小さく息を吐く。
「…まあ少しはね」
「だよね」
彼女はそれ以上追及しない。ただ、隣に立つ。
「帰ろ。今日は私がコンビニ寄りたい」
「付き合えってことか」
「うん。樹は荷物持ち」
「さっき疲れてるか聞いてきたのなんだったのさ」
「...さあ」
「横暴」
「知ってる」
立ち上がると、自然と歩幅が揃う。廊下を歩きながら、何人かが僕たちを見る。悪意はない。ただの興味だ。僕は気にしない。水沢さんも気にしない。
「ねえ、樹」
「ん?」
「私、今の樹好きだよ」
「さっきも聞いた」
「そうじゃなくて。ちゃんと断って、ちゃんと立ってる樹」
夕陽が差し込む廊下で、彼女の横顔が柔らかく光る。は僕少しだけ視線を逸らす。
「...ありがとう」
短い言葉。けれど、僕にしては...それに彼女に対してなら十分だった。
水沢は満足そうに微笑む。
一週間前の出来事は、もう騒ぎではない。クラスの評価も、遠山の視線も、いずれ薄れていく。残るのは、選んだ距離。選んだ人間関係。


水沢莉央――彼女が“樹”と呼ぶ声が、前から思いのほか心地いいことを、僕はまだ口にしない。

...口にしたくないから。