「うう……もうすぐ十八時なのに、まだ全然暑いですね……」
「だから、見送りは玄関まででいいって言ったんだよ?」
「いえ、はるばる来てもらったので、せめてお見送りぐらいは」
駅まで向かう道を並んで歩く私と春海くん。その後ろを、一歩遅れて朝凪くんがついてくる。
「ふわあっ?!」
「ええっ?! なにっ?!」
春海くんが不思議な悲鳴を上げて後ずさった。
必然的に私と朝凪くんは足を止める。
「えっ、ど、どした?!」
「あっ……! ご、ごめんなさい! えっと、その……ものすごくタイプの人が……」
「……へ?」
「ああぁぁぁ……! ごめんなさい! ごめんなさい! あそこの横断歩道を渡ってた人が、めちゃくちゃかっこよかったので、つい……!」
「お、おお……!」
両手で顔を覆ってぶっちゃけてくれた春海くんから横断歩道へ目を移したものの、おばあちゃんや学生、自転車に乗った親子が見えただけで、理想の人と思しき姿はもうそこにはなかった。
「どういう人が好みなの?」
再び歩き出してから、私は尋ねる。
まだ余韻が抜けきっていないのか、春海くんの頬は苺に負けず劣らず赤らんだままだ。それをそっと包むように両手で触れながら春海くんが甘みたっぷりの笑顔を浮かべた。
「えっと……き、筋骨隆々とした男らしい人が……」
「“THE・漢っ!”って感じの人がいいんだ」
「ロック画面にしてるぐらいだもんね」
「言わないでぇぇ……!」
「いいじゃん。鳴上さんなら受け入れてくれるよ」
「そういう意味じゃない! 心の準備とか、いろいろあるでしょ?! そんなこと言ったら、令夏が対抗して走ってること、あおいさんにバラしてやる」
「それは言わなくてい——」
「えっ!! なになに?!」
「ほら、来たよ。もう勘弁して」
背後から聞こえた盛大なため息に私たちは思わず笑い声を上げた。
咲きこぼれる花のような明るさ。これが本来の春海くんの姿なのかもしれない。そう思うと、今までどれだけ自分を抑え込んでいたのだろうと胸が痛む。
だって、本当はイエローのワンピースを着たいと思っている人なのだ。いつか一緒に買いに行こうと言える日が来るといいな、なんて思っていると、
「令夏、体質的にあんまり筋肉付かないみたいで。せめて体力だけはって、よく夜に走ってるんです」
笑顔を絶やさず春海くんが教えてくれた。
なるほど。それであんなに体力があったのか。
「へえ、なんか意外かも。朝凪くん、あんまり気にしなさそうっていうか。『人は人、自分は自分』な人なのかと」
「基本はそうだよ。でも、理不尽だと思わない? 春海がよく理想の人だって言って、画像や動画を見せてくるんだけど、同じ人間なのにここまで体つきがちがうものなのかと思うと、納得いかない」
「納得できるかどうかの話なんだ。でも、そこまで貧相な体でもなくない?」
「中学のときの令夏はもっと細身で、それこそ女の子に間違えられてたんですよ。それも悔しいみたいで」
春海くんが楽しそうに耳打ちしてきた。恵みの雨に喜ぶ花のような弾んだ声だ。
「聞こえてるから」
だそうです。
来るときに右に曲がった角を、今度は左に曲がる。駅まではもう直線一本道だ。
お昼とはちがった蝉の声からわずかな涼しさを感じ取る。まだ青い空にほんのりとオレンジ色が混ざり始めて、綿をちぎったような雲に濃い影が入っている。夏の空はこの時間になっても瑞々しい。
「そういえば、なんで夏が先なの?」
考えるより先にずっと抱いていた疑問が口を衝いて出る。
「なにが?」
道が広くなり、春海くんの隣に並んだ朝凪くんが少し頭を傾けて訊き返してきた。
「名前だよ。春海くんの漢字を聞いたときから思ってたんだけど、朝凪くんがお兄ちゃんなんだよね? 季節の順序に則るなら、春が先じゃない?」
「じゃんけんで決まったんですって」
「ええ?! じゃんけん?!」
「そう。『れいか』『かすみ』で音を繋げたい父親と、『春海』『令夏』で季節に則りたい母親で五回勝負」
「で、お父さんが勝ったと」
「そうです」
「お、お茶目なご両親だね」
「おれたちからすると、どっちでもいいんだけどね。……——まあ、でも、今の名前でよかったかな。おれ、夏好きだから」
「わたしも春になれてよかったです。実際に季節の順番が変わっちゃったら困りますけど、わたしたちの名前ぐらいなら、誰かに迷惑かけるわけでもないですし」
建物の間を抜けた夕陽が二人を照らした。眩しそうに目を細めて斜めに俯く朝凪くんと、手をかざして陰を作る春海くん。こういう仕草には個性が表れていて、でも、似ているところも十分あって。それが朝凪兄妹であり、私の友達。
「じゃあ、今日はありがとう。お邪魔しました」
改札口の前で二人と向かい合い、改めてお礼を伝える。
ちょうど電車の発着時刻の合間ということもあり、人の出入りはまばらで、声が思った以上に通った。
「あの、わたしも、ありがとうございました……! 『助けられた』って、『励まされた』って、そう言ってもらえて、嬉しかったです。……あの、その……えーっと……」
春海くんが縋るように朝凪くんを見た。
朝凪くんにはその意図が伝わっているようで、優しい笑みを添えて頷き返す。春海くんの顔がぐるんっとこちらに戻ってきた。
「あのっ!」
「はいっ!」
春海くんの勢いに触発された応援団さながらのいい返事が駅構内に響く。
「ま、また……遊んでくださいっ!」
「……っ! はい、喜んで!」
「……っ! ありがとうございます……っ!」
春海くんがまた朝凪くんを見た。今度は気持ちを抑えきれないといった様子で。
妹を見る兄の眼差しは、どこかの兄とちがってとても優しい。
「おれからも、ありがとう。おれともまた遊んでね」
「あはは! それはもちろんだけど、大丈夫だよ! 朝凪くんだけ仲間はずれになんてしないから」
「仲間はずれは別にいいんだけど」
「え?」
じゃあ、なにが言いたかったんだ。
小首を傾げていると、私たちのやり取りを見ていた春海くんが突然言った。
「令夏。わたし、令夏のこと応援するからね」
朝凪くんはほんの一瞬目を丸くしてから、追い風に乗るような軽やかな声でお礼を言う。
「え? え?? なにを応援???」
「知りたい?」
「う、うん。聞いていいなら」
「そうだなー、じゃあ……」
もったいぶるな。
「まずは名前で呼ぶところから始めようか」
「ミッションコンプリート系っ?! しかも、なんで名前?!」
「だって、春海だって朝凪だよ? ややこしくない?」
「いや、別にそこまで……」
「わたしはややこしいと思います。自分が呼ばれてるみたいで」
「ええ……」
なんなんだ。どうして突然呼び方の話になるんだ。
なかなか解散しない私たちを吹き抜けた夏の風がおかしそうに笑っていた。
「だから、見送りは玄関まででいいって言ったんだよ?」
「いえ、はるばる来てもらったので、せめてお見送りぐらいは」
駅まで向かう道を並んで歩く私と春海くん。その後ろを、一歩遅れて朝凪くんがついてくる。
「ふわあっ?!」
「ええっ?! なにっ?!」
春海くんが不思議な悲鳴を上げて後ずさった。
必然的に私と朝凪くんは足を止める。
「えっ、ど、どした?!」
「あっ……! ご、ごめんなさい! えっと、その……ものすごくタイプの人が……」
「……へ?」
「ああぁぁぁ……! ごめんなさい! ごめんなさい! あそこの横断歩道を渡ってた人が、めちゃくちゃかっこよかったので、つい……!」
「お、おお……!」
両手で顔を覆ってぶっちゃけてくれた春海くんから横断歩道へ目を移したものの、おばあちゃんや学生、自転車に乗った親子が見えただけで、理想の人と思しき姿はもうそこにはなかった。
「どういう人が好みなの?」
再び歩き出してから、私は尋ねる。
まだ余韻が抜けきっていないのか、春海くんの頬は苺に負けず劣らず赤らんだままだ。それをそっと包むように両手で触れながら春海くんが甘みたっぷりの笑顔を浮かべた。
「えっと……き、筋骨隆々とした男らしい人が……」
「“THE・漢っ!”って感じの人がいいんだ」
「ロック画面にしてるぐらいだもんね」
「言わないでぇぇ……!」
「いいじゃん。鳴上さんなら受け入れてくれるよ」
「そういう意味じゃない! 心の準備とか、いろいろあるでしょ?! そんなこと言ったら、令夏が対抗して走ってること、あおいさんにバラしてやる」
「それは言わなくてい——」
「えっ!! なになに?!」
「ほら、来たよ。もう勘弁して」
背後から聞こえた盛大なため息に私たちは思わず笑い声を上げた。
咲きこぼれる花のような明るさ。これが本来の春海くんの姿なのかもしれない。そう思うと、今までどれだけ自分を抑え込んでいたのだろうと胸が痛む。
だって、本当はイエローのワンピースを着たいと思っている人なのだ。いつか一緒に買いに行こうと言える日が来るといいな、なんて思っていると、
「令夏、体質的にあんまり筋肉付かないみたいで。せめて体力だけはって、よく夜に走ってるんです」
笑顔を絶やさず春海くんが教えてくれた。
なるほど。それであんなに体力があったのか。
「へえ、なんか意外かも。朝凪くん、あんまり気にしなさそうっていうか。『人は人、自分は自分』な人なのかと」
「基本はそうだよ。でも、理不尽だと思わない? 春海がよく理想の人だって言って、画像や動画を見せてくるんだけど、同じ人間なのにここまで体つきがちがうものなのかと思うと、納得いかない」
「納得できるかどうかの話なんだ。でも、そこまで貧相な体でもなくない?」
「中学のときの令夏はもっと細身で、それこそ女の子に間違えられてたんですよ。それも悔しいみたいで」
春海くんが楽しそうに耳打ちしてきた。恵みの雨に喜ぶ花のような弾んだ声だ。
「聞こえてるから」
だそうです。
来るときに右に曲がった角を、今度は左に曲がる。駅まではもう直線一本道だ。
お昼とはちがった蝉の声からわずかな涼しさを感じ取る。まだ青い空にほんのりとオレンジ色が混ざり始めて、綿をちぎったような雲に濃い影が入っている。夏の空はこの時間になっても瑞々しい。
「そういえば、なんで夏が先なの?」
考えるより先にずっと抱いていた疑問が口を衝いて出る。
「なにが?」
道が広くなり、春海くんの隣に並んだ朝凪くんが少し頭を傾けて訊き返してきた。
「名前だよ。春海くんの漢字を聞いたときから思ってたんだけど、朝凪くんがお兄ちゃんなんだよね? 季節の順序に則るなら、春が先じゃない?」
「じゃんけんで決まったんですって」
「ええ?! じゃんけん?!」
「そう。『れいか』『かすみ』で音を繋げたい父親と、『春海』『令夏』で季節に則りたい母親で五回勝負」
「で、お父さんが勝ったと」
「そうです」
「お、お茶目なご両親だね」
「おれたちからすると、どっちでもいいんだけどね。……——まあ、でも、今の名前でよかったかな。おれ、夏好きだから」
「わたしも春になれてよかったです。実際に季節の順番が変わっちゃったら困りますけど、わたしたちの名前ぐらいなら、誰かに迷惑かけるわけでもないですし」
建物の間を抜けた夕陽が二人を照らした。眩しそうに目を細めて斜めに俯く朝凪くんと、手をかざして陰を作る春海くん。こういう仕草には個性が表れていて、でも、似ているところも十分あって。それが朝凪兄妹であり、私の友達。
「じゃあ、今日はありがとう。お邪魔しました」
改札口の前で二人と向かい合い、改めてお礼を伝える。
ちょうど電車の発着時刻の合間ということもあり、人の出入りはまばらで、声が思った以上に通った。
「あの、わたしも、ありがとうございました……! 『助けられた』って、『励まされた』って、そう言ってもらえて、嬉しかったです。……あの、その……えーっと……」
春海くんが縋るように朝凪くんを見た。
朝凪くんにはその意図が伝わっているようで、優しい笑みを添えて頷き返す。春海くんの顔がぐるんっとこちらに戻ってきた。
「あのっ!」
「はいっ!」
春海くんの勢いに触発された応援団さながらのいい返事が駅構内に響く。
「ま、また……遊んでくださいっ!」
「……っ! はい、喜んで!」
「……っ! ありがとうございます……っ!」
春海くんがまた朝凪くんを見た。今度は気持ちを抑えきれないといった様子で。
妹を見る兄の眼差しは、どこかの兄とちがってとても優しい。
「おれからも、ありがとう。おれともまた遊んでね」
「あはは! それはもちろんだけど、大丈夫だよ! 朝凪くんだけ仲間はずれになんてしないから」
「仲間はずれは別にいいんだけど」
「え?」
じゃあ、なにが言いたかったんだ。
小首を傾げていると、私たちのやり取りを見ていた春海くんが突然言った。
「令夏。わたし、令夏のこと応援するからね」
朝凪くんはほんの一瞬目を丸くしてから、追い風に乗るような軽やかな声でお礼を言う。
「え? え?? なにを応援???」
「知りたい?」
「う、うん。聞いていいなら」
「そうだなー、じゃあ……」
もったいぶるな。
「まずは名前で呼ぶところから始めようか」
「ミッションコンプリート系っ?! しかも、なんで名前?!」
「だって、春海だって朝凪だよ? ややこしくない?」
「いや、別にそこまで……」
「わたしはややこしいと思います。自分が呼ばれてるみたいで」
「ええ……」
なんなんだ。どうして突然呼び方の話になるんだ。
なかなか解散しない私たちを吹き抜けた夏の風がおかしそうに笑っていた。
