季節のはざまに虹を架ける

 いつも通り落ち着き払った口調なのに、これまでで一番生々しく響いた声色によって、朝凪くんの胸の内に少しだけ届いた感触を私は確かに手にした。
 今まで固く閉ざされていた心がわずかに開かれて、そこをそっと覗いて、場合によっては触れることをも許されたような心地になる。これがもし私がずっと望んでいた相応の関係性が築けてきたという証なのだとしたら、こんなに嬉しいことはない。

「おれは理解ってまだ外側にいる状態だと思うんだよね」
「外側?」
「うん。たとえばXジェンダーだったら、その定義を正しく知っている状態っていうのかな」

 いつだったか食堂で話した女子生徒の顔が浮かぶ。
 あのときの彼女は私の説明によってXジェンダーに対する思い込みを払拭し、さらにはXジェンダーにもさまざまな人がいることを知ってくれた。

「あくまでおれの考えとして聞いてほしいんだけど——……」

 前置きをして、いつになく慎重に朝凪くんが言葉を進める。

「経験してない以上、当事者じゃない。第三者の域を出ないまま、それでも相手の事情を知ろうとすると、そこにはどうしても推察が挟まれる。そうして生じた思いやりが“配慮”という目に見える形で相手に伝わる。これは本来、他者を思うプロセスとして当然だよね」
「うん……?」
「ごめん、言葉が硬いよね。妹にもよく注意されるんだけど……そうだな、例えば——」
「待って! じわじわ来た」
「じわじわ?」
「うん。……怪我した人を見て『痛そう』『大変そう』だと思って、『自分にはなにができるか』って相手の立場で考えて、手を差し伸べる……的なことを、説明文にした感じ?」
「そうだね。ありがとう」

 素直に感謝されて、なんだか照れくさい。

「だけど、配慮の必要性が集団や社会全体に浸透しすぎると、なんていうか……おれには空っぽに見える」
「それは、集団や社会が?」
「ううん、配慮が」
「ほお」
「“形骸化した配慮”とでも言えばいいかな。浸透してるものを『正解』と捉えてしまう人は一定数いて、そうすると個人による推察の過程を必要としなくなる」
「やらなくても“正しい”配慮ができるから?」
「そう」

 いつも淀みなく話す朝凪くんにしては珍しく、少し歯切れが悪い。きっと私にもわかるように嚙み砕いて説明しようとしてくれているのだろう。
 その優しさを無駄にしないために、私は耳と脳に全神経を集中させる。

「えーっと……確か『形骸化』って、中身がなくなって形だけが残っちゃうってやつ……だっけ? 極端な話、部活の先輩に挨拶するのは決まりだからで、尊敬の気持ちがなくてもやってるよー、みたいな?」
「合ってるよ」
「つー……まり、本当は毎回相手の立場で考えるべきなのに、『脚を骨折してる人は歩くのが大変だから支えてあげましょう』って、どこかで耳にした配慮を適切かどうか判断せず使ってしまう……ってことか。実は、歩くよりも立ち上がるのが大変な人もいるかもしれないのに……あ! 本来、配慮はオーダーメイドだよねってこと?!」
「すごいね、『配慮はオーダーメイド』っていい表現」

 先生に褒められたときのような優越感に鼻高々である。
 だけど、ここで一つ疑問が浮かんだ。

「偽善とはちがうの?」
「偽善は打算的だと自覚してる分、潔いよ。よほど上手くやらない限り、下心が透けて見える人も多いしね。その点、形骸化した配慮を使う人たちは、純粋な善意で行動してるから厄介かな」
「厄介?」
「自分はいいことをしてるって信じて疑ってないから、形骸化してるなんて言われても実感が湧かない。それこそ鳴上さんがXジェンダーだからといって、学校がスラックスの着用しか認めなかったら、今の恰好にはなってないよね。スラックスが性的マイノリティに対する配慮だと学校は信じてるから、鳴上さんがどれだけスカートを希望したところで、ただのわがままとしか捉えてもらえないかもしれない」
「ほお、確かに……」
「多様性のおかげで、事情に配慮できる人は増えたのかもしれない。だけど——」

 あえてそこに間を置いたのだとすぐにわかった。朝凪くんがまたゾッとするほど美しい笑みを浮かべたのだ。

「その中の何人が“本物”なんだろうね」