帝都鵺恋綺譚――軛の花嫁


 神聖なる涙の余韻は、無遠慮な闖入者たちによってあっさりと粉砕された。

「うおおおおおん!! 姉上えええええええ!! 私の、私の甥っ子もしくは姪っ子がぁぁぁ!!」

 いつの間にか部屋に侵入していた鏡夜が、床に何度も額を打ち付けながら号泣している。

「最高級の産着を! 帝都のすべての布地を買い占めます! 離れを改築して庭に黄金の遊具も造らねば! 長老衆の残党には私が『指一本触れたら本家ごと爆破する』と伝達してきます!!」

「鏡夜様、抜け駆けは絶対だめですよ! 俺たち禁衛府が、志野様とそのお子の護衛のために屋敷の警備を三倍……いや、十倍に引き上げますからね!」

「離乳食は私にお任せを。完璧な栄養管理で、最強の跡継ぎを育て上げてみせましょう。まずは軽微な毒の耐性から――」

「馬鹿か左近、赤子に毒を盛るな!」

 鏡夜、右近、左近がやかましく騒ぎ立てる中、センは無表情のまま猛烈な勢いで、いまやただの業務日報と化した帳面に文字を書き殴っていた。

『鳴神家に、新たなる奇跡が降臨。ただちに極上の揺り籠を手配し、一族には事後報告とする。……おくるみの色は、純白と銀に紫紺を合わせて』

 かつての冷徹な間者は、志野の専属へと華麗なる転身を果たしていた。

「……貴様ら、やかましい。志野の障りになる、全員今すぐ表へ出ろ!!」

 朔夜が青筋を立てて本日最大の雷を落とし、外野を全員庭へ放り出すまで、鳴神邸の祝騒ぎは止むことがなかった。


 その夜。
 すっかり静まり返った寝室の窓辺で、志野は朔夜の膝の間にすっぽりと収まり、表庭へと一部移植された夜風に揺れる白銀の桜を眺めていた。

「……冷えないか」

 朔夜が、背後から志野を包み込むように、ふかふかの掛け布を回す。
 彼の大きな掌が、志野のまだ平らなお腹を、壊れ物でも触るかのように恐る恐るも、愛おしそうに撫でていた。

「朔夜様は、本当に心配性ですね」

「当然だ。お前たちは俺の命そのものなんだ。……いっそ、お前を俺の身体の奥底に永遠に隠してしまいたいと、本気で考えるくらいにはな」

「ふふ、はい。……あ、そうだ。はい、あーん」

 志野は少しだけ身を捩り、手元にあった小箱から『銀桜のしょこら』を一粒摘まむと、背後の朔夜の口元へと運んだ。
 朔夜はそれをごく自然に口に含み、そのまま志野の指先ごと、甘く絡めとるように口づける。

「……美味いな」

 地下牢の前で交わした、他愛もない約束。
 化け物になりたくないと怯えていた少年と、飴玉を差し出した小さな少女は、時を経て、こうして本物の家族になったのだ。

 朔夜は、腕の中の小さなぬくもりを、確かめるように強く抱き締めた。
 かつて彼を縛り付けていたのは、鳴神という血の呪縛であり、七仙家の冷たい因習という『(くびき)』だった。
 だが今、彼をこの世界に繋ぎ止めているのは、そんな呪いではない。

「……俺は、お前に繋がれた軛のままでいい」

「え……?」

「暴れ狂う鵺の本能も、背負った血の業も。お前という優しい鎖が繋ぎ止めてくれるなら、俺は喜んで、その軛に首を垂れよう……俺を一生、お前の愛で縛り付けてくれ」

 それは、帝都最凶の当主から妻へと捧げられた、究極の降伏宣言であり、永遠の愛の誓いだった。
 志野は目を丸くした後、花がほころぶように優しく微笑み、朔夜の頬にそっと手を添えた。

「……愛している、志野。常しえに」

「――私もです。朔夜様」

 春の夜風が、白銀の桜の花弁をふうわりと舞い上げ、二人を祝福するように優しく包み込んだ。
 呪われた一族に光をもたらした花嫁と、自ら愛という軛に繋がれた不器用な死神の物語は、ここからまた、果てしなく甘く、幸せな日々へと続いていく。


< 帝都鵺恋綺譚――軛の花嫁  =完= >