帝都鵺恋綺譚――軛の花嫁

 志野は、狂乱する荒嵐の中を、真っ直ぐに歩み寄る。
 そして、漆黒の翼を広げた朔夜の頬に、その白く細い手をそっと添えた。
 白銀の糸が螺旋を描きながら、朔夜の頭に、四肢に、黒翼に纏わりついていく。

「私の愛しい、朔夜様」

 志野が優しく微笑みかけた刹那。
 荒れ狂っていた漆黒の翼羽が、まるで主人の熱を冷ますように形を崩し、光の粒子となって空へ溶けていく。

「……見ただろう、老害ども」

 朔夜が、志野の肩を抱き寄せながら、地を這う者たちを見下ろして冷たく告げる。

「圧倒的な異能など、心を繋ぐものがなければただの暴力に過ぎない。俺の力を鎮め、この帝都に真の平穏をもたらすのは、俺の唯一の妻だけだ。俺の目の届かぬ場所に未来永劫閉じ込める? 馬鹿馬鹿しい。帝都が灰燼に帰すとも構わぬのならそれもまた一興だがな」

 言葉に込められた絶対的な覇気と、底知れぬ静かな狂気に当てられ。

「ひ……っ、あ、あ、ああ……」

 ついに長老の一人が白目を剥き、泡を吹いて失神した。
 残された者たちも、ただただ絶望に染まった顔で床に突っ伏し、咽び泣くことしかできなくなる。

 無様な姿は、長きにわたり血統という呪いで人々を縛り付けてきた七仙家の『終わりの合図』そのものだった。
 もはや彼らに、朔夜を縛る鎖も、誇るべき異能も、何一つ残されてはいない。

「右近、左近。あとの掃除は任せる。もはや俺が手を下す価値すら残っていない、ただの肉塊だ」

 朔夜は、足元の老害たちから完全に興味を失ったように視線を外した。

「帝都の底辺で、かつての栄光という幻影に縋りながら惨めに生き恥を晒させてやれ。……それが、異能という虚飾に溺れた者への何よりの処刑だろう」

「御意。……ほら、立てよ。足腰立たねえなら、首に縄くくって引きずってくぜ?」

「右近、あんまり乱暴に扱うと、皆さまそれなりのご高齢ですし、心臓発作で死んでしまうかもしれません。それに、力の抜けた人間の体は重いですし……半分、いえ四分の一くらいに切り刻んでから運びましょうか?」

 双子が悪魔のように、楽しげな笑みを浮かべて引き立てていく。
 凄惨な光景を、センはただ無表情に、手元の帳面へとサラサラと書き留めていた。

「……『旧長老衆および鷹司家、反逆の罪により完全失脚。鳴神朔夜様ならびに正妻志野様による、新体制の確立』……と」

 パタン、と帳面を閉じたセンは、歩み去る二人の背中へ向けて、深く、これまでにないほど敬意に満ちた臣下の礼をとった。
 間者としての彼女の任務は、とうの昔に終わっている。
 これからは、彼女自身の意志で、あの気高き主たちの影として生きるのだ。

「帰るぞ、志野。こんな薄暗くて(かび)臭い場所は、お前には似合わない」

 朔夜が、少しだけ乱れた志野の髪を愛おしげに梳き、抱き寄せる。

「お前には……褒美をやらねばな。何か、欲しいものはないか? お前が望むものなら、なんだって叶えてやる」

「欲しいもの、ですか……?」

 唐突な問いに志野は少しだけ目を瞬かせると、頬をほんのりと朱に染めて、もじもじと朔夜の胸元に視線を落とした。

「……それでは。お屋敷に戻りましたら……その、朔夜様の腕の中で休ませていただきたい、です」

「馬鹿を言え。そんなもの、お前がねだらなくても嫌というほど抱きしめてやる。……今日はもう、一睡もできると思うなよ」

 呆れたようにため息をつきながらも、朔夜の口元には、先ほどまでの冷酷な顔からは想像もつかないほど優しく、甘い笑みが浮かんでいた。
 腕の中で、志野もまた、嬉しそうに彼を見上げてふわりと微笑みを返す。

 二人が祭壇から続く長い石段を登りきると、重い扉の向こうには、眩い光が待っていた。
 嵐はとうの昔に過ぎ去り、東の空からは、帝都を優しく照らす黄金色の朝陽が昇り始めている。

 もう、過去の影に怯える必要はない。
 誰かの道具として利用されることも、理不尽に虐げられることもない。
 志野は、しっかりと繋がれた朔夜の手の温もりをその身に感じながら、新時代の幕開けを告げる眩しい空へと、彼と共に歩み出したのだ。