帝都鵺恋綺譚――軛の花嫁

 大気を凍らせるような冷酷な声。
 雅がハッとして視線を落とすと、焦げた石畳の真ん中に、懲罰省の軍服を翻した男――鳴神朔夜が立っていた。
 その両脇には、既に抜刀した状態で周囲を警戒する右近と左近が控えている。

 朔夜は、逃げ惑う群衆を一瞥することもなく、まっすぐに頭上の時計塔を見上げていた。
 紫紺の瞳が、闇夜に潜む雅の居場所を、寸分の狂いもなく射抜いている。

「たった一撃で、私の九尾の幻術を……!?」

 雅の背筋に、今まで感じたことのない氷のような悪寒が走った。
 朔夜の放つ霊圧は、彼女が幼い時から知っているものとは次元が違った。
 今、目の前で放たれた力は、帝都の治安を守る長官のモノではない。
 己の宝を狙う不届き者を、ただの肉塊に変えるために解き放たれた純粋な殺意そのもの。

「……右近、左近」

「はっ!」

「俺は、帝都の各所にばら撒かれた残りの罠をすべて叩き潰してから屋敷に戻る。この虫けらの後始末は任せた」

 朔夜は、雅の存在など路傍の石ころ以下だとでも言うように、時計塔から視線を切った。
 彼にとって、雅が周到に仕掛けたはずの多重の罠も幻術も、愛する妻の待つ家へ帰るためのただの『寄り道』――帰宅前の退屈な大掃除に過ぎないのだ。

「ま、待ちなさい! 帝都中に仕掛けた私の術を、たった一人で虱潰しにする気!? 朔夜、貴方はそれでも懲罰省の長官――っ」

 雅が屈辱に顔を歪め、さらなる幻術を放とうと身を乗り出した瞬間。
 右近と左近が、すでに時計塔の屋根へと跳躍し、雅の左右の退路を完全に塞いでいた。

「俺たちの足止めができるとでも思ったか? 鷹司の姫君」

「志野様に手を出そうとした報い、我々がたっぷりと味わわせて差し上げましょう」

 双子の側近の瞳にもまた、朔夜と同じ、容赦のない殺意が宿っていた。
 雅が自分の「完璧な罠」だと思っていたものは、緻密に練られた計画に踊る、ただの狩りの余興に過ぎない。

 パチン、と。
 大通りに響く指鳴らしの音と共に、朔夜の姿が雷光に包まれて消失した。
 帝都に蠢く幻影の網をすべて薙ぎ払い――彼が向かうのは、鳴神の屋敷。
 愛する妻の元へ忍び込もうとしている哀れな白蛇に、真の絶望を与えるために。