帝都鵺恋綺譚――軛の花嫁

 志野は鍋の中の艶やかなしょこらを見つめた。
 温度は完璧だ。あとは型に流し込むだけ。

(朔夜様、最近は少しお疲れのご様子だった……。それに、鏡夜様も……何か、もっと心が安らぐようなものを……)

 志野は懐から、一枚の小さな包み紙をそっと取り出した。
 中に入っていたのは、あの夜、因縁の庭で狂い咲いた「白銀の桜」から、密かに拾い集めておいた数枚の花弁だった。
 枯れることのない不思議なその花弁からは、深い森の泉のように清冽な香りが漂っている。

「……これを少しだけ、混ぜてみたら」

 深い意味はなかった。
 ただ、自分の力が少しでも朔夜の慰めになるのなら、という純粋な願い。
 銀色の花弁を指先で細かく砕く。
 そして、固まりかけのしょこらの上に、雪のようにパラパラと散らした。

 黒褐色の表面に、銀色の粒子が触れた瞬間。
 ふわり、と。
 厨房の空気が、劇的に変わった。

 加加阿(カカオ)の重厚な香りに混じって、月光を煮詰めたような、甘く、そして途方もなく澄み切った香気が立ち上る。
 それは、嗅いだだけで胸の奥の澱みが浄化され、魂の傷が塞がっていくような、安らぎの匂いだった。

「……? 今、何らかの特異な気配……?」

 異変を察知したセンが鋭く振り返る。
 志野はすかさず刻み胡桃を鍋に投入し、銀の輝きを黒いしょこらの奥深くに隠してしまった。

「センさんのおかげで、とっても美味しそうなしょこらが出来ました。ありがとうございます」

「……いえ。私は何も」

 センは訝しげに鼻を動かしたが、鍋の中にはもう、ごく普通の艶やかなしょこらがあるだけだ。

「お待たせしました、志野様」

 そこへ、息を切らした左近が戻ってくる。
 彼は鍋の中の仕上がりを見て、満足げに頷いた。

「完璧な艶です。素晴らしい。さあ、型に流し込んで氷室で冷やし固めましょう」

 志野は嬉しそうに頷きながら、心の中でこっそりと微笑んだ。
 これが、朔夜と――そして、暗闇を恐れるあの不器用な弟分に、ほんの少しの安らぎをもたらしてくれることを祈って。

 それが、まさか仙家の歴史を揺るがすほどの、未知の霊薬を生み出すことになるとは、この時の志野は知る由もなかった。