パチッ、と竈の薪が爆ぜる音が響く。
志野は鍋を見つめながら、困ったように眉を下げた。
「……ええと。胡桃を砕いておかないと、しょこらが固まってしまうわ」
志野の視線が、自然とセンの方へと向けられた。
センは、彫像のように動かない。
彼女の任務はあくまで監視と報告であり、無能な娘と馴れ合うことではないからだ。
「あの……センさん」
「…………」
「すっ、少しだけ、お手伝いをお願いしてもよろしいでしょうか?」
志野の遠慮がちな、けれど真っ直ぐな声に、センの眉がほんのわずかだけ、数ミリほどピクリと動いた。
「……私は、長老衆より遣わされた者でございます。このような、異国の菓子作りの作法は存じ上げません。お役に立てるとは――」
「えっと、お願いしたいことは、そんなに難しくないのです。そこにある胡桃を、細かく刻んでいただきたいだけで」
志野は、ふわりと柔らかく微笑んだ。
そこに、長老衆の回し者に対する警戒や、主人としての傲慢さは微塵もなかった。
ただ純粋に、困っているから手を貸してほしいという、無防備な頼み事だった。
センは数秒の沈黙の後、「……承知いたしました」と抑揚のない声で答え、音もなく調理台へと歩み寄った。
女中として鳴神本家に上がっている身として「主の命令を拒否する」という選択肢は彼女の辞書にはない。
センは調理台の前に立つと、胡桃の入ったすり鉢と包丁を手に取った。
――トンッ! トントントントントンッ!!
「まあっ」
志野が思わず目を見張る。
センの手元では、目にも留まらぬ速さで刃が踊り、固い胡桃が寸分の狂いもなく、完璧な均等サイズの微塵切りにされていく。
それは長老衆の隠密として鍛え上げられた、暗殺術にも通じるほどの恐るべき刃捌きだ。
「……これで、よろしいでしょうか」
わずか十秒。
ボウルの中に山と積まれた、芸術的なまでに美しい胡桃の欠片を前に、センは表情一つ変えずに振り返った。
「す、すごいです、センさん! 助かりました、ありがとうございます!」
志野がパッと顔を輝かせて礼を言うと、センは「職務を全うしたまでです」とだけ返し、再び元の彫像のように壁際へと戻っていった。
ただ、その手元が、無意識に彼女が建前として身に付けている白い割烹着の端をきゅっと握りしめていることに、志野は気づかない。
(……この方は、本当に、ただの……)
センの胸の奥で、長老衆から吹き込まれていた「水無月の無能娘。鳴神に取り入る悪妻」という評価が、音を立てて崩れ去っていくのを感じていた。
志野は鍋を見つめながら、困ったように眉を下げた。
「……ええと。胡桃を砕いておかないと、しょこらが固まってしまうわ」
志野の視線が、自然とセンの方へと向けられた。
センは、彫像のように動かない。
彼女の任務はあくまで監視と報告であり、無能な娘と馴れ合うことではないからだ。
「あの……センさん」
「…………」
「すっ、少しだけ、お手伝いをお願いしてもよろしいでしょうか?」
志野の遠慮がちな、けれど真っ直ぐな声に、センの眉がほんのわずかだけ、数ミリほどピクリと動いた。
「……私は、長老衆より遣わされた者でございます。このような、異国の菓子作りの作法は存じ上げません。お役に立てるとは――」
「えっと、お願いしたいことは、そんなに難しくないのです。そこにある胡桃を、細かく刻んでいただきたいだけで」
志野は、ふわりと柔らかく微笑んだ。
そこに、長老衆の回し者に対する警戒や、主人としての傲慢さは微塵もなかった。
ただ純粋に、困っているから手を貸してほしいという、無防備な頼み事だった。
センは数秒の沈黙の後、「……承知いたしました」と抑揚のない声で答え、音もなく調理台へと歩み寄った。
女中として鳴神本家に上がっている身として「主の命令を拒否する」という選択肢は彼女の辞書にはない。
センは調理台の前に立つと、胡桃の入ったすり鉢と包丁を手に取った。
――トンッ! トントントントントンッ!!
「まあっ」
志野が思わず目を見張る。
センの手元では、目にも留まらぬ速さで刃が踊り、固い胡桃が寸分の狂いもなく、完璧な均等サイズの微塵切りにされていく。
それは長老衆の隠密として鍛え上げられた、暗殺術にも通じるほどの恐るべき刃捌きだ。
「……これで、よろしいでしょうか」
わずか十秒。
ボウルの中に山と積まれた、芸術的なまでに美しい胡桃の欠片を前に、センは表情一つ変えずに振り返った。
「す、すごいです、センさん! 助かりました、ありがとうございます!」
志野がパッと顔を輝かせて礼を言うと、センは「職務を全うしたまでです」とだけ返し、再び元の彫像のように壁際へと戻っていった。
ただ、その手元が、無意識に彼女が建前として身に付けている白い割烹着の端をきゅっと握りしめていることに、志野は気づかない。
(……この方は、本当に、ただの……)
センの胸の奥で、長老衆から吹き込まれていた「水無月の無能娘。鳴神に取り入る悪妻」という評価が、音を立てて崩れ去っていくのを感じていた。



