帝都鵺恋綺譚――軛の花嫁

 鏡夜の掌が、志野の陶器のような頬に触れようとした隙間を裂くよう、虚空から青白い雷光が迸った。
 衝撃波で石畳が砕け、庭園の木々が激しくしなる。
 焦げ付いた匂いが立ち込める中、志野の視界を染め上げたのは、禍々しいほどの霊圧を纏った朔夜の姿だった。
 
「鏡夜。……死にたくなければ、今すぐその薄汚い掌を引け。さもなくば、その腕ごと灰にしてやる」

 予定よりも遥かに早く帰宅した朔夜が、そこに立っていた。
 軍帽の庇に隠れた瞳は、荒ぶる鵺の本性が剥き出しになり、瞳孔は獣のように細く裂け、見る者を射殺さんばかりの断罪の光を放っている。
 彼が踏み出す一歩ごとに、周囲の空気が重く、鋭利な刃物のように志野の肌を突き刺した。

「朔夜……様……っ」

 志野が声を震わせた瞬間、朔夜は音もなく彼女の背後に回り込み、所有を誇示するように強引に引き寄せた。
 彼の指先は志野の喉元を優しく、けれど逃がさないという意志を込めてなぞり、視線は一点の容赦もなく鏡夜を射抜いている。

「兄上……。随分とお早いお帰りですね。それほどまでに、大切なお方が心配でしたか?」

 鏡夜は、焦げ付いた煙を浴びながらも、不敵な笑みを消さなかった。
 朔夜から放たれる殺気で、全身の肌が焼かれるような激痛に苛まれているはずなのに、彼の瞳には、恐怖を塗りつぶすほどの狂気的な崇拝が宿る。

「兄上が、あの座敷牢で朽ちていく亡霊たちを恐れなくなったのは、志野さんのおかげだ。……だというのに、私には、あの中へ堕ちろと言うのですか?」

 鏡夜が再度差し出した掌は、先ほどよりもずっと激しく震えている。
 死への恐怖ではない。
 目の前にある、自分を救い得る唯一の光に手が届かないことへの、絶望から。

「貴方は、独り占めが過ぎる。鳴神の呪いに焼かれ、明日をも知れぬ恐怖に震えているのは、貴方だけではない。……この女が、地獄を花園に変える奇跡だというのなら、私もその恩恵に預かる権利があるはずだ」

「権利だと? 貴様に、俺の女を語る資格などない」

 朔夜の周囲で、放電が加速する。
 背後に、巨大な四重の羽根を広げた鵺の幻影が、咆哮を上げるかのように揺らめいた。

「志野は、俺の血であり、肉であり、魂の片割れだ。……鏡夜、これ以上志野にその濁った視線を向けろ。俺がこの手で、貴様をあの地下牢の亡霊の仲間入りさせてやる」

 一歩も引かない、鳴神の血を引く二人の男。
 救済を独占する王と、その救済を求めて心中すら辞さない迷える者。

「――お、二人とも、そこまでに、なさってくださいませ!」