やがてバスがゆっくりと減速し、ウインカーの音が車内に響いた。
「灘守神社前です」
アナウンスとともにドアが開く。結局あれから乗客は増えず、降りたのは圭と志貴の二人だけだった。
バスが走り去ると、あたりは急に静まり返った。風に揺れる木々のざわめきだけが、やけに大きく聞こえる。目の前には石の鳥居が立っていた。白く色褪せ、ところどころが黒ずんでいる。くぐった先には、長い石段が続いていた。
掲示板には、色あせた夏祭りのポスターがそのまま貼られている。端はめくれ、風にあおられてかすかに鳴った。
日付は、去年の夏で止まったままだ。
「毎年、ここで祭りやってたよな」
ぽつりと呟く。
昨年は開かれなかったらしいが、それまでは、毎年志貴と来ていた。スーパーボールすくいで欲張ってすぐにポイを破ったこと。焼きたてのたこ焼きに悶絶して笑い合ったこと。
たった二年前のことなのに、妙に遠い。
「……ああ。小さいが、結構人は来ていた」
志貴は境内を見回しながら、静かに返す。
石段を上る足音が、やけに大きく響いた。
石段を登りきった瞬間、空気がひやりと変わる。まだ夕方のはずなのに、木々に囲まれた境内は薄暗い。社殿の屋根が重なり、影を落としている。
圭はごくりと喉を鳴らした。
「……神主さん、いるよな?」
「社務所にいるんじゃないか」
本殿の脇に、小さな建物がある。木の引き戸は閉まっているが、奥には灯りが見えた。
砂利を踏みしめながら近づく。さっきまでの軽い足取りは、もうない。
戸の前に立ち、少し躊躇ってから呼び鈴を押す。
「すみませーん! 神主さん、いますか?」
一拍。
「いますよ〜」
「うわあああ!?」
真後ろから聞こえた声に、圭は飛び上がり、反射的に志貴にしがみついた。
そこに立っていたのは、白衣に袴姿の、二十代後半ほどの男だった。腰を抜かしそうな圭を見て、男は芝居がかった仕草で肩をすくめる。
「おや、驚かせてしまったようで。失礼しました」
「お前が神主……?」
志貴がじろりと見下ろす。
男はにこにこと笑っている。細く弧を描いた目は、笑っているはずなのに何を考えているのかまったく読めない。口元だけがやけに愛想よく吊り上がり、その笑みは貼りついた仮面のようだった。
男にしては長い黒髪はきちんと後ろで結われているが、几帳面というよりは『整えすぎている』印象を与える。白衣と袴も皺ひとつなく、塵ひとつ付いていない。まるで舞台衣装のように、出来すぎていた。
両手を袖に収めたまま、男はゆったりと首をかしげる。
「ええ、一応。この神社を預かっております、如月伊織と申します」
にこり、と音がしそうなほど整った笑み。
声音は穏やかで柔らかい。だがその笑みと同じく、どこか温度が足りなかった。
圭は志貴の制服を握ったまま、小声で囁く。
「本当にこいつが噂の神主か……?」
「おや、もしかしてお祓いをご希望で?」
耳ざとく反応した如月が、するりと一歩近づく。細い目は相変わらずほとんど閉じたままだが、確実に圭を捉えている気がした。
「ふむ……確かに、あなたには霊が憑いているようですね」
顎に手を当て、わざとらしく眉間に皺を寄せる。
「え……俺に憑いてるの!?」
圭の声が裏返る。
「はい。それはそれは邪悪な怨霊が……背後に、ぴったりと」
「ど、どうしよう!?」
思わず自分の背中を振り返る圭。その動きを楽しむように、如月の口元の弧がわずかに深くなる。
「……お前、祓えるのか?」
狼狽える圭を横目に、志貴が一歩前へ出た。声音は低く、硬い。
「ええ、もちろん。今ならなんと、特別に通常価格から三割引きの、七千円で――」
指を三本立てて見せる仕草が、やけに手慣れている。
「おい、なまぐさ神主。純粋な高校生を騙すのはやめろ」
低く、腹に響くような声が背後から落ちてきた。
振り向くと、社務所の引き戸が半分ほど開いている。
そこから現れたのは、背の高い、がたいのいい男だった。黒の長袖に長ズボン、その上から少し褪せた紺色の麻の半纏を羽織っている。日に焼けた肌、鋭い目つき。腕を組んで立つ姿は、門番のような威圧感を放っている。
圭は反射的に背筋を伸ばした。
如月は一瞬だけ口を閉じる。それから、何事もなかったかのように肩を揺らして笑った。
「おやおや、人聞きの悪い。ただの冗談じゃないですか」
まったく悪びれた様子はない。
がたいのいい男は、腕を組んだまま如月を睨みつけた。
「お前はいい加減、人を揶揄って遊ぶその癖を直せ」
「心外ですねぇ。緊張してらしたので、和ませてあげようとしただけじゃないですか」
如月は傷ついた、とでも言いたげに胸に手を当て、わざとらしく眉を下げる。男は深くため息をつき、ゆっくりと圭たちのほうへ視線を向けた。
「悪かったな。こいつが言ったことは忘れてくれ。俺は立石隼人だ。庭師で、ここの手入れをしてる」
「あ……榎本圭です!」
勢いよく名乗った圭の隣で、志貴は一歩だけ前に出た。
「深山志貴です」
「……深山?」
その名を聞いた如月の細い目が、ほんのわずかに開く。
「町長さんと、同じお名前ですね」
声音は穏やかなままだが、探るような響きがわずかに混じる。
「ああ、こいつ町長の息子なんだ」
圭があっさりと言った瞬間、境内の空気が止まった。木々を揺らしていた風さえ、遠のいたように感じる。
立石の視線が、ゆっくりと志貴へ向けられた。ほんのわずかに、如月の笑みが薄くなる。
けれど次の瞬間、何事もなかったかのように笑顔が戻った。
「なんと、町長さんの息子さんでいらっしゃいましたか。それはそれは、ようこそお越しくださいました」
袖の中で手を重ね、うやうやしく一礼する。
「お茶をお出ししますよ。よろしければ中へどうぞ」
「はぁ……」
あの一瞬の間……何だったんだ?
ちらりと横目で隣を窺う。志貴は静かに目を伏せて、如月の後に続いて社務所へ入っていく。
志貴は気にしていなさそうだし、自分の気のせいだったのかもしれない。
「灘守神社前です」
アナウンスとともにドアが開く。結局あれから乗客は増えず、降りたのは圭と志貴の二人だけだった。
バスが走り去ると、あたりは急に静まり返った。風に揺れる木々のざわめきだけが、やけに大きく聞こえる。目の前には石の鳥居が立っていた。白く色褪せ、ところどころが黒ずんでいる。くぐった先には、長い石段が続いていた。
掲示板には、色あせた夏祭りのポスターがそのまま貼られている。端はめくれ、風にあおられてかすかに鳴った。
日付は、去年の夏で止まったままだ。
「毎年、ここで祭りやってたよな」
ぽつりと呟く。
昨年は開かれなかったらしいが、それまでは、毎年志貴と来ていた。スーパーボールすくいで欲張ってすぐにポイを破ったこと。焼きたてのたこ焼きに悶絶して笑い合ったこと。
たった二年前のことなのに、妙に遠い。
「……ああ。小さいが、結構人は来ていた」
志貴は境内を見回しながら、静かに返す。
石段を上る足音が、やけに大きく響いた。
石段を登りきった瞬間、空気がひやりと変わる。まだ夕方のはずなのに、木々に囲まれた境内は薄暗い。社殿の屋根が重なり、影を落としている。
圭はごくりと喉を鳴らした。
「……神主さん、いるよな?」
「社務所にいるんじゃないか」
本殿の脇に、小さな建物がある。木の引き戸は閉まっているが、奥には灯りが見えた。
砂利を踏みしめながら近づく。さっきまでの軽い足取りは、もうない。
戸の前に立ち、少し躊躇ってから呼び鈴を押す。
「すみませーん! 神主さん、いますか?」
一拍。
「いますよ〜」
「うわあああ!?」
真後ろから聞こえた声に、圭は飛び上がり、反射的に志貴にしがみついた。
そこに立っていたのは、白衣に袴姿の、二十代後半ほどの男だった。腰を抜かしそうな圭を見て、男は芝居がかった仕草で肩をすくめる。
「おや、驚かせてしまったようで。失礼しました」
「お前が神主……?」
志貴がじろりと見下ろす。
男はにこにこと笑っている。細く弧を描いた目は、笑っているはずなのに何を考えているのかまったく読めない。口元だけがやけに愛想よく吊り上がり、その笑みは貼りついた仮面のようだった。
男にしては長い黒髪はきちんと後ろで結われているが、几帳面というよりは『整えすぎている』印象を与える。白衣と袴も皺ひとつなく、塵ひとつ付いていない。まるで舞台衣装のように、出来すぎていた。
両手を袖に収めたまま、男はゆったりと首をかしげる。
「ええ、一応。この神社を預かっております、如月伊織と申します」
にこり、と音がしそうなほど整った笑み。
声音は穏やかで柔らかい。だがその笑みと同じく、どこか温度が足りなかった。
圭は志貴の制服を握ったまま、小声で囁く。
「本当にこいつが噂の神主か……?」
「おや、もしかしてお祓いをご希望で?」
耳ざとく反応した如月が、するりと一歩近づく。細い目は相変わらずほとんど閉じたままだが、確実に圭を捉えている気がした。
「ふむ……確かに、あなたには霊が憑いているようですね」
顎に手を当て、わざとらしく眉間に皺を寄せる。
「え……俺に憑いてるの!?」
圭の声が裏返る。
「はい。それはそれは邪悪な怨霊が……背後に、ぴったりと」
「ど、どうしよう!?」
思わず自分の背中を振り返る圭。その動きを楽しむように、如月の口元の弧がわずかに深くなる。
「……お前、祓えるのか?」
狼狽える圭を横目に、志貴が一歩前へ出た。声音は低く、硬い。
「ええ、もちろん。今ならなんと、特別に通常価格から三割引きの、七千円で――」
指を三本立てて見せる仕草が、やけに手慣れている。
「おい、なまぐさ神主。純粋な高校生を騙すのはやめろ」
低く、腹に響くような声が背後から落ちてきた。
振り向くと、社務所の引き戸が半分ほど開いている。
そこから現れたのは、背の高い、がたいのいい男だった。黒の長袖に長ズボン、その上から少し褪せた紺色の麻の半纏を羽織っている。日に焼けた肌、鋭い目つき。腕を組んで立つ姿は、門番のような威圧感を放っている。
圭は反射的に背筋を伸ばした。
如月は一瞬だけ口を閉じる。それから、何事もなかったかのように肩を揺らして笑った。
「おやおや、人聞きの悪い。ただの冗談じゃないですか」
まったく悪びれた様子はない。
がたいのいい男は、腕を組んだまま如月を睨みつけた。
「お前はいい加減、人を揶揄って遊ぶその癖を直せ」
「心外ですねぇ。緊張してらしたので、和ませてあげようとしただけじゃないですか」
如月は傷ついた、とでも言いたげに胸に手を当て、わざとらしく眉を下げる。男は深くため息をつき、ゆっくりと圭たちのほうへ視線を向けた。
「悪かったな。こいつが言ったことは忘れてくれ。俺は立石隼人だ。庭師で、ここの手入れをしてる」
「あ……榎本圭です!」
勢いよく名乗った圭の隣で、志貴は一歩だけ前に出た。
「深山志貴です」
「……深山?」
その名を聞いた如月の細い目が、ほんのわずかに開く。
「町長さんと、同じお名前ですね」
声音は穏やかなままだが、探るような響きがわずかに混じる。
「ああ、こいつ町長の息子なんだ」
圭があっさりと言った瞬間、境内の空気が止まった。木々を揺らしていた風さえ、遠のいたように感じる。
立石の視線が、ゆっくりと志貴へ向けられた。ほんのわずかに、如月の笑みが薄くなる。
けれど次の瞬間、何事もなかったかのように笑顔が戻った。
「なんと、町長さんの息子さんでいらっしゃいましたか。それはそれは、ようこそお越しくださいました」
袖の中で手を重ね、うやうやしく一礼する。
「お茶をお出ししますよ。よろしければ中へどうぞ」
「はぁ……」
あの一瞬の間……何だったんだ?
ちらりと横目で隣を窺う。志貴は静かに目を伏せて、如月の後に続いて社務所へ入っていく。
志貴は気にしていなさそうだし、自分の気のせいだったのかもしれない。
