すっと伸びた背筋。皺ひとつないシャツ。歩幅まできっちり整っているその姿は、遠目にもすぐ分かる。
脳裏に、夢で見た濁流がよみがえる。
橋の上で振り返る志貴。
雨にかき消された、あの言葉。
——届かなかった声。
圭はとっさに駆け寄り、志貴の腕を掴んだ。
「――志貴!」
驚いたように目を見開き、志貴が振り返る。
思ったより強く腕を掴んでしまったことに気づき、慌てて手を離した。
「あー……おはよ! 聞いてよ、朝ばあちゃんと喋ってたら、気づいたらこんな時間でさ。遅刻するかと思った」
わざと肩をすくめ、明るく言う。自分でも少し大袈裟だと思うくらいの調子で。
「お前、いつもこの時間に登校してんの? 結構遅めなんだな」
以前は毎日志貴と一緒に登校していた。待ち合わせ場所にはいつも志貴のほうが先に来ていて、本を読みながら待っていたのを思い出す。
十分前行動が基本で、何事も余裕を持って動くタイプだ。だから、少し意外だった。
「……まあな」
志貴は視線をそらして答える。
それ以上踏み込まれたくない——そんな空気が、わずかに滲む。
「——そうだ。最近、夢にお前が出てきてさ」
「……は?」
怪訝な顔をされ、圭は内心で焦った。
しまった。言い方が悪い。
「ち、違う違う! そういう意味じゃないからな!? 引くなよ!」
「別に、引いては——」
「嘘だ! 俺の目は誤魔化せないからな! 一瞬キモって思っただろ!」
「思っていない」
「お前は俺の繊細な心を傷つけた! 謝れ!」
当たり屋のように絡む圭に、志貴は思わずといった様子で小さく吹き出した。
「キモいなんて思ってないと言ってるだろう。被害妄想が激しいな」
喉の奥で笑いをこらえるように言う。
——志貴の笑った顔を見るのは、ずいぶんひさしぶりだった。
そのことに、今さら気づく。
「ねえ、あの子って……」
そのとき、前方の電柱の陰で立ち話をしている大人たちの姿が目に入った。
通りにはシャッターを下ろした商店が並び、朝だというのにひっそりとしている。開いている店のほうが少ない通りだ。
圭と目が合ったせいか、大人たちの声がふっと低くなる。
「……ああ、あれが」
「誰のせいだと思って……」
断片だけが風に乗って届く。
圭は特に気に留めず、視線を逸らした。朝の井戸端会議なんて、この町では珍しくもない。
——だが。
隣の空気が、ひやりと変わる。
志貴の歩幅が、わずかに速くなった。
「志貴?」
「——俺と関わるなと言っただろう」
低く、押し殺した声。
「は?」
「余計なことに巻き込まれる」
それだけ言うと、志貴は圭を置いて早足で歩き出す。
「おい、待てよ!」
追いかけようと一歩踏み出した、その瞬間——背後から肩を強く掴まれた。小谷だ。
「はよー、圭! なあ、英語の課題やったか? 俺、全然分かんなくてさぁ」
「え、ああ」
振りほどくようにして前を向く。
志貴の背中は、あっという間に遠ざかり、角の向こうへ消えていった。
「おい、無視すんなよ〜! まさかあの日置いて帰ったこと、まだ怒ってんのか? 悪かったって!」
「怒ってないけど」
視線だけは前方を追いながら、そっけなく返す。
「お前、あれから変な夢見るっつってたじゃん? もし取り憑かれてたら、お祓い連れてってやるからさ。な? 許せよ」
小谷は機嫌を取るように肩を組み、ぐいと顔を覗き込んでくる。
圭は小さく息を吐いた。
もう追えないと、わかってしまったからだ。
「お祓い〜? 胡散臭いな」
腕を組み、疑うような目を向ける。
それでも小谷は構わず、身を乗り出すようにして続けた。
「そんなことないって! 毎年夏に祭りやってる灘守神社ってあるだろ? あそこの神主さん、幽霊とか『視える』って有名なんだぜ」
県外からも人が来るらしい、と得意げに付け加える。
話半分に聞き流しながら、圭はもう一度だけ横目で前方を探した。
いつの間にか学校はすぐそこだ。ぽつぽつと制服姿の生徒が歩いている。
——けれど、その中に志貴の背中はもうなかった。
胸の奥に、わずかな引っかかりが残る。
それを振り払うように、圭は校門をくぐった。
脳裏に、夢で見た濁流がよみがえる。
橋の上で振り返る志貴。
雨にかき消された、あの言葉。
——届かなかった声。
圭はとっさに駆け寄り、志貴の腕を掴んだ。
「――志貴!」
驚いたように目を見開き、志貴が振り返る。
思ったより強く腕を掴んでしまったことに気づき、慌てて手を離した。
「あー……おはよ! 聞いてよ、朝ばあちゃんと喋ってたら、気づいたらこんな時間でさ。遅刻するかと思った」
わざと肩をすくめ、明るく言う。自分でも少し大袈裟だと思うくらいの調子で。
「お前、いつもこの時間に登校してんの? 結構遅めなんだな」
以前は毎日志貴と一緒に登校していた。待ち合わせ場所にはいつも志貴のほうが先に来ていて、本を読みながら待っていたのを思い出す。
十分前行動が基本で、何事も余裕を持って動くタイプだ。だから、少し意外だった。
「……まあな」
志貴は視線をそらして答える。
それ以上踏み込まれたくない——そんな空気が、わずかに滲む。
「——そうだ。最近、夢にお前が出てきてさ」
「……は?」
怪訝な顔をされ、圭は内心で焦った。
しまった。言い方が悪い。
「ち、違う違う! そういう意味じゃないからな!? 引くなよ!」
「別に、引いては——」
「嘘だ! 俺の目は誤魔化せないからな! 一瞬キモって思っただろ!」
「思っていない」
「お前は俺の繊細な心を傷つけた! 謝れ!」
当たり屋のように絡む圭に、志貴は思わずといった様子で小さく吹き出した。
「キモいなんて思ってないと言ってるだろう。被害妄想が激しいな」
喉の奥で笑いをこらえるように言う。
——志貴の笑った顔を見るのは、ずいぶんひさしぶりだった。
そのことに、今さら気づく。
「ねえ、あの子って……」
そのとき、前方の電柱の陰で立ち話をしている大人たちの姿が目に入った。
通りにはシャッターを下ろした商店が並び、朝だというのにひっそりとしている。開いている店のほうが少ない通りだ。
圭と目が合ったせいか、大人たちの声がふっと低くなる。
「……ああ、あれが」
「誰のせいだと思って……」
断片だけが風に乗って届く。
圭は特に気に留めず、視線を逸らした。朝の井戸端会議なんて、この町では珍しくもない。
——だが。
隣の空気が、ひやりと変わる。
志貴の歩幅が、わずかに速くなった。
「志貴?」
「——俺と関わるなと言っただろう」
低く、押し殺した声。
「は?」
「余計なことに巻き込まれる」
それだけ言うと、志貴は圭を置いて早足で歩き出す。
「おい、待てよ!」
追いかけようと一歩踏み出した、その瞬間——背後から肩を強く掴まれた。小谷だ。
「はよー、圭! なあ、英語の課題やったか? 俺、全然分かんなくてさぁ」
「え、ああ」
振りほどくようにして前を向く。
志貴の背中は、あっという間に遠ざかり、角の向こうへ消えていった。
「おい、無視すんなよ〜! まさかあの日置いて帰ったこと、まだ怒ってんのか? 悪かったって!」
「怒ってないけど」
視線だけは前方を追いながら、そっけなく返す。
「お前、あれから変な夢見るっつってたじゃん? もし取り憑かれてたら、お祓い連れてってやるからさ。な? 許せよ」
小谷は機嫌を取るように肩を組み、ぐいと顔を覗き込んでくる。
圭は小さく息を吐いた。
もう追えないと、わかってしまったからだ。
「お祓い〜? 胡散臭いな」
腕を組み、疑うような目を向ける。
それでも小谷は構わず、身を乗り出すようにして続けた。
「そんなことないって! 毎年夏に祭りやってる灘守神社ってあるだろ? あそこの神主さん、幽霊とか『視える』って有名なんだぜ」
県外からも人が来るらしい、と得意げに付け加える。
話半分に聞き流しながら、圭はもう一度だけ横目で前方を探した。
いつの間にか学校はすぐそこだ。ぽつぽつと制服姿の生徒が歩いている。
——けれど、その中に志貴の背中はもうなかった。
胸の奥に、わずかな引っかかりが残る。
それを振り払うように、圭は校門をくぐった。
