きみが死ぬ夢を見たから

 そう言って、圭はからあげのパックをレジ袋へ戻した。袋の持ち手を縛る圭を見て、志貴は眉間に皺を寄せた。

「……食欲ないのか?」

 食べやすそうなゼリーやヨーグルトも買ったが、圭はどれにも手をつけなかった。インフルエンザにかかったときですら、圭はご飯をおかわりしていたのに。

「え? あー……ちょっとな。あとで食べるよ」

 ひらひらと手を振って、圭が答える。
 そこでふと思い出したように、圭はベッド脇の棚へ手を伸ばした。小さなキーホルダーをつまみ上げ、振ってみせる。

「これ、覚えてるか?」

 柔道着を着た芝犬のキーホルダー。留め具が壊れてしまっている。

「ああ。落としたとき、壊れてたんだな」

 思えば、このキーホルダーがきっかけだった。あの日まで、圭と一年近く話していなかったのに、今では何事もなかったように家に来ている。

「志貴も、まだ持ってる?」
「…………」

 鞄からペンケースを取り出し、中に入れていたキーホルダーを摘み上げる。
 柔道着を着た黒いシェパードのチャーム。圭の兄が、試合の遠征先で買ってくれたものだ。三人でお揃いにしようと、犬種の違うチャームを選んだ。

『これ、圭に似てる』
『えー? 俺こんなアホ面?』

 そんなふうに笑い合ったことを、ふと思い出す。
 圭はじっと志貴のキーホルダーを見つめた。

「なんか……」

 呟いて、黙り込む。次の言葉を待っていると、

「……そっちのほうがでかくない?」

 真面目な顔で、そんなことを言う。拍子抜けして、思わずため息をついた。

「気のせいだ」
「いや絶対でかいって。値段一緒だったのに、ズルくないか? ちょっと貸してみろ」

 圭は手を伸ばし、キーホルダーを奪い取った。

「おい」
「んー? おかしいな、絶対でかいと思ったのに……」

 キーホルダーを見比べながら、圭は首を傾げる。志貴はため息をつき、手を差し出した。

「それ、貸してみろ」
「ん」
「そっちじゃなくて、お前のだ」
「俺の?」

 戸惑ったように、芝犬のキーホルダーを渡してくる。志貴は壊れた金具を見つめ、口を開いた。

「これくらいなら直せる。預かっていいか?」
「え……」

 圭は一瞬だけぽかんとして、それから頷いた。

「……ありがとう」
「ああ」

 鞄にキーホルダーを仕舞う。圭はレジ袋を棚の上に置いて、ベッドに横になった。
 薄手のブランケットを肩まで引っ張り上げて、こちらを向く。

「もう寝るか?」
「いや……眠くない」

 そう言いながら、圭は目を閉じた。窓の向こうでは、絶え間なく雨音が響いている。
 志貴は何となく、窓の外を見つめた。空は薄暗く、雲が低く垂れ込めていた。

「……人生ってさ、リセットボタンないの不親切じゃない?」

 呟くような声に、振り返る。圭は目を閉じたままだった。

「なんだ、急に」
「いや、それ壊れたときもさ、リセットボタンあれば、ポチッと押して元通りにできたのにって思って」

 圭はそっと目を開き、キーホルダーを仕舞った鞄を見つめる。

「……馬鹿なこと言ってないで、もう寝ろ」
「でも、一回くらい押させてくれてもいいじゃん」

 食い下がるように、圭が言う。志貴は躊躇いがちに圭を見た。

「……押したいのか?」

 圭は少し間を置いて、笑う。

「誰だって、押したくなることの一つや二つあるだろ」

 冗談みたいな言い方だった。圭は再び目を閉じる。
 その横顔は、ひどく静かだった。
 志貴は立ち上がり、ベッドに近づく。手を伸ばし、額に触れた。

「……熱いな」
「だろ」

 圭は目を閉じたまま答える。呼吸が、少しだけ浅い。

「……志貴」
「なんだ」
「お前は、いなくなるなよ」

 額から離そうとした手を止める。
 一瞬、言葉の意味を測りかねた。

「あー、違う違う。風邪ひくとさ、変なこと考えるっていうか」
「…………」
「ほら、ヒーローがいなくなったら困るだろ」

 軽い口調だった。表情も、いつもと変わらない。
 ――そのはずなのに。
 志貴は、何も返せなかった。





「あら、もう帰るの? 一緒に夕飯食べてったら?」

 圭の部屋を出て、階段を降りていると、居間から圭の祖母が顔を覗かせた。

「いえ……家で課題をしないといけないので」
「さすが、志貴くんは偉いねぇ」

 感心したように言う。その背後――居間の隅に置かれた仏壇が目に入った。圭の祖母は志貴の視線をたどり、眉尻を下げて微笑む。

「……よかったら、お線香、上げていってくれる?」
「……はい」

 仏壇の前に座り、ろうそくに火を灯す。経机の上には写真が二つ並んでいた。
 一つは圭の祖父の遺影。もう一つは――圭の兄、壮一だ。
 圭の家は、圭が生まれて間もなく両親が離婚している。それからは母と祖母、壮一、圭の四人で暮らしていた。
 壮一は六つ下の圭をとても可愛がっていた。圭もいつも壮一の後を追いかけていて、柔道道場に通い始めたのも、兄の影響だった。

「大学行きなさいって言ったのに、『これからは、俺が母さんとばあちゃん支えるから』って、警察官になって……。本当に優しい子だったんだよ」

 ろうそくに火を灯しながら、圭の祖母が話す。

「……はい」

 一人っ子の志貴にとっても、壮一は兄のような存在だった。優しくて、面倒見がよくて、圭と三人で遊ぶこともよくあった。
 一年前の洪水の日、避難誘導のために出動し――殉職するまでは。
 線香に火を移し、香炉に置く。煙が細く立ち上り、落ち着いた香木の香りが居間に満ちた。
 志貴は目を閉じ、手を合わせる。
 壮一の葬式で、圭は泣かなかった。
 泣いていると思っていた。だが、圭は白い顔で俯き、泣き崩れる母の背を黙って撫でるだけだった。
 ゆっくりと目を開け、壮一の写真を見つめる。
 さっきの圭の様子。それから三木の家へ行った日のことが、頭をよぎる。
 ――圭は、何かを隠している。
 それが何なのか、志貴にはまだ分からなかった。