からあげを食べ終えると、空のゴミ箱に紙パックを放り込む。そこでふと思い出したように、ベッド脇の棚へ手を伸ばした。小さなキーホルダーをつまみ上げ、振ってみせる。
「これ、覚えてるか?」
柔道着を着たアライグマのキーホルダー。留め具が壊れてしまっている。
「……ああ。落としたとき、壊れてたんだな」
思えば、このキーホルダーがきっかけだった。圭と一年近く話していなかったのに、今では何事もなかったように家に来ている。
「志貴も、まだ持ってる?」
「…………」
鞄からペンケースを取り出す。中に入れていたキーホルダーを摘んで圭に見せた。
柔道着を着た黒い犬のチャーム。圭の兄が、試合の遠征先で買ってくれた。三人でお揃いにしようと笑って。
圭はじっと志貴のキーホルダーを見つめる。
「なんか……」
呟いて、黙り込む。次の言葉を待っていると、
「……そっちのほうがでかくない?」
真面目な顔で、そんなことを言う。拍子抜けして、思わずため息をついた。
「気のせいだ」
「いや絶対でかいって。値段一緒だったのに、ズルくないか? ちょっと貸してみろ」
圭は手を伸ばし、キーホルダーを奪い取った。
「おい」
「んー? おかしいな、絶対でかいと思ったのに……」
キーホルダーを見比べながら、圭は首を傾げる。志貴はため息をつき、手を差し出した。
「それ、貸してみろ」
「ん」
「そっちじゃなくて、お前のだ」
「俺の?」
戸惑ったように、アライグマのキーホルダーを渡してくる。志貴は壊れた金具を見つめ、口を開いた。
「これくらいなら直せる。預かっていいか?」
「え……」
圭は一瞬だけぽかんとして、それから頷いた。
「……ありがとう」
「ああ」
鞄にキーホルダーを仕舞う。圭はレジ袋を棚の上に置いて、ベッドに横になった。
薄手のブランケットを肩まで引っ張り上げて、こちらを向く。
「もう寝るか?」
「いや……眠くない」
そう言いながら、圭は目を閉じた。窓の向こうでは、絶え間なく雨音が響いている。
志貴は何となく、窓の外を見つめた。空は薄暗く、雲が低く垂れ込めていた。
「……人生ってさ、リセットボタンないの不親切じゃない?」
呟くような声に、振り返る。圭は目を閉じたままだった。
「なんだ、急に」
「いや、それ壊れたときもさ、リセットボタンあれば、ポチッと押して元通りにできたのにって思って」
圭はそっと目を開き、キーホルダーを仕舞った鞄を見つめる。
「……馬鹿なこと言ってないで、もう寝ろ」
「でも、一回くらい押させてくれてもいいじゃん」
食い下がるように、圭が言う。志貴は躊躇いがちに口を開いた。
「……押したいのか?」
圭は少し間を置いて、笑う。
「誰だって、押したくなることの一つや二つあるだろ」
冗談みたいな言い方だった。圭は再び目を閉じる。
その横顔は、ひどく静かだった。
志貴は立ち上がり、ベッドに近づく。手を伸ばし、額に触れた。
「……熱いな」
「だろ」
圭は目を閉じたまま答える。呼吸が、少しだけ浅い。
「……志貴」
「なんだ」
「お前は、いなくなるなよ」
額から離そうとした手を止める。
一瞬、言葉の意味を測りかねた。
「あー、違う違う。風邪ひくとさ、変なこと考えるっていうか」
「…………」
「ほら、ヒーローがいなくなったら困るだろ」
軽い口調だった。表情も、いつもと変わらない。
――そのはずなのに。
志貴は、何も返せなかった。
「あら、もう帰るの? 一緒に夕飯食べてったら?」
圭の部屋を出て、階段を降りていると、居間から圭の祖母が顔を覗かせた。
「いえ……家で課題をしないといけないので」
「さすが、志貴くんは偉いねぇ」
感心したように言う。その背後――居間の隅に置かれた仏壇が目に入る。圭の祖母は志貴の視線をたどり、眉尻を下げて微笑んだ。
「……よかったら、お線香、上げていってくれる?」
「……はい」
仏壇の前に座り、ろうそくに火を灯す。経机の上には写真が二つ並んでいた。
一つは圭の祖父の遺影。もう一つは――圭の兄、壮一だ。
圭の家は、圭が生まれて間もなく両親が離婚している。それからは母と祖母、壮一、圭の四人で暮らしていた。
壮一は六つ下の圭をとても可愛がっていた。圭もいつも壮一の後を追いかけていて、柔道道場に通い始めたのも、兄の影響だった。一人っ子の志貴にとっても、壮一は兄のような存在だった。
成績は決して悪くなかったが、壮一は大学へは進学せず、家族を支えるために高卒で警察官になった。
そして一年前の洪水の日、避難誘導のために出動し――殉職したのだ。
線香に火を移し、香炉に置く。煙が細く立ち上り、落ち着いた香木の香りが居間に満ちた。
志貴は目を閉じ、手を合わせる。
壮一の葬式で、圭は泣かなかった。
泣いていると思っていた。だが、圭は白い顔で俯き、泣き崩れる母の背を黙って撫でるだけだった。
ゆっくりと目を開け、壮一の写真を見つめる。
さっきの圭の様子。それから三木の家へ行った日のことが、頭をよぎる。
――圭は、何かを隠している。
それが何なのか、志貴には、まだ分からなかった。
「これ、覚えてるか?」
柔道着を着たアライグマのキーホルダー。留め具が壊れてしまっている。
「……ああ。落としたとき、壊れてたんだな」
思えば、このキーホルダーがきっかけだった。圭と一年近く話していなかったのに、今では何事もなかったように家に来ている。
「志貴も、まだ持ってる?」
「…………」
鞄からペンケースを取り出す。中に入れていたキーホルダーを摘んで圭に見せた。
柔道着を着た黒い犬のチャーム。圭の兄が、試合の遠征先で買ってくれた。三人でお揃いにしようと笑って。
圭はじっと志貴のキーホルダーを見つめる。
「なんか……」
呟いて、黙り込む。次の言葉を待っていると、
「……そっちのほうがでかくない?」
真面目な顔で、そんなことを言う。拍子抜けして、思わずため息をついた。
「気のせいだ」
「いや絶対でかいって。値段一緒だったのに、ズルくないか? ちょっと貸してみろ」
圭は手を伸ばし、キーホルダーを奪い取った。
「おい」
「んー? おかしいな、絶対でかいと思ったのに……」
キーホルダーを見比べながら、圭は首を傾げる。志貴はため息をつき、手を差し出した。
「それ、貸してみろ」
「ん」
「そっちじゃなくて、お前のだ」
「俺の?」
戸惑ったように、アライグマのキーホルダーを渡してくる。志貴は壊れた金具を見つめ、口を開いた。
「これくらいなら直せる。預かっていいか?」
「え……」
圭は一瞬だけぽかんとして、それから頷いた。
「……ありがとう」
「ああ」
鞄にキーホルダーを仕舞う。圭はレジ袋を棚の上に置いて、ベッドに横になった。
薄手のブランケットを肩まで引っ張り上げて、こちらを向く。
「もう寝るか?」
「いや……眠くない」
そう言いながら、圭は目を閉じた。窓の向こうでは、絶え間なく雨音が響いている。
志貴は何となく、窓の外を見つめた。空は薄暗く、雲が低く垂れ込めていた。
「……人生ってさ、リセットボタンないの不親切じゃない?」
呟くような声に、振り返る。圭は目を閉じたままだった。
「なんだ、急に」
「いや、それ壊れたときもさ、リセットボタンあれば、ポチッと押して元通りにできたのにって思って」
圭はそっと目を開き、キーホルダーを仕舞った鞄を見つめる。
「……馬鹿なこと言ってないで、もう寝ろ」
「でも、一回くらい押させてくれてもいいじゃん」
食い下がるように、圭が言う。志貴は躊躇いがちに口を開いた。
「……押したいのか?」
圭は少し間を置いて、笑う。
「誰だって、押したくなることの一つや二つあるだろ」
冗談みたいな言い方だった。圭は再び目を閉じる。
その横顔は、ひどく静かだった。
志貴は立ち上がり、ベッドに近づく。手を伸ばし、額に触れた。
「……熱いな」
「だろ」
圭は目を閉じたまま答える。呼吸が、少しだけ浅い。
「……志貴」
「なんだ」
「お前は、いなくなるなよ」
額から離そうとした手を止める。
一瞬、言葉の意味を測りかねた。
「あー、違う違う。風邪ひくとさ、変なこと考えるっていうか」
「…………」
「ほら、ヒーローがいなくなったら困るだろ」
軽い口調だった。表情も、いつもと変わらない。
――そのはずなのに。
志貴は、何も返せなかった。
「あら、もう帰るの? 一緒に夕飯食べてったら?」
圭の部屋を出て、階段を降りていると、居間から圭の祖母が顔を覗かせた。
「いえ……家で課題をしないといけないので」
「さすが、志貴くんは偉いねぇ」
感心したように言う。その背後――居間の隅に置かれた仏壇が目に入る。圭の祖母は志貴の視線をたどり、眉尻を下げて微笑んだ。
「……よかったら、お線香、上げていってくれる?」
「……はい」
仏壇の前に座り、ろうそくに火を灯す。経机の上には写真が二つ並んでいた。
一つは圭の祖父の遺影。もう一つは――圭の兄、壮一だ。
圭の家は、圭が生まれて間もなく両親が離婚している。それからは母と祖母、壮一、圭の四人で暮らしていた。
壮一は六つ下の圭をとても可愛がっていた。圭もいつも壮一の後を追いかけていて、柔道道場に通い始めたのも、兄の影響だった。一人っ子の志貴にとっても、壮一は兄のような存在だった。
成績は決して悪くなかったが、壮一は大学へは進学せず、家族を支えるために高卒で警察官になった。
そして一年前の洪水の日、避難誘導のために出動し――殉職したのだ。
線香に火を移し、香炉に置く。煙が細く立ち上り、落ち着いた香木の香りが居間に満ちた。
志貴は目を閉じ、手を合わせる。
壮一の葬式で、圭は泣かなかった。
泣いていると思っていた。だが、圭は白い顔で俯き、泣き崩れる母の背を黙って撫でるだけだった。
ゆっくりと目を開け、壮一の写真を見つめる。
さっきの圭の様子。それから三木の家へ行った日のことが、頭をよぎる。
――圭は、何かを隠している。
それが何なのか、志貴には、まだ分からなかった。
