それから、圭は学校を休んでいる。
ただの風邪だと聞いた。だが、長すぎる。
一昨日、体調を伺うメッセージを送ってみたが、まだ返事はない。
放課後、志貴は職員室にいた。
担任に頼まれたプリントの回収。学級委員の仕事だ。
「これで全部です」
集めた束を整え、机の上に置く。
「ああ、助かった」
担任が頷く。そのやり取りを聞いていたらしい隣の教師が、ふと顔を上げた。
圭のクラスの担任、北里だった。
「お、深山か。ちょうどいい。お前、榎本と家近いだろ?」
一瞬、言葉に詰まる。
「……はい」
「悪いんだけど、これ届けてくれないか」
差し出されたのは、数枚のプリントだった。欠席者用の連絡と、課題の束。
「最近休んでるだろ、あいつ。このままだと、渡しそびれそうでさ」
少し困ったように、北里は苦笑する。
期末テストの返却も終わり、もう数日で夏休みだ。このままだと圭は、テストも受け取らないまま夏休みに入ってしまうだろう。
志貴は手を伸ばしかけて、止める。
――人殺し。
塀に書かれた文字が脳裏をよぎる。わずかに間を置いて、プリントを受け取った。
「……分かりました」
「助かるよ。テストの返却もあるから、来たら職員室寄るように言っといてくれ」
志貴は軽く頷き、職員室を出た。廊下に出ると、雨音が近くなる。手に持ったプリントの端が、湿っていた。
雨は連日降り続いている。湿った空気が校舎の中にも入り込み、廊下にはどこか重たい匂いがこもっていた。
インターホンを押すと、ほどなくして圭の祖母が出てきた。
「まあ、志貴くん。来てくれたのかい」
「……はい。お見舞いに」
途中で寄ったコンビニの袋を軽く持ち上げてみせる。圭の祖母は目尻を下げて微笑んだ。
「ありがとうね。圭は部屋にいるよ」
頭を下げ、階段を上がる。
廊下は静かだった。雨音だけが、遠くで一定のリズムを刻んでいる。
「圭、起きてるか?」
ドアをノックする。
「……志貴?」
部屋の中から、少し掠れた声が返ってきた。ドアを開けると、パジャマ姿の圭がベッドで身体を起こしていた。
「すぐ帰るから、寝てていい」
「や、だいじょーぶ。寝飽きてたところだったから」
目を擦りながら答える、圭の頭はボサボサで、あちこちに寝癖がついていた。
「これ、買ってきた」
「なになに……て、うわ! すごい量だな」
手に持っていたレジ袋を差し出すと、圭は興味津々で覗き込んでくる。
「あ、これ俺が好きなやつだ。やきそばパンと……からあげサンもある! これ本当にお見舞いラインナップか?」
笑いながら、圭は袋を受け取った。見舞い品を物色する圭の横で、志貴は部屋の中を見回す。
……ひさしぶりだ。以前はしょっちゅう遊びに来ていたが、あの洪水の日を堺に、ここへ来ることはなくなっていた。
部屋の様子は、一年前とほとんど変わっていない。机。棚。ベッド。――ただ、どこか違和感があった。
机の横の棚に、ゲームソフトの箱がいくつも積まれている。そのうちのいくつかには、まだビニールがついたままだった。
志貴は一つ手に取る。半年前に発売されたタイトルだ。圭なら、発売日に開けて徹夜でやるはずなのに。
テレビの前に置かれたコントローラーに目をやる。表面に、うっすらと埃が積もっていた。
「あー……それ、まだやってないんだ」
背後から声が落ちる。
振り向くと、ベッドの上で圭がこちらを見ていた。壁にもたれ、からあげの紙パックを開けている。
「このゲーム、好きだっただろ」
「シリーズ全部やってるからな」
目を伏せて、圭は笑う。
「でも……最近はソシャゲで忙しくてさ」
志貴は勉強机の椅子を引いて、腰を下ろした。パッケージには、マントを翻したヒーローの絵が描かれている。街の上空を飛んで、笑顔を浮かべるヒーロー。
「好きなんだよな、それ。……ちゃんと助けられるから」
紙パックに付いた爪楊枝を袋から出して、圭が言う。
「ヒーローってさ、絶対間に合うじゃん」
「……ゲームだからな」
「うん。だからいいんだろうな」
小さく息を吐く。
「……まあ俺は、そもそもヒーロー役じゃないけど」
笑いながら、からあげを一つ口に入れる。
「昔さ、山で迷ったとき、お前来てくれたじゃん」
「……ああ」
――小学二年生のときのことだ。今でもはっきりと覚えている。
「普通に助けられて終わりだったけど、ゲームだったらあれ、イベントシーンだろ」
「…………」
「……俺はせいぜい、途中でやらかすモブってとこだな」
志貴は視線を落とした。
――違う。
そう言いかけて、飲み込む。
「そういえば、しばらく志貴ん家行ってないな」
圭がふとこちらを見る。
「……ああ」
「今度、お見舞いのお返しに遊びに行くわ」
笑いながら、また一つからあげを口に入れる。志貴は唇を引き結んだ。
「来るな」
「え?」
思いの外、固くなった声に、圭が目を見開く。
「……どこが見舞いのお返しなんだ。お前が遊びたいだけだろ」
誤魔化すようにため息をつき、ソフトを棚に戻す。圭は一度まばたきをして、笑った。
「へへ、バレたか」
ただの風邪だと聞いた。だが、長すぎる。
一昨日、体調を伺うメッセージを送ってみたが、まだ返事はない。
放課後、志貴は職員室にいた。
担任に頼まれたプリントの回収。学級委員の仕事だ。
「これで全部です」
集めた束を整え、机の上に置く。
「ああ、助かった」
担任が頷く。そのやり取りを聞いていたらしい隣の教師が、ふと顔を上げた。
圭のクラスの担任、北里だった。
「お、深山か。ちょうどいい。お前、榎本と家近いだろ?」
一瞬、言葉に詰まる。
「……はい」
「悪いんだけど、これ届けてくれないか」
差し出されたのは、数枚のプリントだった。欠席者用の連絡と、課題の束。
「最近休んでるだろ、あいつ。このままだと、渡しそびれそうでさ」
少し困ったように、北里は苦笑する。
期末テストの返却も終わり、もう数日で夏休みだ。このままだと圭は、テストも受け取らないまま夏休みに入ってしまうだろう。
志貴は手を伸ばしかけて、止める。
――人殺し。
塀に書かれた文字が脳裏をよぎる。わずかに間を置いて、プリントを受け取った。
「……分かりました」
「助かるよ。テストの返却もあるから、来たら職員室寄るように言っといてくれ」
志貴は軽く頷き、職員室を出た。廊下に出ると、雨音が近くなる。手に持ったプリントの端が、湿っていた。
雨は連日降り続いている。湿った空気が校舎の中にも入り込み、廊下にはどこか重たい匂いがこもっていた。
インターホンを押すと、ほどなくして圭の祖母が出てきた。
「まあ、志貴くん。来てくれたのかい」
「……はい。お見舞いに」
途中で寄ったコンビニの袋を軽く持ち上げてみせる。圭の祖母は目尻を下げて微笑んだ。
「ありがとうね。圭は部屋にいるよ」
頭を下げ、階段を上がる。
廊下は静かだった。雨音だけが、遠くで一定のリズムを刻んでいる。
「圭、起きてるか?」
ドアをノックする。
「……志貴?」
部屋の中から、少し掠れた声が返ってきた。ドアを開けると、パジャマ姿の圭がベッドで身体を起こしていた。
「すぐ帰るから、寝てていい」
「や、だいじょーぶ。寝飽きてたところだったから」
目を擦りながら答える、圭の頭はボサボサで、あちこちに寝癖がついていた。
「これ、買ってきた」
「なになに……て、うわ! すごい量だな」
手に持っていたレジ袋を差し出すと、圭は興味津々で覗き込んでくる。
「あ、これ俺が好きなやつだ。やきそばパンと……からあげサンもある! これ本当にお見舞いラインナップか?」
笑いながら、圭は袋を受け取った。見舞い品を物色する圭の横で、志貴は部屋の中を見回す。
……ひさしぶりだ。以前はしょっちゅう遊びに来ていたが、あの洪水の日を堺に、ここへ来ることはなくなっていた。
部屋の様子は、一年前とほとんど変わっていない。机。棚。ベッド。――ただ、どこか違和感があった。
机の横の棚に、ゲームソフトの箱がいくつも積まれている。そのうちのいくつかには、まだビニールがついたままだった。
志貴は一つ手に取る。半年前に発売されたタイトルだ。圭なら、発売日に開けて徹夜でやるはずなのに。
テレビの前に置かれたコントローラーに目をやる。表面に、うっすらと埃が積もっていた。
「あー……それ、まだやってないんだ」
背後から声が落ちる。
振り向くと、ベッドの上で圭がこちらを見ていた。壁にもたれ、からあげの紙パックを開けている。
「このゲーム、好きだっただろ」
「シリーズ全部やってるからな」
目を伏せて、圭は笑う。
「でも……最近はソシャゲで忙しくてさ」
志貴は勉強机の椅子を引いて、腰を下ろした。パッケージには、マントを翻したヒーローの絵が描かれている。街の上空を飛んで、笑顔を浮かべるヒーロー。
「好きなんだよな、それ。……ちゃんと助けられるから」
紙パックに付いた爪楊枝を袋から出して、圭が言う。
「ヒーローってさ、絶対間に合うじゃん」
「……ゲームだからな」
「うん。だからいいんだろうな」
小さく息を吐く。
「……まあ俺は、そもそもヒーロー役じゃないけど」
笑いながら、からあげを一つ口に入れる。
「昔さ、山で迷ったとき、お前来てくれたじゃん」
「……ああ」
――小学二年生のときのことだ。今でもはっきりと覚えている。
「普通に助けられて終わりだったけど、ゲームだったらあれ、イベントシーンだろ」
「…………」
「……俺はせいぜい、途中でやらかすモブってとこだな」
志貴は視線を落とした。
――違う。
そう言いかけて、飲み込む。
「そういえば、しばらく志貴ん家行ってないな」
圭がふとこちらを見る。
「……ああ」
「今度、お見舞いのお返しに遊びに行くわ」
笑いながら、また一つからあげを口に入れる。志貴は唇を引き結んだ。
「来るな」
「え?」
思いの外、固くなった声に、圭が目を見開く。
「……どこが見舞いのお返しなんだ。お前が遊びたいだけだろ」
誤魔化すようにため息をつき、ソフトを棚に戻す。圭は一度まばたきをして、笑った。
「へへ、バレたか」
