翌週の放課後。
チャイムが鳴り終わると同時に、教室の空気が一気に緩んだ。
「なあ圭」
椅子を引く音に混じって、小谷が振り向く。
「今日、部活休みなんだよ。遊ぼうぜ」
思いがけない誘いに、圭は一瞬だけ手を止めた。鞄に教科書をしまいかけたまま、小谷の方を見る。
「珍しいな」
「今日から試験週間だからな」
「あ、そっか」
活動のない帰宅部は、年中試験週間のようなものだから、すっかり意識から抜けていた。
一週間後には期末テストがあり、それが終わるともうすぐ夏休みだ。窓の外では蝉が元気に鳴いている。
「今のうちにやっちまおうぜ。今週なら何やっても許される」
「言い方」
小谷は伸びをしながら、机に肘をついた。
「で、どうする? カラオケでもゲーセンでもいいけど。なんなら両方」
「欲張るな」
「じゃあカラオケ行って、ゲーセン行って、帰りにラーメン」
「増やすな」
「カラオケで声枯らして、ゲーセンで金枯らすコース」
「帰りに胃も枯れるな」
小谷はにやっと笑う。
「どうせ暇だろ」
「いや、俺は――」
志貴との約束がある、と言いかけて口を閉じる。
自分と会っていることは他のやつに話すな、と志貴に言われていた。
理由は分からない。けれど、冗談を言っているようには見えなかった。
「……今日はちょっと予定あるんだ」
軽く頭を掻きながら、圭は曖昧に笑った。
「は? なんだそれ。浮気か?」
「違うって。あいつとはただの遊びだよ。本気なのはお前だけだから……」
芝居がかった調子で言うと、小谷は「キモ!」と声を上げて笑った。
「にしても、昨日も連絡したのに既読つかねえし」
「あー……悪い悪い」
スマホを取り出しかけて、やめる。
たぶん、昨日のままだ。
「ゲームしてたら気づかなくてさ」
「またそれかよ。お前ほんとゲーム好きだな」
「だろ? 一日やらないと手震えてくる」
「依存じゃねえか」
小谷が呆れたように笑う。
圭もつられて笑った。
――そのはずなのに、どこかぎこちない。
「つーかさ、新作どうなん?」
「え?」
「お前が好きだって言ってたシリーズのやつ。買ったんだろ?」
言われて、一瞬言葉に詰まる。
「あー……まあ、ちょっとだけ」
「『ちょっとだけ』でクリアしてるタイプだろ」
「してないって」
否定する圭を、小谷は「はいはい」と流した。
「まあいいや。じゃあまた今度な」
「おう」
「今度はちゃんと既読くらいつけろよな」
「善処します」
敬礼っぽく手を上げると、小谷は鼻で笑って席を立った。エナメルバッグを肩にかけて、佐山たちの方へ向かっていく。
すぐに笑い声が上がって、教室の喧騒に溶けた。
圭はその背中を見送ってから、鞄を持って立ち上がる。
教室を出ると、人の気配は思ったより少なかった。
階段を降りながら、ポケットからスマートフォンを取り出す。
チャットアプリを開くと、昨日はおろか、数日前のメッセージすら開けていなかった。
適当にスタンプを返して、スマートフォンを仕舞う。
昇降口を抜けると、太陽が眩しいほど照り付けていた。歩くたびに汗が噴き出してくる。
校門の少し手前。
人通りの少ない場所に、見慣れた姿が立っている。
「お」
圭は軽く手を上げた。
「待ったか?」
志貴は壁にもたれるように立っていたが、その声に顔を上げる。
「いや、今来たところだ」
「絶対嘘だろ。五分くらい前からいる顔してる」
「顔で時間は分からない」
「分かるって。雰囲気で」
志貴は何も言わず、目を細めた。
「……行くか」
「ああ」
二人は並んで歩き出す。
校門を出て、住宅街へ続く道に入った。西に傾いた日差しが、建物の隙間から差し込んでいる。地面には、長く伸びた影がくっきりと落ちていた。
「さっき小谷に遊び誘われてさ」
何気なく言うと、志貴の視線がわずかにこちらに向く。
「断ったのか」
「うん。予定あるって」
「……そうか」
短い返事だった。
志貴は少し黙ってから口を開く。
「……別に、無理に俺に合わせる必要はない」
「は? なんだよ急に」
圭は両手を胸の前で組み、上目遣いで志貴を見る。
「お前一人じゃ寂しいだろ?」
「寂しくない」
「即答かよ」
思わず笑う。
今日は志貴と柔道をすることになっていた。
あれから影の調査は進んでいない。ファミレスの帰り以来、影にも遭遇していないが、次いつ襲われるかは分からない。
気分転換も兼ねて、いざというときに対抗できるよう、少しでも体を動かしておこうという話になったのだ。
志貴が祖父の家の柔道場を使おうと言い、今はそこへ向かっている。
「師範、元気にしてる?」
「ああ」
頷いて、志貴はふと視線を落とした。
「なあ、圭。お前、あのときなんで――」
言いかけて、やめる。
「なに?」
「……いや。何でもない」
「ふーん……」
気になったが、圭はそれ以上は聞かなかった。
並んで歩く足音だけが、住宅街に淡く響く。二人の影が、道の上に長く伸びていた。
しばらくして角を曲がると、見慣れた竹垣が見えてくる。
チャイムが鳴り終わると同時に、教室の空気が一気に緩んだ。
「なあ圭」
椅子を引く音に混じって、小谷が振り向く。
「今日、部活休みなんだよ。遊ぼうぜ」
思いがけない誘いに、圭は一瞬だけ手を止めた。鞄に教科書をしまいかけたまま、小谷の方を見る。
「珍しいな」
「今日から試験週間だからな」
「あ、そっか」
活動のない帰宅部は、年中試験週間のようなものだから、すっかり意識から抜けていた。
一週間後には期末テストがあり、それが終わるともうすぐ夏休みだ。窓の外では蝉が元気に鳴いている。
「今のうちにやっちまおうぜ。今週なら何やっても許される」
「言い方」
小谷は伸びをしながら、机に肘をついた。
「で、どうする? カラオケでもゲーセンでもいいけど。なんなら両方」
「欲張るな」
「じゃあカラオケ行って、ゲーセン行って、帰りにラーメン」
「増やすな」
「カラオケで声枯らして、ゲーセンで金枯らすコース」
「帰りに胃も枯れるな」
小谷はにやっと笑う。
「どうせ暇だろ」
「いや、俺は――」
志貴との約束がある、と言いかけて口を閉じる。
自分と会っていることは他のやつに話すな、と志貴に言われていた。
理由は分からない。けれど、冗談を言っているようには見えなかった。
「……今日はちょっと予定あるんだ」
軽く頭を掻きながら、圭は曖昧に笑った。
「は? なんだそれ。浮気か?」
「違うって。あいつとはただの遊びだよ。本気なのはお前だけだから……」
芝居がかった調子で言うと、小谷は「キモ!」と声を上げて笑った。
「にしても、昨日も連絡したのに既読つかねえし」
「あー……悪い悪い」
スマホを取り出しかけて、やめる。
たぶん、昨日のままだ。
「ゲームしてたら気づかなくてさ」
「またそれかよ。お前ほんとゲーム好きだな」
「だろ? 一日やらないと手震えてくる」
「依存じゃねえか」
小谷が呆れたように笑う。
圭もつられて笑った。
――そのはずなのに、どこかぎこちない。
「つーかさ、新作どうなん?」
「え?」
「お前が好きだって言ってたシリーズのやつ。買ったんだろ?」
言われて、一瞬言葉に詰まる。
「あー……まあ、ちょっとだけ」
「『ちょっとだけ』でクリアしてるタイプだろ」
「してないって」
否定する圭を、小谷は「はいはい」と流した。
「まあいいや。じゃあまた今度な」
「おう」
「今度はちゃんと既読くらいつけろよな」
「善処します」
敬礼っぽく手を上げると、小谷は鼻で笑って席を立った。エナメルバッグを肩にかけて、佐山たちの方へ向かっていく。
すぐに笑い声が上がって、教室の喧騒に溶けた。
圭はその背中を見送ってから、鞄を持って立ち上がる。
教室を出ると、人の気配は思ったより少なかった。
階段を降りながら、ポケットからスマートフォンを取り出す。
チャットアプリを開くと、昨日はおろか、数日前のメッセージすら開けていなかった。
適当にスタンプを返して、スマートフォンを仕舞う。
昇降口を抜けると、太陽が眩しいほど照り付けていた。歩くたびに汗が噴き出してくる。
校門の少し手前。
人通りの少ない場所に、見慣れた姿が立っている。
「お」
圭は軽く手を上げた。
「待ったか?」
志貴は壁にもたれるように立っていたが、その声に顔を上げる。
「いや、今来たところだ」
「絶対嘘だろ。五分くらい前からいる顔してる」
「顔で時間は分からない」
「分かるって。雰囲気で」
志貴は何も言わず、目を細めた。
「……行くか」
「ああ」
二人は並んで歩き出す。
校門を出て、住宅街へ続く道に入った。西に傾いた日差しが、建物の隙間から差し込んでいる。地面には、長く伸びた影がくっきりと落ちていた。
「さっき小谷に遊び誘われてさ」
何気なく言うと、志貴の視線がわずかにこちらに向く。
「断ったのか」
「うん。予定あるって」
「……そうか」
短い返事だった。
志貴は少し黙ってから口を開く。
「……別に、無理に俺に合わせる必要はない」
「は? なんだよ急に」
圭は両手を胸の前で組み、上目遣いで志貴を見る。
「お前一人じゃ寂しいだろ?」
「寂しくない」
「即答かよ」
思わず笑う。
今日は志貴と柔道をすることになっていた。
あれから影の調査は進んでいない。ファミレスの帰り以来、影にも遭遇していないが、次いつ襲われるかは分からない。
気分転換も兼ねて、いざというときに対抗できるよう、少しでも体を動かしておこうという話になったのだ。
志貴が祖父の家の柔道場を使おうと言い、今はそこへ向かっている。
「師範、元気にしてる?」
「ああ」
頷いて、志貴はふと視線を落とした。
「なあ、圭。お前、あのときなんで――」
言いかけて、やめる。
「なに?」
「……いや。何でもない」
「ふーん……」
気になったが、圭はそれ以上は聞かなかった。
並んで歩く足音だけが、住宅街に淡く響く。二人の影が、道の上に長く伸びていた。
しばらくして角を曲がると、見慣れた竹垣が見えてくる。
