「うん。如月さん、夏祭りの打ち合わせだったんだって?」
首を傾げて尋ねる。
「はい、町内会の皆さんと。『建設的で和やかな』打ち合わせでしたよ」
変わらない笑みのまま、どこか含みのある言い方だった。
「……何かあったのか?」
圭は少し身を乗り出し、立石に顔を寄せて小声で尋ねる。
立石は苦笑して肩をすくめた。
「あー、その……こいつは都会帰りだからな。なんというか……身内だけで盛り上がる話が苦手でな」
その言い方に、如月がわずかに視線だけを向ける。
「あなただって、苦虫を噛み潰したような顔をしていましたよ」
「……マジ?」
「まじです」
神妙な顔で頷く如月に、立石は「まいったな」と項垂れ、後頭部を掻いた。
「一応社長なんですから、外面はよくしておいた方がいいですよ」
「え……立石さん、社長なのか!? じゃあステーキ頼もっかな」
「では、私は鰻重と茶碗蒸しとチョコバナナパフェと……」
「こら、ナチュラルにたかろうとするな。伊織もなに便乗してんだ」
意気揚々とメニューを掴んで広げる圭と如月を、立石が呆れた顔で見た。
「社長つっても、従業員五人の小さい植木屋だよ。毎日現場に出てるし、お前が思ってるようなのとは全然違う」
「でも立石さん、まだ若そうなのに社長とかすごくないか?」
隣の志貴に視線を向け、「な?」と同意を求める。志貴は一瞬遅れて顔を上げた。
「……そうだな」
わずかに間のある返事だった。
「じいちゃんがやってた店なんだけど、もう足腰が限界でさ。他に継ぐ人もいなくて、仕方なくだよ」
立石は肩をすくめて笑う。
「……とまあ、俺の話はいいから」
少しだけ表情を引き締め、身を乗り出す。テーブルの上で手を組み、圭たちを見た。
「三木さんから話聞いて、どうだった? 何か分かったか?」
圭はもう一度、志貴と視線を合わせる。短く頷き返され、口を開いた。
三木から影を見た場所を聞いたこと。
その場所を志貴と一緒に回ったこと。
自転車屋で志貴が影を見た以外は、何も起きなかったこと。
順を追って話していく。
「それで、今日――志貴と図書室で整理してみたんだ。場所を地図にまとめて、いろいろ考えてみたんだけど……」
スマートフォンの地図。青く塗られた範囲が脳裏に浮かぶ。
一年前の洪水――。
頭の中では繋がっているのに、うまく言葉にできない。
「……えっと……」
その様子を見て、志貴が口を開く。
「影が現れた場所は、すべて一年前の洪水の浸水範囲と一致してました」
立石と如月がわずかに目を見開く。
「洪水のあと、自殺も増えています。それで俺たちは、影が何か関係している可能性はないかと考えていたところでした」
短い沈黙が落ちる。騒がしい店内で、どこからか子どもの泣く声が聞こえた。
「――なるほど」
如月は一度、視線を落とした。
「ですが……大きな災害のあとに、自殺が増えるのは珍しいことではないんです」
「……そうなのか?」
目を瞬く圭に、如月が頷く。
「ええ。この町に限った話ではありません。統計的にも、そういう傾向があります」
淡々とした口調だった。如月は白い指先で結露したコップの側面をなぞる。
「大切な人を失ったり、トラウマを背負ったり、経済的な問題だったり……理由は様々です。実際、一年前の洪水のあと、神社にも相談が相次いで……」
――洪水のあとからだな。神社に相談に来るやつが増えたのは。
脳裏に立石の言葉が蘇る。神社へ行った帰り道、車の中で聞いた話だ。
「私も、ちょうどその頃に神主になったばかりで、正直、余裕がありませんでした。一人一人に時間をかけることもできず、結局――何もできなかったと感じることも多かった」
如月は小さく笑い、目を伏せた。
「他人にできることなど、限られていますから」
自嘲するような声だった。その言葉が、圭の胸に沈む。無意識に、隣の志貴へと視線が向いた。
「……でも」
反射的に口を開き、テーブルの下で強く両手を握り締める。
けれど、言葉は続かなかった。
「……何もできなかったなんてことは、ないんじゃないですか」
志貴の声だった。
圭は、俯きかけていた顔をゆっくりと上げる。
「三木さんは、あなたに話を聞いてもらっているうちに、気持ちの整理がついたと言ってました。……全員じゃなかったとしても、救われた人は確かにいる」
そう言って、志貴は視線をテーブルに落とした。
「……できなかったことを数えても、意味はない。実際、救われた人がいるなら、それで十分じゃないですか」
志貴の言葉が、すとんと胸に落ちる。張り詰めていたものが、ほんの少しだけ緩んだ。
如月はわずかに目を見開いたまま、黙っている。
「俺も……」
ぐっと身を乗り出し、圭は口を開けた。
「俺たちも、如月さんと立石さんに助けられてるよ」
言い切ってから、ほんの少しだけ息を吐く。
「……気づいてないだけだ」
立石がぼそりと呟く。
如月の視線が、ゆっくりと立石に向いた。
「ちゃんと助けてるし、助けられてもいる」
如月は一瞬だけ言葉を失い、それから小さく肩をすくめた。
「あなたがそんなことを言うなんて、明日は雪でも降りそうですね」
「お前な……」
立石が眉をひそめる。だが、如月の口元にはわずかな笑みが戻っていた。
「冗談ですよ。……ありがとうございます」
軽く頭を下げ、コップに口をつけた。
氷が触れ合う、かすかな音が鳴る。
「にしても、影のこと、また分かんなくなっちゃったな〜」
圭は背もたれに体を預け、天井を見上げるように言った。
その様子を見て、如月はふと何かを思い出したように口元に手を当てる。
「さきほどの、影と自殺された方々との関係についてですが……気になることが、ないわけではありません」
「え……」
慌てて姿勢を戻す。志貴もわずかに顔を上げた。
「その方は、もともと『生きていくのが辛い』とおっしゃっていました」
如月は、少しだけ言葉を選ぶように間を置いた。
「ですから――亡くなられたと聞いたとき、深くは考えませんでした。そういう選択をされることも、あり得るのだろうと」
淡々とした口調だった。けれど、落とした視線には、かすかな悔いのようなものが滲んでいた。
「川に身を投げた、と聞いても……疑問は抱かなかった」
圭は無意識に息を呑む。
店内には変わらず人の声や食器の音が満ちているはずなのに、その一瞬だけ、ひどく遠く感じられた。
「ですが、今になって思うと、いくつか気になる点があるのです」
「……気になる点?」
志貴が尋ねると、如月は静かに頷いた。
「その方は、相談に来られた際、『おかしなものを見る』と話していました。家は洪水で流されてしまったのですが、跡地へ行くと、あちこちが暗く沈んでいるように感じることがある、と」
如月は、記憶をなぞるようにゆっくりと言葉を紡ぐ。
「ただ暗い、というのではなく……うごめいているようにも見えた、とも。雨も降っていないのに、濡れた足跡のようなものが残っていた、とも言っていました」
そこで、ようやく如月は顔を上げる。
「当時は、精神的なものだと考えていました。被災によるストレスや、喪失感による錯覚だろうと。ですが――」
声が、ほんの少し低くなる。
「その証言を思い返すと……ただの思い込みで片付けてよいものだったのか、今では分からなくなっています」
言葉が途切れ、重い静けさが残った。
「……濡れた足跡」
ぽつりと呟く。
脳裏に、あの日の光景が蘇る。廊下に残っていた、水を踏んだような跡。途切れた場所には誰もいなかった。
「俺も……見たことある」
思わず口に出していた。
「最初に影を見たとき、濡れた足跡みたいなのがあった。誰もいないのに、ずっと続いてて……」
言いながら、背筋を冷たいものが走る。
志貴がゆっくりと顔を上げた。
「家が流された跡地なら、そこは確実に洪水の浸水範囲内だ」
志貴の目が細まる。
「つまり――現象は一致し、場所の条件も満たしている」
圭はごくりと生唾をのんだ。
「じゃあ……」
「断定はできない。けど……無関係とも考えにくい」
小さく頷き、志貴は如月たちを見た。
「直接『影』とは言っていないけど……その人が見ていたものも、同じものだった可能性はあります」
首を傾げて尋ねる。
「はい、町内会の皆さんと。『建設的で和やかな』打ち合わせでしたよ」
変わらない笑みのまま、どこか含みのある言い方だった。
「……何かあったのか?」
圭は少し身を乗り出し、立石に顔を寄せて小声で尋ねる。
立石は苦笑して肩をすくめた。
「あー、その……こいつは都会帰りだからな。なんというか……身内だけで盛り上がる話が苦手でな」
その言い方に、如月がわずかに視線だけを向ける。
「あなただって、苦虫を噛み潰したような顔をしていましたよ」
「……マジ?」
「まじです」
神妙な顔で頷く如月に、立石は「まいったな」と項垂れ、後頭部を掻いた。
「一応社長なんですから、外面はよくしておいた方がいいですよ」
「え……立石さん、社長なのか!? じゃあステーキ頼もっかな」
「では、私は鰻重と茶碗蒸しとチョコバナナパフェと……」
「こら、ナチュラルにたかろうとするな。伊織もなに便乗してんだ」
意気揚々とメニューを掴んで広げる圭と如月を、立石が呆れた顔で見た。
「社長つっても、従業員五人の小さい植木屋だよ。毎日現場に出てるし、お前が思ってるようなのとは全然違う」
「でも立石さん、まだ若そうなのに社長とかすごくないか?」
隣の志貴に視線を向け、「な?」と同意を求める。志貴は一瞬遅れて顔を上げた。
「……そうだな」
わずかに間のある返事だった。
「じいちゃんがやってた店なんだけど、もう足腰が限界でさ。他に継ぐ人もいなくて、仕方なくだよ」
立石は肩をすくめて笑う。
「……とまあ、俺の話はいいから」
少しだけ表情を引き締め、身を乗り出す。テーブルの上で手を組み、圭たちを見た。
「三木さんから話聞いて、どうだった? 何か分かったか?」
圭はもう一度、志貴と視線を合わせる。短く頷き返され、口を開いた。
三木から影を見た場所を聞いたこと。
その場所を志貴と一緒に回ったこと。
自転車屋で志貴が影を見た以外は、何も起きなかったこと。
順を追って話していく。
「それで、今日――志貴と図書室で整理してみたんだ。場所を地図にまとめて、いろいろ考えてみたんだけど……」
スマートフォンの地図。青く塗られた範囲が脳裏に浮かぶ。
一年前の洪水――。
頭の中では繋がっているのに、うまく言葉にできない。
「……えっと……」
その様子を見て、志貴が口を開く。
「影が現れた場所は、すべて一年前の洪水の浸水範囲と一致してました」
立石と如月がわずかに目を見開く。
「洪水のあと、自殺も増えています。それで俺たちは、影が何か関係している可能性はないかと考えていたところでした」
短い沈黙が落ちる。騒がしい店内で、どこからか子どもの泣く声が聞こえた。
「――なるほど」
如月は一度、視線を落とした。
「ですが……大きな災害のあとに、自殺が増えるのは珍しいことではないんです」
「……そうなのか?」
目を瞬く圭に、如月が頷く。
「ええ。この町に限った話ではありません。統計的にも、そういう傾向があります」
淡々とした口調だった。如月は白い指先で結露したコップの側面をなぞる。
「大切な人を失ったり、トラウマを背負ったり、経済的な問題だったり……理由は様々です。実際、一年前の洪水のあと、神社にも相談が相次いで……」
――洪水のあとからだな。神社に相談に来るやつが増えたのは。
脳裏に立石の言葉が蘇る。神社へ行った帰り道、車の中で聞いた話だ。
「私も、ちょうどその頃に神主になったばかりで、正直、余裕がありませんでした。一人一人に時間をかけることもできず、結局――何もできなかったと感じることも多かった」
如月は小さく笑い、目を伏せた。
「他人にできることなど、限られていますから」
自嘲するような声だった。その言葉が、圭の胸に沈む。無意識に、隣の志貴へと視線が向いた。
「……でも」
反射的に口を開き、テーブルの下で強く両手を握り締める。
けれど、言葉は続かなかった。
「……何もできなかったなんてことは、ないんじゃないですか」
志貴の声だった。
圭は、俯きかけていた顔をゆっくりと上げる。
「三木さんは、あなたに話を聞いてもらっているうちに、気持ちの整理がついたと言ってました。……全員じゃなかったとしても、救われた人は確かにいる」
そう言って、志貴は視線をテーブルに落とした。
「……できなかったことを数えても、意味はない。実際、救われた人がいるなら、それで十分じゃないですか」
志貴の言葉が、すとんと胸に落ちる。張り詰めていたものが、ほんの少しだけ緩んだ。
如月はわずかに目を見開いたまま、黙っている。
「俺も……」
ぐっと身を乗り出し、圭は口を開けた。
「俺たちも、如月さんと立石さんに助けられてるよ」
言い切ってから、ほんの少しだけ息を吐く。
「……気づいてないだけだ」
立石がぼそりと呟く。
如月の視線が、ゆっくりと立石に向いた。
「ちゃんと助けてるし、助けられてもいる」
如月は一瞬だけ言葉を失い、それから小さく肩をすくめた。
「あなたがそんなことを言うなんて、明日は雪でも降りそうですね」
「お前な……」
立石が眉をひそめる。だが、如月の口元にはわずかな笑みが戻っていた。
「冗談ですよ。……ありがとうございます」
軽く頭を下げ、コップに口をつけた。
氷が触れ合う、かすかな音が鳴る。
「にしても、影のこと、また分かんなくなっちゃったな〜」
圭は背もたれに体を預け、天井を見上げるように言った。
その様子を見て、如月はふと何かを思い出したように口元に手を当てる。
「さきほどの、影と自殺された方々との関係についてですが……気になることが、ないわけではありません」
「え……」
慌てて姿勢を戻す。志貴もわずかに顔を上げた。
「その方は、もともと『生きていくのが辛い』とおっしゃっていました」
如月は、少しだけ言葉を選ぶように間を置いた。
「ですから――亡くなられたと聞いたとき、深くは考えませんでした。そういう選択をされることも、あり得るのだろうと」
淡々とした口調だった。けれど、落とした視線には、かすかな悔いのようなものが滲んでいた。
「川に身を投げた、と聞いても……疑問は抱かなかった」
圭は無意識に息を呑む。
店内には変わらず人の声や食器の音が満ちているはずなのに、その一瞬だけ、ひどく遠く感じられた。
「ですが、今になって思うと、いくつか気になる点があるのです」
「……気になる点?」
志貴が尋ねると、如月は静かに頷いた。
「その方は、相談に来られた際、『おかしなものを見る』と話していました。家は洪水で流されてしまったのですが、跡地へ行くと、あちこちが暗く沈んでいるように感じることがある、と」
如月は、記憶をなぞるようにゆっくりと言葉を紡ぐ。
「ただ暗い、というのではなく……うごめいているようにも見えた、とも。雨も降っていないのに、濡れた足跡のようなものが残っていた、とも言っていました」
そこで、ようやく如月は顔を上げる。
「当時は、精神的なものだと考えていました。被災によるストレスや、喪失感による錯覚だろうと。ですが――」
声が、ほんの少し低くなる。
「その証言を思い返すと……ただの思い込みで片付けてよいものだったのか、今では分からなくなっています」
言葉が途切れ、重い静けさが残った。
「……濡れた足跡」
ぽつりと呟く。
脳裏に、あの日の光景が蘇る。廊下に残っていた、水を踏んだような跡。途切れた場所には誰もいなかった。
「俺も……見たことある」
思わず口に出していた。
「最初に影を見たとき、濡れた足跡みたいなのがあった。誰もいないのに、ずっと続いてて……」
言いながら、背筋を冷たいものが走る。
志貴がゆっくりと顔を上げた。
「家が流された跡地なら、そこは確実に洪水の浸水範囲内だ」
志貴の目が細まる。
「つまり――現象は一致し、場所の条件も満たしている」
圭はごくりと生唾をのんだ。
「じゃあ……」
「断定はできない。けど……無関係とも考えにくい」
小さく頷き、志貴は如月たちを見た。
「直接『影』とは言っていないけど……その人が見ていたものも、同じものだった可能性はあります」
