きみが死ぬ夢を見たから

 叫び声がこぼれそうになった瞬間――

「……圭?」

 背後から、低く落ち着いた声がした。
 振り向いた先に立っていたのは、深山志貴だった。相変わらず感情の読み取りにくい顔で、こちらを見ている。

「落ちていた」

 静かに差し出された片手に、圭は視線を落とす。志貴の掌の上には、探していたキーホルダーが載っていた。
 圭はしばらくのあいだ、床に座ったままそれを見つめる。
 いつの間にか、壁に伸びていた影は消えていた。

「……なんだ、志貴か。心臓止まるかと思った」

 少し遅れて、乾いた笑いがこぼれる。キーホルダーを受け取ると、指先にまだ微かな震えが残っているのがわかった。
 胸の奥では、心臓の音が早鐘を打ったままだ。
 ――さっきのは、見間違いだったのだろうか。

「……気をつけろ」

 現実に引き戻されるような声に、圭ははっと顔を上げた。志貴はすでに踵を返し、立ち去ろうとしている。
 反射的に、その腕を掴んでいた。

「待てよ!」

 志貴がわずかに目を見開く。その反応に気づき、圭は我に返ったように手を離した。

「あー……その、どうせ帰り道同じなんだしさ。一緒に帰ろう」

 誤魔化すように笑いながら立ち上がる。キーホルダーをポケットに仕舞い、鞄を肩に掛け直した。

「志貴は、こんな時間まで何してたんだ?」

 並んで歩き出しながら、圭は首を傾げて隣を見る。自分も背は高いほうだが、志貴も同じくらいの背丈だ。
 ――昔はよく、身体測定のたびに、どちらが高いか競い合ってたっけ。
 長い睫毛をわずかに伏せて、志貴が口を開く。

「担任に頼まれて、水槽の掃除をしていた」
「お前の担任って、横ちゃんだっけ? 人使い荒いよなぁ。嫌ならちゃんと断れよ」

 生物教師の横山先生――通称・横ちゃんは、生物室で亀やウーパールーパーなど、さまざまな生き物を飼っている。志貴は学級委員だから、きっと都合よく使われているのだろう。

「別に、嫌じゃない」
「……まじ?」
「生き物を飼ったことがないから、新鮮だ」

 その言葉に、ふと志貴の父親――町長の顔が浮かんだ。笑うことなどあるのだろうか、と疑ってしまうほど厳格な雰囲気の人だ。
 小学生の頃、志貴と一緒に子猫を拾って帰り、「責任も持てないのに、野良猫を安易に拾うな」と叱られたことがある。

「そういえばお前、昔から動物好きだったよな。散歩中の犬、いっつも見てたし」
「見るだけなら迷惑じゃないし、いいだろう」
「とか言って、俺が撫でに行ったら結局ついてきてたじゃん」

 昔から大人びていて、どこか遠慮がちだった志貴の姿を思い出しながら、圭は小さく笑った。
 校舎を出ると、辺りは夜の静けさに沈んでいた。アスファルトはまだほのかに温もりを残していて、歩くたびに靴底からそれが伝わってくる。見上げた空には星がまばらに瞬き、遠くで犬の鳴き声が一度だけ響いた。
 周囲を見回して小谷たちの姿を探してみたが、もうどこにも見当たらない。

 置いていくなんて薄情な奴らだ。

 明日覚えてろよ、と内心で悪態をつく。
 並んで歩く志貴との距離は、近いはずなのに、どこか噛み合っていない。以前は当たり前のように一緒に帰っていたのに、気づけば一年近く、こうして肩を並べることもなかった。
 会話の切れ目に、夜の虫の声だけが入り込んでくる。何か話さないとと思うのに、言葉は思ったよりも喉の奥でつかえた。

「あ……」

 並んで歩いていると、ふと、遠くからサイレンの音が聞こえる。近づくでもなく、遠ざかるでもない、中途半端な距離のまま夜に溶けていく音。
 圭は、無意識のうちに足を止めていた。

「……圭?」

 訝しむような志貴の声に、はっとして顔を上げる。

「あ、いや。なんでもない」

 慌てて笑ってみせると、志貴はそれ以上追及せず、ただ視線を前に戻した。
 それからしばらく、二人の間に会話はなかった。代わりに、虫の声と自販機の低い駆動音が、夜の静けさを埋めていく。
 やがて、分かれ道に差しかかった。

「俺、こっちだから」

 圭は足を止めて言った。
 同じように足を止めた志貴を見て――ほんの思いつきのように、言葉が口をつく。

「また、一緒に帰ろう」

 軽い冗談のつもりだったはずなのに、声は思ったより真面目になっていた。
 志貴は一瞬だけ黙り込み、それから視線を伏せる。
 街灯の光に照らされて、志貴の横顔が浮かび上がった。相変わらず、整った顔立ちをしている。すっと通った鼻梁に、長い睫毛。近寄りがたいほど端整なのに、どこか影を落としたような静けさがある。
 昔よりも、少しだけ遠い顔に見えた。

「……俺と関わらないほうがいい」

 低く、感情の読み取れない声で志貴が言う。

「なにそれ。急に厨二?」

 圭は笑い飛ばそうとしたが、志貴の表情は崩れない。

「……そういう意味じゃない」

 それだけ言い残して、志貴は背を向ける。街灯の明かりの下を抜けていく背中は、どこか輪郭が薄く見えた。圭は呼び止めることもできず、その場に立ち尽くしていた。