考えなしで人に迷惑をかけてばかりの自分と違って、志貴は昔から頭がよく、いつも落ち着いていた。
……だから志貴は、俺のことを頼ってくれないのかもしれない。
当たり前だ、と圭は思う。自分に誰かを助けられるとは、あまり思えなかった。
今やっていることも、ただの自己満足で、志貴のためにはなっていないのかもしれない。
横山は少しだけ目を細めた。
「自分じゃ気づいてないだけで、案外、誰かを助けてるもんだぞ。深山だって、お前に助けられてること、あるかもしれないだろ」
「…………」
「まあ、それでも納得いかないなら――今度はお前が助けてやればいい」
がしがしと雑な手つきで頭を撫でられる。
「ほら、ぼさっとしてないで。鯉、逃げるぞ」
横山がバケツを掴む。
圭ももう片方の縁を持ち上げ、二人で池のそばにしゃがみ込んだ。
水面に近づけると、鯉が一匹、ぴちりと跳ねる。
「よし、いくぞ」
合図と同時にバケツを傾ける。水と一緒に、鯉が池へ流れ出た。赤や白の体が水面を揺らし、輪が広がる。鯉はゆっくりと向きを変え、やがて池の奥へと泳いでいった。
さっきまで何もいなかった水の中を、いくつもの影が静かに行き交い始めていた。
窓の外で、雨が降っていた。
昼休みが終わる頃、急に空が曇り、降り出した雨だ。ガラスを叩く音が、授業終わりの教室のざわめきに混じっている。
帰りのホームルームが終わると同時に、圭は立ち上がった。
「お前ら、行くぞ」
声をかけると、小谷が体操服を引っ張り出しながら顔をしかめた。
「どこに」
「三木さんの実家のあたり」
「……三木? 誰?」
「調べる」
小谷はしばらく圭を見つめ、それから盛大にため息をついた。
「お前な……説明を単語で済ませる癖、やめろって」
「つうかさ」
佐山が腕時計を見ながら口を挟む。
「俺ら、これから部活なんだけど」
「帰宅部のお前と違って、暇じゃないんだよ」
長瀬もエナメルのスポーツバッグを肩に掛けながら、鼻で笑う。
圭は窓の外をちらりと見た。雨はまだ降り続いている。
「今日も部活あんの? 雨なのに?」
「筋トレとかランニングとか、屋根あるとこでいろいろやるんだよ」
佐山の答えに、圭はわかりやすく肩を落とした。それから小谷を見る。
「小谷、お前は来いよ」
「俺はレギュラー争い中なんだよ。幽霊調査で干されたらどうすんだ」
「幽霊じゃない」
「じゃあ何だよ」
「まだわからないから調べる」
腰に手を当て、胸を張る。
「はい却下」
小谷は両手で大きくバツを作った。圭は無言で小谷の両肩を掴み、ぐらぐらと揺さぶる。
「おま、やめろって!」
「つーかさ」
佐山が笑いながら言う。
「お前一人で行けばいいじゃん」
「そうそう。どうせ昼も、ほとんど一人で見てただろ」
長瀬も頷く。圭は手を止め、考えた。
……まあ、確かにそうだ。別に、一人でも全然、全く、怖いわけじゃないし。行けない理由なんてない。
さっと行って、さっと調べて、さっと帰ればいいだけの話だ。
「……わかった。一人で行く」
圭は鞄を肩に掛け、教室のドアに手を掛けた。
――が、ふと振り返る。
「……本当に、来ないんだな?」
振り返り、もう一度だけ確認する。
「は?」
「行かねえよ」
「部活あるっつってんだろ」
あっさり返されて、圭はふんとそっぽを向いた。
「いってらっしゃい。気をつけろよー」
「死の池の呪いとか、あるかもしれないからな」
「それ池の話だろ」
三人の笑い声を背に、教室を出る。折りたたみ傘を開き、そのまま校舎を後にした。
足取りは、わずかに速い。
歩道脇の紫陽花が、雨に濡れて色を深めていた。遠くで、車が水をはねる音がする。
三十分ほど歩いた頃、圭はスマートフォンで場所を確かめながら角を曲がった。
三木の母の家があったという通り――影の目撃場所だ――は、家が少ない。ところどころ、更地が目立つ。洪水のあと、取り壊された家が多いのだろう。
圭は立ち止まり、周囲を見回した。だが、特に何も感じない。ごく普通の、静かな住宅街だ。
圭は小さく息を吐いた。
ちょうど向かいから、買い物袋を提げたおばあさんが歩いてくる。
「あの、すみません!」
駆け寄ると、おばあさんは足を止めた。
「この辺で、変なもの見た人とかいませんか?」
「変なもの?」
「影とか」
おばあさんは少し笑った。
「影? それなら毎日見てるけど」
「あー……いや、そういうのじゃなくて」
後頭部を掻き、言葉を探す。うまく説明できない。
「もしかして、幽霊?」
「いや、まだそこまでじゃないです」
「まだって何よ」
くすくすと、おばあさんが肩を揺らして笑う
「この辺は、洪水のあと人が減っちゃって。空き地も増えたけど、そんな話は聞かないわねぇ」
「そっか……」
……だから志貴は、俺のことを頼ってくれないのかもしれない。
当たり前だ、と圭は思う。自分に誰かを助けられるとは、あまり思えなかった。
今やっていることも、ただの自己満足で、志貴のためにはなっていないのかもしれない。
横山は少しだけ目を細めた。
「自分じゃ気づいてないだけで、案外、誰かを助けてるもんだぞ。深山だって、お前に助けられてること、あるかもしれないだろ」
「…………」
「まあ、それでも納得いかないなら――今度はお前が助けてやればいい」
がしがしと雑な手つきで頭を撫でられる。
「ほら、ぼさっとしてないで。鯉、逃げるぞ」
横山がバケツを掴む。
圭ももう片方の縁を持ち上げ、二人で池のそばにしゃがみ込んだ。
水面に近づけると、鯉が一匹、ぴちりと跳ねる。
「よし、いくぞ」
合図と同時にバケツを傾ける。水と一緒に、鯉が池へ流れ出た。赤や白の体が水面を揺らし、輪が広がる。鯉はゆっくりと向きを変え、やがて池の奥へと泳いでいった。
さっきまで何もいなかった水の中を、いくつもの影が静かに行き交い始めていた。
窓の外で、雨が降っていた。
昼休みが終わる頃、急に空が曇り、降り出した雨だ。ガラスを叩く音が、授業終わりの教室のざわめきに混じっている。
帰りのホームルームが終わると同時に、圭は立ち上がった。
「お前ら、行くぞ」
声をかけると、小谷が体操服を引っ張り出しながら顔をしかめた。
「どこに」
「三木さんの実家のあたり」
「……三木? 誰?」
「調べる」
小谷はしばらく圭を見つめ、それから盛大にため息をついた。
「お前な……説明を単語で済ませる癖、やめろって」
「つうかさ」
佐山が腕時計を見ながら口を挟む。
「俺ら、これから部活なんだけど」
「帰宅部のお前と違って、暇じゃないんだよ」
長瀬もエナメルのスポーツバッグを肩に掛けながら、鼻で笑う。
圭は窓の外をちらりと見た。雨はまだ降り続いている。
「今日も部活あんの? 雨なのに?」
「筋トレとかランニングとか、屋根あるとこでいろいろやるんだよ」
佐山の答えに、圭はわかりやすく肩を落とした。それから小谷を見る。
「小谷、お前は来いよ」
「俺はレギュラー争い中なんだよ。幽霊調査で干されたらどうすんだ」
「幽霊じゃない」
「じゃあ何だよ」
「まだわからないから調べる」
腰に手を当て、胸を張る。
「はい却下」
小谷は両手で大きくバツを作った。圭は無言で小谷の両肩を掴み、ぐらぐらと揺さぶる。
「おま、やめろって!」
「つーかさ」
佐山が笑いながら言う。
「お前一人で行けばいいじゃん」
「そうそう。どうせ昼も、ほとんど一人で見てただろ」
長瀬も頷く。圭は手を止め、考えた。
……まあ、確かにそうだ。別に、一人でも全然、全く、怖いわけじゃないし。行けない理由なんてない。
さっと行って、さっと調べて、さっと帰ればいいだけの話だ。
「……わかった。一人で行く」
圭は鞄を肩に掛け、教室のドアに手を掛けた。
――が、ふと振り返る。
「……本当に、来ないんだな?」
振り返り、もう一度だけ確認する。
「は?」
「行かねえよ」
「部活あるっつってんだろ」
あっさり返されて、圭はふんとそっぽを向いた。
「いってらっしゃい。気をつけろよー」
「死の池の呪いとか、あるかもしれないからな」
「それ池の話だろ」
三人の笑い声を背に、教室を出る。折りたたみ傘を開き、そのまま校舎を後にした。
足取りは、わずかに速い。
歩道脇の紫陽花が、雨に濡れて色を深めていた。遠くで、車が水をはねる音がする。
三十分ほど歩いた頃、圭はスマートフォンで場所を確かめながら角を曲がった。
三木の母の家があったという通り――影の目撃場所だ――は、家が少ない。ところどころ、更地が目立つ。洪水のあと、取り壊された家が多いのだろう。
圭は立ち止まり、周囲を見回した。だが、特に何も感じない。ごく普通の、静かな住宅街だ。
圭は小さく息を吐いた。
ちょうど向かいから、買い物袋を提げたおばあさんが歩いてくる。
「あの、すみません!」
駆け寄ると、おばあさんは足を止めた。
「この辺で、変なもの見た人とかいませんか?」
「変なもの?」
「影とか」
おばあさんは少し笑った。
「影? それなら毎日見てるけど」
「あー……いや、そういうのじゃなくて」
後頭部を掻き、言葉を探す。うまく説明できない。
「もしかして、幽霊?」
「いや、まだそこまでじゃないです」
「まだって何よ」
くすくすと、おばあさんが肩を揺らして笑う
「この辺は、洪水のあと人が減っちゃって。空き地も増えたけど、そんな話は聞かないわねぇ」
「そっか……」
