両手を広げて叫んだ小谷に、横山は怪訝そうに眉をひそめた。
「はぁ?」
圭たちが口々に『死の池』の噂を説明すると、横山は一通り聞き終えてから大きくため息をついた。
「お前らなあ……そんなこと、あるわけないだろ」
「でも……じゃあ、なんで今まで池に何もいなかったんですか?」
佐山が首をかしげる。
横山は少しだけ遠くを見るような顔をした。
「一年前まではいたよ。鯉も、金魚も、亀もな」
そう言って、ため息混じりに続ける。
「……洪水が起きた日に、浸水してみんな流されたけどな」
一瞬、誰も言葉を発しなかった。
「ちょうど夏休みに入った頃だったから、お前らはあまり知らないかもな」
横山は振り返り、体育館の壁を指さした。
「ほら、あの線」
言われて目を向けると、ちょうど膝くらいの高さに、うっすらと色の変わった帯が残っている。
「あそこまで水が来たんだ。校舎の一階も泥だらけになってな。後始末、本当に大変だったぞ」
「あー、俺、部活でグラウンドのゴミ拾ったり、整備したりしましたよ」
小谷が思い出したように言う。
「俺も」
佐山と長瀬も頷いた。小谷はサッカー部、佐山と長瀬は野球部だ。おそらく部活単位でボランティアに駆り出されたのだろう。
「流された鯉とか、みんなどっかで元気に生きてるといいな……」
小谷がぽつりと呟く。
横山は少し笑い、彼の頭をぽんぽんと軽く叩いた。
「ところでお前ら、こないだの小テストのことだが——」
その言葉を聞いた瞬間、小谷の顔色が変わる。
「あ……あーっ! やべ、そろそろ教室戻んねえと!」
「そういえば次、移動教室だったよな!」
三人は顔を見合わせると、同時に踵を返した。
「ちょっと待て」
「げ」
横山の手が、逃げようとした圭の肩をがっちりと掴んだ。
嫌な予感に背筋が冷える。おそるおそる振り返ると、横山がにっこりと笑っていた。
「お前は残って手伝ってくれ」
三人は好き勝手なことを言いながら、さっさとその場を離れていく。
圭はしばらくその背中を睨みつけていたが、やがて小さく息をついた。
どうやら逃げ道はなさそうだ。
まあ、池に鯉を放すくらいなら、大した手間でもない。
「横ちゃんってマジで生き物好きだよな〜」
圭はしゃがみ込み、横山が地面に置いたバケツを覗き込んだ。
透明な水の中で、赤や白の鯉が尾びれを翻しながら元気に泳いでいる。小さな体なのに、水を弾くたびにきらりと光った。
「でも、あんま生徒こき使うなよ。こないだ志貴から、水槽洗うの手伝ったって聞いたぞ」
何気なく言うと、横山がふと圭を見た。
「お前、深山と仲いいのか?」
「え、ああ……まあ」
圭は曖昧に頷く。
幼馴染だし。
——とはいえ、ここ数日は絶賛避けられ中だ。胸を張って「仲いい」と言うには、少し気まずい。
「そうか、よかった」
横山はどこか安心したように頷いた。
「深山は家が……いろいろ大変そうだろう? ちょっと心配してたんだ」
「家?」
「ほら、親父さんがさ……」
「ああ」
圭は頷く。
志貴の父親は、この町の町長だ。選挙の年にはローカルテレビの取材が家まで来たと志貴がぼやいていたし、何かと人目も多いのだろう。
「深山は成績も学年トップだし、生活態度もいい。教師としては何一つ言うことはないんだが……」
横山は言葉を選ぶように少し間を置いた。
「優等生すぎるというか……物分かりがよすぎるところが、ちょっと心配でな」
池の水面を見ながら、ぽつりと続ける。
「もともと同級生とつるむタイプじゃないのかもしれないが、自分の気持ちを吐き出せる場所がないんじゃないかってな」
圭は少し黙った。
「……俺が、志貴にとってそんな場所になれてるとは思えないけど」
圭は視線をバケツに落とした。水の中で、鯉がくるりと身を翻す。
「昔さ」
ぽつりと口を開く。
「小学二年くらいのとき、山で迷子になったことがあって」
町外れの裏山だった。遊び半分で入り込んだのに、気づいたときには帰り道がわからなくなっていた。木ばかりで、どこを見ても同じ景色。歩くほど、余計に知らない場所に来ている気がした。
怖くなって、その場に立ち尽くした。
——そのときだった。
「圭」
名前を呼ばれて顔を上げると、志貴が立っていた。息一つ乱していない顔で、当たり前みたいにそこにいる。
「……何やってるんだ」
呆れた声だった。
「迷った」
「見ればわかる」
志貴は小さくため息をつくと、圭の手首を掴んだ。
「こっち」
「道わかるの?」
「うん」
それだけ言って歩き出す。
半信半疑でついていくと、五分もしないうちに見覚えのある道に出た。
圭はその場に座り込んだ。
「……助かった」
志貴は少しだけ首を傾げた。
「助けたつもりはないけど。……圭がいなくなったって聞いたから、探しに来ただけ」
当たり前みたいな顔で言う。
そのときの志貴を思い出し、圭は小さく笑った。
「昔から志貴に助けられてばっかりでさ」
「はぁ?」
圭たちが口々に『死の池』の噂を説明すると、横山は一通り聞き終えてから大きくため息をついた。
「お前らなあ……そんなこと、あるわけないだろ」
「でも……じゃあ、なんで今まで池に何もいなかったんですか?」
佐山が首をかしげる。
横山は少しだけ遠くを見るような顔をした。
「一年前まではいたよ。鯉も、金魚も、亀もな」
そう言って、ため息混じりに続ける。
「……洪水が起きた日に、浸水してみんな流されたけどな」
一瞬、誰も言葉を発しなかった。
「ちょうど夏休みに入った頃だったから、お前らはあまり知らないかもな」
横山は振り返り、体育館の壁を指さした。
「ほら、あの線」
言われて目を向けると、ちょうど膝くらいの高さに、うっすらと色の変わった帯が残っている。
「あそこまで水が来たんだ。校舎の一階も泥だらけになってな。後始末、本当に大変だったぞ」
「あー、俺、部活でグラウンドのゴミ拾ったり、整備したりしましたよ」
小谷が思い出したように言う。
「俺も」
佐山と長瀬も頷いた。小谷はサッカー部、佐山と長瀬は野球部だ。おそらく部活単位でボランティアに駆り出されたのだろう。
「流された鯉とか、みんなどっかで元気に生きてるといいな……」
小谷がぽつりと呟く。
横山は少し笑い、彼の頭をぽんぽんと軽く叩いた。
「ところでお前ら、こないだの小テストのことだが——」
その言葉を聞いた瞬間、小谷の顔色が変わる。
「あ……あーっ! やべ、そろそろ教室戻んねえと!」
「そういえば次、移動教室だったよな!」
三人は顔を見合わせると、同時に踵を返した。
「ちょっと待て」
「げ」
横山の手が、逃げようとした圭の肩をがっちりと掴んだ。
嫌な予感に背筋が冷える。おそるおそる振り返ると、横山がにっこりと笑っていた。
「お前は残って手伝ってくれ」
三人は好き勝手なことを言いながら、さっさとその場を離れていく。
圭はしばらくその背中を睨みつけていたが、やがて小さく息をついた。
どうやら逃げ道はなさそうだ。
まあ、池に鯉を放すくらいなら、大した手間でもない。
「横ちゃんってマジで生き物好きだよな〜」
圭はしゃがみ込み、横山が地面に置いたバケツを覗き込んだ。
透明な水の中で、赤や白の鯉が尾びれを翻しながら元気に泳いでいる。小さな体なのに、水を弾くたびにきらりと光った。
「でも、あんま生徒こき使うなよ。こないだ志貴から、水槽洗うの手伝ったって聞いたぞ」
何気なく言うと、横山がふと圭を見た。
「お前、深山と仲いいのか?」
「え、ああ……まあ」
圭は曖昧に頷く。
幼馴染だし。
——とはいえ、ここ数日は絶賛避けられ中だ。胸を張って「仲いい」と言うには、少し気まずい。
「そうか、よかった」
横山はどこか安心したように頷いた。
「深山は家が……いろいろ大変そうだろう? ちょっと心配してたんだ」
「家?」
「ほら、親父さんがさ……」
「ああ」
圭は頷く。
志貴の父親は、この町の町長だ。選挙の年にはローカルテレビの取材が家まで来たと志貴がぼやいていたし、何かと人目も多いのだろう。
「深山は成績も学年トップだし、生活態度もいい。教師としては何一つ言うことはないんだが……」
横山は言葉を選ぶように少し間を置いた。
「優等生すぎるというか……物分かりがよすぎるところが、ちょっと心配でな」
池の水面を見ながら、ぽつりと続ける。
「もともと同級生とつるむタイプじゃないのかもしれないが、自分の気持ちを吐き出せる場所がないんじゃないかってな」
圭は少し黙った。
「……俺が、志貴にとってそんな場所になれてるとは思えないけど」
圭は視線をバケツに落とした。水の中で、鯉がくるりと身を翻す。
「昔さ」
ぽつりと口を開く。
「小学二年くらいのとき、山で迷子になったことがあって」
町外れの裏山だった。遊び半分で入り込んだのに、気づいたときには帰り道がわからなくなっていた。木ばかりで、どこを見ても同じ景色。歩くほど、余計に知らない場所に来ている気がした。
怖くなって、その場に立ち尽くした。
——そのときだった。
「圭」
名前を呼ばれて顔を上げると、志貴が立っていた。息一つ乱していない顔で、当たり前みたいにそこにいる。
「……何やってるんだ」
呆れた声だった。
「迷った」
「見ればわかる」
志貴は小さくため息をつくと、圭の手首を掴んだ。
「こっち」
「道わかるの?」
「うん」
それだけ言って歩き出す。
半信半疑でついていくと、五分もしないうちに見覚えのある道に出た。
圭はその場に座り込んだ。
「……助かった」
志貴は少しだけ首を傾げた。
「助けたつもりはないけど。……圭がいなくなったって聞いたから、探しに来ただけ」
当たり前みたいな顔で言う。
そのときの志貴を思い出し、圭は小さく笑った。
「昔から志貴に助けられてばっかりでさ」
