その週の土曜日。志貴との待ち合わせ場所へ向かいながら、圭は欠伸を噛み殺していた。
寝たはずなのに、頭が重い。まぶたの奥に、嫌な感覚だけが残っている。
――また、あの夢を見た。志貴が死ぬ夢。
夜更かしをした覚えもないのに、ここ最近まともに眠れた気がしなかった。目を擦りながら角を曲がると、バス停のベンチに腰掛け、本を読む志貴の姿が見えた。
「圭」
こちらに気づいた志貴が、本を閉じて立ち上がる。
「悪い! 待ったか?」
軽く手を上げて、笑顔で駆け寄る。志貴は無言で圭の顔を見つめてきた。
「な……何だ?」
「目の下……クマがある」
とっさに志貴から隠すように、目元を押さえる。
「あ……ああ、ゲームしてたら、つい夜更かししちゃってさ」
笑いながら道路へ目を向けると、ちょうど目的のバスが近づいてきていた。
「ほら、志貴。バス来たから乗ろう」
「……ああ」
志貴と一緒にバスへ乗り込む。
立石から連絡があったのは、神社に行った翌日のことだった。例の『影を見た人』は隣の市へ引っ越していて、放課後に向かうには少し遠い。だから休日の今日、志貴とともに訪ねることになったのだ。
「――ここ、だよな」
スマホの地図を見下ろして呟く。バスと電車を乗り継いで一時間近く。顔を上げた先には、少し古びた低層マンションがあった。
「そうだな」
隣に立つ志貴が、小さく頷く。
「はー、あっつ……。すっげぇ汗かいた」
手の甲で額を拭いながら、圭はマンションの中に足を踏み入れた。丘の上に建っているせいで、ここまで急な坂道を二十分近く歩かされたのだ。シャツが肌に張りついて気持ち悪い。
Tシャツの襟を掴んでぱたぱたと風を送りながら隣を見ると、志貴は涼しい顔をしていた。白地に細い青のストライプが入ったシャツに、ネイビーの太めのスラックス。シンプルな装いなのに、志貴が着ると雑誌に載っていそうなほどおしゃれに見える。
「まだ六月に入ったばかりだぞ。今からへばっててどうする」
「つったって、今日の最高気温二十八度だぞ? 湿度も高いし、もう夏じゃん」
呆れたような目を向けられ、思わず口を尖らせる。
「あー、溶けそう。溶けたら責任とってバケツか何かに入れて持って帰ってくれ」
「……持って帰って、どうするんだ」
「さあ? 冷蔵庫とか入れといたら、また固まるかな?」
「俺に聞くな」
くだらない話をしながら、マンションのインターフォンの前に立ち、部屋番号を押す。
「はい」
「あ、こんにちは! 神主さんの紹介で来たんですけど……」
「ああ、はい。どうぞ入ってください」
女性の声がして、オートロックが解錠された。
志貴と顔を見合わせ、エントランスへ入る。エレベーターで最上階まで上がり、廊下の突き当たりの部屋の前で呼び鈴を押した。
ドアを開けたのは、想像していたよりずっと普通の女性だった。
二十代後半くらいだろうか。生成りのブラウスにデニムパンツというラフな格好で、髪も無造作にまとめている。どこにでもいそうな、穏やかな雰囲気の人だ。
「神主さんから話は聞いてます。どうぞ」
そう言って笑った顔は、拍子抜けするほど明るかった。
「お邪魔します」
「外、暑かったでしょう。冷たいもの出しますね」
部屋に通されると、涼しい空気に思わず息が漏れた。
明るいリビングだった。ソファとローテーブル、壁際には観葉植物。どこにでもありそうな、落ち着いた部屋だ。
キッチンカウンターの一角に、小さな写真立てが置かれているのが目に入った。造花の挿された小瓶と、未開封のお菓子が並んでいる。
手を合わせるには小さすぎる、けれど――たぶん、あれは。
「どうぞ、ソファに座ってください」
お盆にお茶の入ったグラスを載せて、女性がキッチンから戻ってきた。
「あ……はい! ありがとうございます」
志貴と並んでソファに腰を下ろす。女性はローテーブルにグラスを置き、向かいのソファに座った。
「はじめまして、三木麗奈です。……あなたが圭くんで、あなたは志貴くんかな?」
「えっ、何で分かるんだ?」
突然言い当てられ、さっそく口をつけようとしたグラスを離して目を丸くする。女性――三木は、くすくすと笑いながら圭と志貴を見比べた。
「神主さんから聞いてたの。元気な犬みたいな子が圭くんで、番犬みたいな子が志貴くんだって」
「えー……何だそれ」
妙な気恥ずかしさに、口を尖らせつつ後頭部を掻く。志貴だけ番犬なんて、かっこよくてズルいな。
「それで……」
少しだけ表情を改めて、三木がテーブルの上で両手を組む。
「私が見た『影』について、聞きたいんだよね」
寝たはずなのに、頭が重い。まぶたの奥に、嫌な感覚だけが残っている。
――また、あの夢を見た。志貴が死ぬ夢。
夜更かしをした覚えもないのに、ここ最近まともに眠れた気がしなかった。目を擦りながら角を曲がると、バス停のベンチに腰掛け、本を読む志貴の姿が見えた。
「圭」
こちらに気づいた志貴が、本を閉じて立ち上がる。
「悪い! 待ったか?」
軽く手を上げて、笑顔で駆け寄る。志貴は無言で圭の顔を見つめてきた。
「な……何だ?」
「目の下……クマがある」
とっさに志貴から隠すように、目元を押さえる。
「あ……ああ、ゲームしてたら、つい夜更かししちゃってさ」
笑いながら道路へ目を向けると、ちょうど目的のバスが近づいてきていた。
「ほら、志貴。バス来たから乗ろう」
「……ああ」
志貴と一緒にバスへ乗り込む。
立石から連絡があったのは、神社に行った翌日のことだった。例の『影を見た人』は隣の市へ引っ越していて、放課後に向かうには少し遠い。だから休日の今日、志貴とともに訪ねることになったのだ。
「――ここ、だよな」
スマホの地図を見下ろして呟く。バスと電車を乗り継いで一時間近く。顔を上げた先には、少し古びた低層マンションがあった。
「そうだな」
隣に立つ志貴が、小さく頷く。
「はー、あっつ……。すっげぇ汗かいた」
手の甲で額を拭いながら、圭はマンションの中に足を踏み入れた。丘の上に建っているせいで、ここまで急な坂道を二十分近く歩かされたのだ。シャツが肌に張りついて気持ち悪い。
Tシャツの襟を掴んでぱたぱたと風を送りながら隣を見ると、志貴は涼しい顔をしていた。白地に細い青のストライプが入ったシャツに、ネイビーの太めのスラックス。シンプルな装いなのに、志貴が着ると雑誌に載っていそうなほどおしゃれに見える。
「まだ六月に入ったばかりだぞ。今からへばっててどうする」
「つったって、今日の最高気温二十八度だぞ? 湿度も高いし、もう夏じゃん」
呆れたような目を向けられ、思わず口を尖らせる。
「あー、溶けそう。溶けたら責任とってバケツか何かに入れて持って帰ってくれ」
「……持って帰って、どうするんだ」
「さあ? 冷蔵庫とか入れといたら、また固まるかな?」
「俺に聞くな」
くだらない話をしながら、マンションのインターフォンの前に立ち、部屋番号を押す。
「はい」
「あ、こんにちは! 神主さんの紹介で来たんですけど……」
「ああ、はい。どうぞ入ってください」
女性の声がして、オートロックが解錠された。
志貴と顔を見合わせ、エントランスへ入る。エレベーターで最上階まで上がり、廊下の突き当たりの部屋の前で呼び鈴を押した。
ドアを開けたのは、想像していたよりずっと普通の女性だった。
二十代後半くらいだろうか。生成りのブラウスにデニムパンツというラフな格好で、髪も無造作にまとめている。どこにでもいそうな、穏やかな雰囲気の人だ。
「神主さんから話は聞いてます。どうぞ」
そう言って笑った顔は、拍子抜けするほど明るかった。
「お邪魔します」
「外、暑かったでしょう。冷たいもの出しますね」
部屋に通されると、涼しい空気に思わず息が漏れた。
明るいリビングだった。ソファとローテーブル、壁際には観葉植物。どこにでもありそうな、落ち着いた部屋だ。
キッチンカウンターの一角に、小さな写真立てが置かれているのが目に入った。造花の挿された小瓶と、未開封のお菓子が並んでいる。
手を合わせるには小さすぎる、けれど――たぶん、あれは。
「どうぞ、ソファに座ってください」
お盆にお茶の入ったグラスを載せて、女性がキッチンから戻ってきた。
「あ……はい! ありがとうございます」
志貴と並んでソファに腰を下ろす。女性はローテーブルにグラスを置き、向かいのソファに座った。
「はじめまして、三木麗奈です。……あなたが圭くんで、あなたは志貴くんかな?」
「えっ、何で分かるんだ?」
突然言い当てられ、さっそく口をつけようとしたグラスを離して目を丸くする。女性――三木は、くすくすと笑いながら圭と志貴を見比べた。
「神主さんから聞いてたの。元気な犬みたいな子が圭くんで、番犬みたいな子が志貴くんだって」
「えー……何だそれ」
妙な気恥ずかしさに、口を尖らせつつ後頭部を掻く。志貴だけ番犬なんて、かっこよくてズルいな。
「それで……」
少しだけ表情を改めて、三木がテーブルの上で両手を組む。
「私が見た『影』について、聞きたいんだよね」
